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事件考察・成田の反論
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「たぶんマツネさんは、一族の存続を諦めていたんだと思います。だから死ぬ前にもう一度、想い人の師匠に会って二人の愛の結晶を託そうとしたのではないかと」
「じゃあ佐藤くんは、マキリが吟谷先生の娘だというのかい」
「僕はそう考えています」
マキリと吟谷は、見た目はそれほど似ていないが、マキリの濁りのない真っ直ぐな瞳と、貴婦人然とした柔らかい物腰は吟谷を彷彿とさせた。
「だけど頼りにしていた師匠が亡くなってしまって事情が変わってしまった。マツネさんの意思はともかく、マキリさんは是が非でも、ケナシコルウナルぺの血脈を残そうと考えるようになったのでしょう」
僕の話を聞き終わった成田は、長い溜息を洩らした。
「フーーッ。佐藤くんの説は、エンターティメントとしては面白い仮説だ。しかし憶測ばかりで、穴が多すぎる。私が採点するなら五十点だな」
「エンターティメントのつもりはありません。僕はいたって真面目ですよ。いきなりテレパシーなどと突拍子もないことを言い出したから、成田さんが戸惑うのも当然ですが――」
「いいや。誰もテレパシーの存在を否定などしていないぞ。実際にそのマキリという娘がテレパシーを使っていたかについては疑義があるがな」
「えっ?」
成田のことを理論派と思っていた僕は、彼の口から飛び出した意外な言葉に驚いた。
「キミは量子力学を知ってるかい。二十世紀になって出てきた物理学の新しい考え方なんだが。原子レベルの極小世界では、物質が既存の物理法則を無視するような特殊なふるまいが観測されるというんだ。テレパシーも、心霊現象も、すべてこの量子力学の理論で説明出来てしまうというから驚きだよ。だから私は、テレパシー現象を一概に否定はしないんだ。近い将来、科学的に証明される日が来るかもしれないからね」
「博識ですね」
完全に専門分野外だったので、僕は素直に感心した。
「うちの高校は毎年最多のT大合格者を出してる英才校だからね。生徒が教師に対して、あれ知ってるか、これ知ってるかと逆質問してくるんだよ。答えられないと教師を馬鹿にして、まともに授業を受けてくれなくなる。だからうちの高校の教師をしてると嫌でも博識になるのさ」
高校教師というのも、なかなかどうして大変なようである。
「では熊を操る能力については、どう考えますか?」と僕は続けて訊いた。
「話を聞くに、マキリという娘が熊を操ったという証拠はないと思うが。ケナシコルウナルぺが熊を操ると伝承にあるからと言って、その娘が熊を操っていたと決めつけるのは早計だろう」
「それは、まあ――でも、それじゃあ僕が熊に食べられなかった説明になってませんよ」
「熊の考えなんて人間には解らないよ。キミが熊に食われなかったのは、単に運が良かっただけとしか言えないな」
そう言われてしまうと僕は口籠るしかなかった。
「百歩譲って、仮にマキリが熊を操っていたとしてもだ。アイヌにはイオマンテという儀式もある。人間が熊を手懐けることは不可能ではない。特別な超能力だとは思わないな」
イオマンテとは、捕獲した子熊を大切に育てたあと生贄にするアイヌの熊送りの儀式のことだ。
「でもキミの仮説の一番の致命的欠陥は、テレパシーのことでも、熊を操る能力のことでもない。マキリという娘の問題だ」
「マキリさんの問題?」と僕は訊き返した。
「彼女の年齢がね。間尺に合わないんだよ」
そう言って天井を見上げ、指を折って数字を数え始める成田。
「吟谷先生が北海道で大規模なアイヌ調査を行ったのは二十世紀初頭。確か一九〇六年と、えーと一九一八年の二回だ。一九一八年のときには、幌別郡幌別村(現・登別本町)にあるユカラ伝承者宅を訪れているから、卯子沢マツネと会っているとすればこの年が有力だな。このときマツネが子を宿したとすれば、その子は五十坂を越えていることになる」
「でも成田さん、その後も師匠は北海道で、小規模な調査を何度か行っていますよ」
「それも一九三〇年代の初頭くらいまでだ。少なくとも四十は越えていることになる。しかし佐藤くんの話だとマキリの見た目は、二十代から三十代前半くらいというじゃないか。マツネの孫なら分かるが、子供だとすると年齢的に辻褄が合わなくないか」
「だけどマキリさんは、マツネのことを母親だとはっきり言っていたんです。師匠だって、もはや北海道には取材対象に足る高名なユカラクルはいないのに、もう一度北海道へ調査に行きたいと異様な執着を見せていましたし」と僕が反論するも。
「それだけじゃ論拠に乏しいな。普通に考えればだ。マキリは一九四〇年頃に鉱山町の住民の誰かとの間にマツネが儲けた無国籍児童だろう。そしてマキリが吟谷先生の血縁者でないなら、ウネサワ一族がアイヌ研究者の男子を求めているというキミの仮説は根底から崩れることになる」
