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あと数日
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その日、殿下は早くから王太子様のところへ向かってしまい、私は大人しく部屋で織り機を動かしていた。
珍しく部屋にはローラ様しかいない。
アレンさんは殿下に付いていき、マクシマスさんはクリス様と剣の稽古に忙しい。
私の護衛騎士のペルーさんは宰相閣下に呼び出されて部屋から出て行ってしまっている。
「ローラ様。あとどのくらい?」
聞くなら今しかない。
「…3日後です。」
「…そう。思っていたより急なのね…。」
相変わらず手は休めない。
何かに集中しないと泣いてしまいそうだ。
悟られてはならない。泣き腫らした目で殿下を出迎える訳にはいかない。
「…残りたいですか?」
「…いいえ。」
「…本当に?」
「…私にはやらなければならない事があるから。」
「レインもモーリもリーンが望むならわかってくれますよ。」
「…早くケリを付けないとならないことだもの。」
ローラ様がそっと肩に手を添える。
「心残りのないように、ね。」
私はコクンと頷いた。
戻ってきたアリ殿下に無理を言って温室に連れて行ってもらった。
空気が暖かい。夕方の柔らかい日差しが差し込んでいる。
2人で手を繋いで歩く。誰も見ていないのに。そうこれは婚約者のフリだと、心に言い聞かせる。
今だけ、ここに居られる間だけ。
少しだけ夢を見てもいい…よね。
「父と染料になる物を探して、山歩きをよくしたんです。」
今の時期はあまり目立つ花が無いからつまらないかもよ、なんて言っていた殿下にそう話した。
「この葉は染料にしたらきっと綺麗な色が出ますよ。」
大きな丸い葉を茂らせた木。
「へぇ、どんな色になるの?」
「同じ植物でも加える鉱物や薬品で色合いを無限に作り出す事が出来るんですよ。これは…緑と茶と…もしかしたら紫か桃色も出来るかもしれません。」
「そうなの、凄いね。」
「職人の腕の見せ所です。以前見せていただいた火鳥はもしかしたら同じ植物から染められていたかもしれません。
同じ植物から染めると色の組み合わせの相性が良いんですよ。」
「なるほど。」
「これは…カズラですね。」ひとつの植物の前で歩みを止める。
「ザイモックではクズと言います。食用なんですよ。」
「えっ?これを?」
見た目はただのツルにしか見えない、枯れ木のような外観に殿下は目を丸くしている。
「皮をはいで中をすりつぶして樹液を使います。乾かして粉にするんです。」
「あー、面白い食べ方だな。」
「染料にも混ぜます。粘りがついて染料の染み方が良くなるんです。」
「そういう事はどうやって見つけるの?」
「ほとんどは先達からの伝承です。これをこうやるとこうなるみたいなものは工房によって変わります。
父…本当の父の方です。父はそれだけでは足らずにではそうしなければどうなるのか?あれをこうしたらどうなるのか?とずっと試していまして、私もたくさん手伝わされました。」
「本当の父?」
「はい、本当の父です。レイン様は認めてくれませんでしたが。」
あまり人には話したくはない事だけど、この話は避けては通れないだろうと思った。
「私の母は私を身籠る直前に領主様と一夜を共にしました。
エリールでは領主の初夜権と言います。
領主が望めば領民の純潔を召し出させる事ができます。」
この話を聞いて、殿下の表情が硬くなる。
受け入れ難い話なのかもしれない。
…真っ直ぐなお人だから。
「領主の初夜権は救済措置の面もあると聞くが?」
「…はい。もしそうならもっと怖いです。母に救済されなくてはならない事情があったことになりますから。」
殿下のハッと驚く表情を見て、その可能性に殿下が気付いていなかった事を知った。
