93℃の執着

UTAFUJI

文字の大きさ
89 / 95
第三章

31話

しおりを挟む
「い、今の……え、なんっ……」

 俺は、口角が上がるのを自覚しながらも、それを隠そうとはしなかった。わざとらしく首を傾げてみせる。

「なんでだと思う?」

 からかうように顔を覗き込むと、依織から引きつったような声が漏れる。喉仏が小さく上下して、唇を押さえていた指先は、重力に従うようにだらんと下ろされた。

「……わ、かりません……」

「教えてほしいか?」

 そう問い返すと、依織は視線を揺らし、逃げるように目をそらした。

「……はい」

 小さく、それでも確かに返ってきたその一言に、俺の中の何かがぴくりと動いた。意地の悪い衝動が、胸の奥から顔を覗かせる。

 依織との距離を詰めると、彼の肩がびくりと震えた。身動き一つできないみたいに、身体を強張らせている。そこで、ふと我に返る。

 なんで、キスしたんだっけ。

 本気で考えてみるけど、いくら思い返しても、大した理由は出てこない。うーん。特に理由はなかった気がする。なんか、色々思ったことはあったけど。
 結局、今キスしたらどんな顔するのかな、って気になった。ただ、そんな軽い衝動だった気がする。

 なんとなく……キスしちゃった?

 いや、ちゃんと言語化するのであれば、"衝動に駆られただけ"。これが正解だろう。でも、それをそのまま言うのは、なんとなく気が引けた。

 ほんの少し体を傾け、依織の耳に、わざと吐息が触れる距離まで近づいて、ほんの一拍、間を置く。その沈黙のあいだに、また彼の喉が小さく鳴る。

「……ないしょ」

 そう小声で囁くと、すぐそこにある耳たぶが、さっきよりも赤く染まっていくのが見えた。触れなくても熱が伝わってきそうなくらいだ。

「っ……シキ様……」

 さっきまでの声色とは違う、押し殺したような声で呼ばれ、俺はゆっくりと身体を離した。

「ほら。駅、行くぞ」

 それだけ言って、くるりと背を向ける。

 一歩踏み出すと、アスファルトを踏む音がやけに響いた気がした。後ろの気配が止まったままなことに気づいて、ほんの一瞬だけ、追ってこなかったらどうしようかと考える。

 いや、それはそれで腹が立つな。

 そう思った矢先、数秒遅れて慌てた足音が近づいてくる。

「ま、待ってください……!」

 少し息を弾ませた声が背後から届き、すぐ隣に並ばれる。ちらりと横目で見ると、まだ赤みの抜けきらない横顔。さっきよりは落ち着いているけど、耳の先は正直なままだった。

 俺は横目で見るだけで、何も言わずに歩き続ける。依織も、すぐには何も言わない。
 彼は何度か口を開きかけて、そのたびに閉じる。言葉を選んでいるのが、なんとなく分かった。