成田の鋭い指摘に、僕は言葉を失った。
「じゃあ佐藤くんは、マキリが吟谷先生の娘だというのかい」
「僕はそう考えています」
マキリと吟谷は、見た目はそれほど似ていないが、マキリの濁りのない真っ直ぐな瞳と、貴婦人然とした柔らかい物腰は吟谷を彷彿とさせた。
「だけど頼りにしていた師匠が亡くなってしまって事情が変わってしまった。マツネさんの意思はともかく、マキリさんは是が非でも、ケナシコルウナルぺの血脈を残そうと考えるようになったのでしょう」
僕の話を聞き終わった成田は、長い溜息を洩らした。
「フーーッ。佐藤くんの説は、エンターティメントとしては面白い仮説だ。しかし憶測ばかりで、穴が多すぎる。私が採点するなら五十点だな」
「エンターティメントのつもりはありません。僕はいたって真面目ですよ。いきなりテレパシーなどと突拍子もないことを言い出したから、成田さんが戸惑うのも当然ですが――」
「いいや。誰もテレパシーの存在を否定などしていないぞ。実際にそのマキリという娘がテレパシーを使っていたかについては疑義があるがな」
「えっ?」
成田のことを理論派と思っていた僕は、彼の口から飛び出した意外な言葉に驚いた。
「キミは量子力学を知ってるかい。二十世紀になって出てきた物理学の新しい考え方なんだが。原子レベルの極小世界では、物質が既存の物理法則を無視するような特殊なふるまいが観測されるというんだ。テレパシーも、心霊現象も、すべてこの量子力学の理論で説明出来てしまうというから驚きだよ。だから私は、テレパシー現象を一概に否定はしないんだ。近い将来、科学的に証明される日が来るかもしれないからね」
「博識ですね」
完全に専門分野外だったので、僕は素直に感心した。
「うちの高校は毎年最多のT大合格者を出してる英才校だからね。生徒が教師に対して、あれ知ってるか、これ知ってるかと逆質問してくるんだよ。答えられないと教師を馬鹿にして、まともに授業を受けてくれなくなる。だからうちの高校の教師をしてると嫌でも博識になるのさ」
高校教師というのも、なかなかどうして大変なようである。
「では熊を操る能力については、どう考えますか?」と僕は続けて訊いた。
「話を聞くに、マキリという娘が熊を操ったという証拠はないと思うが。ケナシコルウナルぺが熊を操ると伝承にあるからと言って、その娘が熊を操っていたと決めつけるのは早計だろう」
「それは、まあ――でも、それじゃあ僕が熊に食べられなかった説明になってませんよ」
「熊の考えなんて人間には解らないよ。キミが熊に食われなかったのは、単に運が良かっただけとしか言えないな」
そう言われてしまうと僕は口籠るしかなかった。
「百歩譲って、仮にマキリが熊を操っていたとしてもだ。アイヌにはイオマンテという儀式もある。人間が熊を手懐けることは不可能ではない。特別な超能力だとは思わないな」
イオマンテとは、捕獲した子熊を大切に育てたあと生贄にするアイヌの熊送りの儀式のことだ。
「でもキミの仮説の一番の致命的欠陥は、テレパシーのことでも、熊を操る能力のことでもない。マキリという娘の問題だ」
「マキリさんの問題?」と僕は訊き返した。
「彼女の年齢がね。間尺に合わないんだよ」
そう言って天井を見上げ、指を折って数字を数え始める成田。
「吟谷先生が北海道で大規模なアイヌ調査を行ったのは二十世紀初頭。確か一九〇六年と、えーと一九一八年の二回だ。一九一八年のときには、幌別郡幌別村(現・登別本町)にあるユカラ伝承者宅を訪れているから、卯子沢マツネと会っているとすればこの年が有力だな。このときマツネが子を宿したとすれば、その子は五十坂を越えていることになる」
「でも成田さん、その後も師匠は北海道で、小規模な調査を何度か行っていますよ」
「それも一九三〇年代の初頭くらいまでだ。少なくとも四十は越えていることになる。しかし佐藤くんの話だとマキリの見た目は、二十代から三十代前半くらいというじゃないか。マツネの孫なら分かるが、子供だとすると年齢的に辻褄が合わなくないか」
「だけどマキリさんは、マツネのことを母親だとはっきり言っていたんです。師匠だって、もはや北海道には取材対象に足る高名なユカラクルはいないのに、もう一度北海道へ調査に行きたいと異様な執着を見せていましたし」と僕が反論するも。
「それだけじゃ論拠に乏しいな。普通に考えればだ。マキリは一九四〇年頃に鉱山町の住民の誰かとの間にマツネが儲けた無国籍児童だろう。そしてマキリが吟谷先生の血縁者でないなら、ウネサワ一族がアイヌ研究者の男子を求めているというキミの仮説は根底から崩れることになる」
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