底辺乗り物オタクの私、推しに見つかりました―推しの推し活が、溺愛すぎる

亜 れみた

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 都内某所。線路を挟んで南側に位置する、古い喫茶店。  
窓から複雑に入り組んだ線路を、定規で引いたような角度で見下ろせる。最近は、カフェで作業をする人が増え、全席に充電用のコンセントが備えられる店も珍しくなくなった。この喫茶店も、その時代の波に乗り、年季の入った木のカウンターには無機質な銀色のコンセントが埋め込まれている。  
けれど、服部壮大は、そのためにここへ来ているわけではない。

 ロックバンド「1825(いはにご)」のボーカルであり、世間からは「空の王子様」と呼ばれる彼にとって、ここは仮面を外せる数少ない聖域だった。  ノートパソコンを開いてはいるが、効率を求めているわけでも、締切に追われているわけでもない。彼の視線は、常に窓の外の「鉄」に向けられていた。

 ビジネス山手線の本線から、巨大な貨物車庫へと繋がる分岐器(ポイント)。切り替わる瞬間の、わずかな間。鈍い銀色のレールが、重厚な音と共に数センチだけ横に滑る。鉄が動き、役割を果たし、また沈黙に戻る、その一連の無駄のないリズム。彼は、ビジネスとしての「空」に摩耗した自分自身の剥き出しの精神を、ここで静かに繋ぎ止めていた。

「・・・ダメだ、言葉が出てこない」  広げたノートパソコンの画面には、まだ一行も歌詞が浮かんでいなかった。カーソルだけが、催促するように無言で点滅を繰り返している。  壮大は諦めたように溜息をつき、スマートフォンを手に取った。お忍びで登録しているYouTubeチャンネル――「民鉄(たみてつ)」。

 その時、画面に「ライブ配信中」の赤い文字が躍った。通知も予告もなく、そのチャンネルは静かに始まった。  表示されたのは、いつも通りの、飾り気のない無機質なタイトル。 ――《今日はこのカーブを通過する際の、車輪とレールの軋み音――いわゆるフランジ音》

 音声による解説は、一切ない。映像だけが淡々と流れていく。急カーブを描く線路。自撮りは一切なく、カメラは固定されたまま、陽光を弾くバラストとレールの構造体だけをストイックに捉え続けている。  やがて、画面の端から、列車が重厚な影となって滑り込んでくる。  ――ギィ・・・ッ。  ――キィィィィィィィン・・・。  車輪の縁(フランジ)とレールが擦れ合い、互いの質量をぶつけ合う、短くも濃密な一瞬。  壮大は、思わず呼吸を忘れた。    (・・・待て)  

ふと、画面の隅に映り込んだ風景に目が止まった。線路を挟んだ向こう側、北側の防音壁の欠け方。そしてその隙間から見える、独特な形状をした給水塔の影。 (・・・北側だ。ちょうど、この店の対岸・・・)    壮大は窓越しに視線を走らせた。線路の幅があるため、北側の広場にいるはずの人物の姿までははっきりと見えない。だが、配信の画角と、今自分の目の前に広がる風景のパズルが、音を立てて噛み合っていく。 (・・・すぐそこに、いる。あの『民鉄』が、今、俺と同じ空気を震わせている音を撮っている)  

姿は見えずとも、その執念のような気配だけが、レールの振動と共に伝わってくるようだった。
 その瞬間、ライブ配信の画面がフリーズし、プツリと暗転した。
少し間を置いて、SNSのタイムラインが更新される。

【ライブ配信終了。屋外撮影中にモバイルバッテリーが切れました。今から充電します】

余計な言葉はない。自撮りもない。
事実だけを伝える短いテキストに、一枚の写真が添えられていた。
国鉄が限定生産した、鉄の質感に限りなく近い特殊な生地。
見間違えるはずがない。
この嗜好の一致。
そして、重なりすぎた偶然の数々。
相手は一人で撮影していた。
自分も一人だった。
男が女子鉄に声をかけるとなると、余計な配慮が頭をよぎることもある。
だが今回は、そういう状況ですらなかった。
それでも、声をかけなかった。
その判断が、少し遅れて、後悔として胸をかすめる。
だが、配信は終わった。
もう、現実に戻るしかない。

壮大はバッグの持ち手を握り直す。

作詞をしよう。
航空会社の、新しいCMのための言葉を。

 ――カランカラン。
喫茶店のドアが開いた。
壮大は反射的に、音のした方へ視線を上げた。
肩に掛けられたバッグが、まず目に入る。
鉄道誕生二〇〇周年記念の限定バッグ。
あの写真と、同じ生地。
同じ質感。
同じ、無駄のない角。
(・・・まさか)

女はそのままカウンターへ向かい、
空になったモバイルバッテリーのコードを、迷いなくコンセントへ差し込んだ。
小さな通電ランプが灯る。
その瞬間、
配信が途切れた理由と、
さっきまで北側で鳴っていた音と、
自分が声をかけなかった後悔が、
一本のレールとして、頭の中で繋がった。
(・・・今、ここに)

壮大は、息を止めた。

彼女は深く、安堵のため息を吐いた。  それから、丁寧に畳まれたセーム革を取り出すと、愛おしそうにカメラのレンズフードに付いたわずかな埃を拭い始めた。その指先は、職人のように正確で、迷いがない。

 その時だった。  彼女がバッグのサイドポケットを整理しようとした拍子に、中からころりと何かがこぼれ落ちた。床を滑るように転がってきたのは、真鍮製の手作り「連結器型キーホルダー」。  それは一直線に走り、壮大のブーツの先でカチリと止まった。

「・・・あの、これ」  壮大はそれを拾い上げた。  民亜が、ゆっくりと顔を上げる。そこにあったのは、深く帽子を被った異様なオーラを放つ男。  そして――自分が削り出した「鉄の欠片」の価値を知っているかのように、大切に手のひらに乗せている指先だった。

 二人は今、同じ電源を、同じテーブルで分け合っている。  姿の見えなかった北側の配信者が、今、南側の静かな喫茶店で、同じ静寂を分け合っている。  連結が完了する際の、あの刹那の静寂が流れた。

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