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第三十五話「極寒の地での任務について」

上陸、樺太島

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 樺太島、またの名をサハリン州。
 日露間においてある意味で因縁の場所とも言えるそこに、陸上自衛隊十数名は足を踏み入れた。
 様々な機材を積んだ大型フェリーのタラップを降りて、異国の地へと降り立った比乃は開口一言。

「さっむ……!」

 吹き付ける風に、思わず外衣の上から自身の身を寒さから守るように両手で抱える。
 遅れて降りてきた志度、心視の二人も、日本ではそうそう無い寒さに身を僅かに震わせた。

 それもそのはず、ここ、比乃達がやってきたコルサコフ港の今の季節は最高気温が平均一度。
 日本人の、それも温暖な地域で過ごしてきた身としては、制服の上に外衣を着ていても、両手で二の腕を擦りたくなる寒さであった。

 しかし、これでもここは樺太島の湾岸部最南端にある街なので、島の中では最も温暖な気候である。

 白い息を吐きながら「目的地はもっと寒いのかなぁ」などと、嫌そうにぼやく。比乃はフェリーからクレーンで降ろされたコンテナが、大型トレーラーに積み込まれていく様子を眺めた。

 一般的な貨物コンテナに偽装されたそれには、今回軍事演習で使用する装備類や機体が内包されていた。
 運搬用のトレーラーまで自前で持ってくることは流石にできなかったので、機材の運搬にはロシア軍が用意した物を使用することになっている。

 仕方がないとは言え、外国の部隊に自分達の機体の運搬を任せるのは、少しばかり不安感があったが、まさかここでTkー7を起こして自力で歩いて行くわけにもいかない。

 まさか持ち逃げされるわけでもあるまいし、自分の心配し過ぎだとはわかっているのだが……そんな心境で作業を見守っていると、その肩を両側から力強く叩く者達がいた。

「どうした比乃、そんな切ない顔をして、愛機と離れるのがそんなに嫌か?」

「気持ちはわからんでもないが、今は割り切れ。それが大人になるということだ」

 大関と大貫の筋肉コンビだった。
 今回、事前の打ち合わせや段取りなどは全て上が終えているので、この二人の表向きの役割は三人の保護者役である。

 一応、万が一の場合の護衛も兼ねていると予め知らされていたが、そんなことが起こることを想定るのも心配のし過ぎだと思った比乃は、沖縄に居た時と同じように二人に接する。

「いえ、そこまで機体に愛着とか執着はないのですが……というか、お二人はそれで寒くないので?」

 そう言う比乃の前、筋肉を布ごしに隆起させている二人は、なんと外衣を身につけていなかった。陸自の正規の野戦服のみである。

 見ているだけでこちらが寒くなりそうな格好であったが、二人は寒さなど全く感じないと言わんばかりにポージングする。

「この程度の寒さ、俺の筋肉の前ではぬるいぬるい」

「お前は鍛え方が足りんからわからんだろうが、筋肉の前では極寒だろうが灼熱だろうが無意味なのだ」

「そ、そうですか……」

「今回はもうしょうがないが、比乃、お前もこういう局所に送られることを想定して鍛えておいた方がいいぞっ」

「そうだ、我らが自衛官。いついかなる場所でも任務を果たせるような鋼の肉体を持たねばならんからなっ」

「ぜ、善処します……」

 この二人は頭にまでプロテインが回っているのではないだろうか、比乃は次々とポージングを決める上官に慄いた。というか、人に見られたら目立つので一々ポーズを決めるのをやめてほしかった。

 実際、ロシア側の関係者らしき作業員が、こちらを指差して隣にいる同僚らしき人物と何事か話している。ロシア語はさっぱりわからない比乃でも、奇妙なもの扱いされているのだけはわかった。

「向こうの軍人に見られたら、何て思われるやら……」

 比乃が二人に聞こえない声でそうぼやく一方、一連の会話を少し離れた所で聞いていた志度と心視は、頭の中で一つの妄想をしていた。
 黒光りする筋肉に、無駄ににこやかな笑みを浮かべ、何故か黒いブーメランパンツを装着した比乃が「HAHAHA」とアメリカンな笑い声をあげながら暑苦しいポージングを決める姿を、妙に鮮麗に想像していた。

 それについて十秒ほど思案していた二人は、同時に我に返り、顔を見合わせて「ないな」「ない……」と意見を述べる。もし、比乃がそういうのを目指し始めたら、全力で阻止しよう。そういう同盟が二人の間で結ばれた。

 そんな同僚二人の同盟締結など知らない比乃は、携帯端末を取り出して、現在時刻を確認する。予定から逆算すれば、そろそろ移動を開始しないと、予定の時間までに目的地へ到着できなくなってしまう。

「筋肉はさて置いて、僕らの移動手段ってどうなってるんでしょう」

 自分達もそうだが、今フェリーで作業している整備班も含めて十数名。
 公共機関などを利用して目立たないように移動するには、少しばかり多い人数である(もっとも、野戦服や戦闘外衣など着ている時点で、目立つこと必至である)。

 そも、目的地である演習予定地は山奥の山中なので、バスや電車などでは行きようが無いのだが、

 比乃の疑問に、大関が「んーとだ」と、既に機密漏洩の防止のために処分してしまった書類の内容を思い出すように顎に手をやった。流石に脳みそまで筋肉で構成されていても、任務に関する情報は覚えていたらしく、

「俺達が受け取った指令書だと、移動に関しては完全に相手側に任せていいってなってたが」

 大関が言って、隣の大貫がきょろきょろと周囲を見渡す。

「そろそろ迎えでも来るんじゃないか?」

 そう言った所に、三台の黒い、窓にスモーク処理が施された“如何にも”なライトバンが走って来た。その内の一台が、ちょうど比乃達の目の前で停車する。
 筋肉二人が「おお?」と声を上げる間に、ドアが素早くスライドして開き、中にいた黒いスーツ姿の男性が、軽く手招きしてきた。

 無言の、しかし言外での「乗れ」という促しに、大関と大貫は肩を竦ませる。そして先に乗り込んで奥の座席に座る。続いて比乃が外衣を脱いで腕にかけて「どうも」と、一応英語で一声入れてから乗り込み、最後に志度と心視が慌てて駆けて来て車内に飛び込んだ。

 そうして五人を収容した車両は、ドアを閉めると、静かに街中を走り始めた。
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