「……シキ様」

 小さく遠慮がちに名前を呼ばれ、俺は前を向いたまま答える。

「ん?」

「……なんか、怒ってます?」

 探るような声音だった。恐る恐る、といった感じで。

 俺は少しだけ視線を落としてから、ゆっくり彼を見上げる。不安混じりの顔で、真面目にこちらを気にしているのが、ありありと分かる。

「怒ってない」

「でも……」

 言葉を選ぶように、少し間が空く。

「さっきから、ちょっと雰囲気違う気がして」
「俺……何か、シキ様が嫌なこととかしちゃってました?」

 真っ直ぐすぎる問いに、思わず小さく笑いそうになる。"何か"したのはこっちなのに変なやつだな。

 少しだけ歩幅を緩めて、隣を歩く依織に視線を向ける。

「……別に」

 短くそう言ってから、続ける。

「ただ、お前が半分冗談とか言うから」

「え?」

「腹立っただけ」

 ぶっきらぼうに言い捨て前を向くと、隣で息を呑む気配がした。

「それ、って……」

「別に。深い意味はないから」

 自分で言っておいて、嘘だ、と思う。深い意味がないわけがない。
 しばらく沈黙が続き、足音だけが並んで響く。駅前へ向かう人の流れが遠くに見え始める。

 すると、依織が静かに口を開いた。

「半分冗談って言ったのは、ごめんなさい」

 足を止めず、俺は前を向いたまま、その声に耳を傾ける。

「本当は……本当は違うんです」

 その言葉が、思っていたよりも重く胸に落ちる。

「今日、もう少し一緒にいたいって思ったのも。シキ様の色んな姿を見せて欲しいって思ったのも」

 少しだけ声が低くなった。

「……全部、本音です。本気でそう思ってて、だけど」

 依織は前を向いたままだ。けど、横顔にさっきとは違う緊張が走っている。

「冗談って言わないと、逃げられる気がしたから」

 ぽつりと、そう付け加える。

「本気で言ったら、困らせるかなとか……重いって思われるかな、とか……そういうの、全部考えて」

 彼は、小さく息を吐いて、俺を見た。

「だから、逃げ道作りました」
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

タトゥーの甘い檻

マリ・シンジュ
BL
執着系わんこ攻(大学生)× 高潔な美形教授受(30代) どのお話も単体でお楽しみいただけます。 ​「先生、ここ……僕の瞳を入れるから。ずっと、僕だけを見てて」 ​真面目な大学教授・新城が、大学生の・羽生にだけ許した、あまりにも淫らな「わがまま」。 ​それは、誰にも見えない内腿の奥深くに、消えないタトゥーを刻むこと。 「下書き」と称して肌を赤く染めるペン先の冷たさ。 アトリエの無機質なライトの下、四つん這いで晒される大人の矜持。 ​ずっと年下の青年の、必死で、残酷で、純粋な独占欲。 愚かだと知りながら、新城はその熱に絆され、ゆっくりと「聖域」を明け渡していく――。 ​「……お前のわがままには、最後まで付き合う」 ​針が通るその時、二人の関係は一生消えない「共犯」へと変わる。 執着攻め×年上受け、密やかに刻まれる秘め事のお話。

「大学一軍イケメンにいちご狩りに誘われた陰キャの俺、なぜかいちごじゃなくて俺が喰われたんだが(?)

子犬一 はぁて
BL
大学一軍イケメン×大学九軍陰キャ 喰われるなんて聞いてないんだが(?) 俺は いちご狩りに誘われただけだが。 何故か誘ってくれた大学一軍イケメンの海皇(21)に、突如襲われて喰われたのは俺だった? ちょっと待ていっ! 意味不なんだが。 いちご狩りからはじまるケンカップルいちゃらぶ♡ ※大人描写ありの話はタイトルに『※』あり

定時後、指先が覚えている

こさ
BL
職場で長く反目し合ってきた二人。 それでも定時後の時間だけは、少しずつ重なっていく。 触れるはずのなかった指先。 逸らさなかった視線。 何も始まっていないのに、 もう偶然とは呼べなくなった距離。 静かなオフィスでゆっくりと近づいていく、 等身大の社会人BL。

俺以外美形なバンドメンバー、なぜか全員俺のことが好き

toki
BL
美形揃いのバンドメンバーの中で唯一平凡な主人公・神崎。しかし突然メンバー全員から告白されてしまった! ※美形×平凡、総受けものです。激重美形バンドマン3人に平凡くんが愛されまくるお話。 pixiv/ムーンライトノベルズでも同タイトルで投稿しています。 もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿ 感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_ Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109 素敵な表紙お借りしました! https://www.pixiv.net/artworks/100148872

(完結)冷徹アルファを揺さぶるオメガの衝動

相沢蒼依
BL
 名門・青陵高校に通う佐伯涼は、誰もが一目置く完璧なアルファ。冷静沈着で成績優秀、規律を重んじる彼は、常に自分を律して生きてきた。だがその裏には厳格な父と家の名に縛られ、感情を抑え込んできた孤独があった。  一方、クラスの問題児と呼ばれる榎本虎太郎は自由奔放で喧嘩っ早く、どこか影を抱えた青年。不良のような外見とは裏腹に、心はまっすぐで仲間思い。彼が強さを求めるのは、かつて“弱さ”ゆえに傷ついた過去がある。  青陵高校1年の秋。冷徹で完璧主義の委員長・佐伯涼(α)は、他校の生徒に絡まれたところを隣のクラスの榎本虎太郎(Ω)に助けられる。だがプライドを傷つけられた佐伯は「余計なことをするな」と突き放し、二人の関係は最悪の出会いから始まった。 《届かぬ調べに、心が響き合い》 https://estar.jp/novels/26414089 https://blove.jp/novel/265056/ https://www.neopage.com/book/32111833029792800 (ネオページが作品の連載がいちばん進んでおります)

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

【完結】かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい

日向汐
BL
続編・番外編はTwitter(べったー)に載せていきますので、よかったらぜひ🤲 ⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆ 過保護なかわいい系美形の後輩。 たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡ そんなお話。 ⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆ 【攻め】 雨宮千冬(あめみや・ちふゆ) 大学1年。法学部。 淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。 甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。 【受け】 睦月伊織(むつき・いおり) 大学2年。工学部。 黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。

「あなたが見ているのは、誰ですか」

静羽(しずは)
BL
新人社員の湊 海(みなと かい)は大手企業に就職した。 情報処理システム課に配属された。 毎日作成した書類を営業課に届けている。 海は情報処理システム課で毎日作成した書類を営業課に届けている。 そこには営業課に所属するやり手社員、綾瀬 (あやせ はると)の姿があった。 顔見知りになった二人は、会社の歓迎会で席が隣になったことで打ち解け遥斗は湊に一目惚れしていた事、自分のセクシャリティを打ち明けた。 動揺しつつも受け入れたいと思う湊。 そのタイミングで大学時代に憧れていた先輩・人たらし朝霧 恒一(あさぎり こういち)と卒業後初めて再会し、湊の心は二人の間で揺れ動く。

処理中です...