図らずも純潔を散らされた乙女…母がそうであったなど思いたくはない。
「その後母は直ぐに父と結婚しました。
母の妊娠を知った領主様が父親の名乗りを上げられました。
母は否定しましたので、レイン様が裁判に訴えられましたが、長い間放置されていて結論は出ていませんでした。
私の髪や瞳の色がどちらかの父に似れば直ぐに結論は出たのでしょうけれど、私の外見は母と瓜二つなんです。
私の出生証明書の父親の欄は長らく空白でした。母もレイン様も本気で結論を出す気持ちがあったのかは疑問です。
裁判中であるにも関わらず、母と父とレイン様は一緒に仕事をしていますし、普段の態度も争っているようには見えません。
まるで私の父が誰かを曖昧にしておきたかっただけのような気さえしていました。
ですがおそらく今後はレイン様の名前が入る事になりますね。でないとレイン様の庶子にはなれませんから。」
「それで良かったのか?」
「ええ。やっとひとつ決着したんです。
私にとってはどちらも大切な人である事に変わりはありませんから。」
「なぜそんな事をしたのだろうか。」
「領主様と母にとっては必要なことだった、と聞いています。」
「母上にも?」
「母と領主様は結婚も考えていたようです。しかし後継だったレイン様のお兄様が亡くなられて、レイン様はフラン様と結婚しなければならなくなり、母を一度は諦めたそうですが。」
「今でも母上は…、そのぉ」
「はは、そんなわけないじゃ無いですか。それじゃ父が可哀想過ぎます。
今の父と母は確かに愛し合っています。
その時の母や父、レイン様のお気持ちは今となってはわかりません。
ただ人の気持ちは変化するんです、殿下。
それと女は意外と強かです。」
「リーンもそうなのか?強かでそのうち気持ちも変わってしまうのか?」
急に殿下の瞳に熱が籠った気がする。
だけど私はそれには答えられない。
「私は…どうなんでしょう?って何言わせるんですか?」
恥ずかしい。きっと今は顔が真っ赤になっているだろう。
私は殿下に顔を見られないように、先にと歩き出した。
珍しく部屋にはローラ様しかいない。
アレンさんは殿下に付いていき、マクシマスさんはクリス様と剣の稽古に忙しい。
私の護衛騎士のペルーさんは宰相閣下に呼び出されて部屋から出て行ってしまっている。
「ローラ様。あとどのくらい?」
聞くなら今しかない。
「…3日後です。」
「…そう。思っていたより急なのね…。」
相変わらず手は休めない。
何かに集中しないと泣いてしまいそうだ。
悟られてはならない。泣き腫らした目で殿下を出迎える訳にはいかない。
「…残りたいですか?」
「…いいえ。」
「…本当に?」
「…私にはやらなければならない事があるから。」
「レインもモーリもリーンが望むならわかってくれますよ。」
「…早くケリを付けないとならないことだもの。」
ローラ様がそっと肩に手を添える。
「心残りのないように、ね。」
私はコクンと頷いた。
戻ってきたアリ殿下に無理を言って温室に連れて行ってもらった。
空気が暖かい。夕方の柔らかい日差しが差し込んでいる。
2人で手を繋いで歩く。誰も見ていないのに。そうこれは婚約者のフリだと、心に言い聞かせる。
今だけ、ここに居られる間だけ。
少しだけ夢を見てもいい…よね。
「父と染料になる物を探して、山歩きをよくしたんです。」
今の時期はあまり目立つ花が無いからつまらないかもよ、なんて言っていた殿下にそう話した。
「この葉は染料にしたらきっと綺麗な色が出ますよ。」
大きな丸い葉を茂らせた木。
「へぇ、どんな色になるの?」
「同じ植物でも加える鉱物や薬品で色合いを無限に作り出す事が出来るんですよ。これは…緑と茶と…もしかしたら紫か桃色も出来るかもしれません。」
「そうなの、凄いね。」
「職人の腕の見せ所です。以前見せていただいた火鳥はもしかしたら同じ植物から染められていたかもしれません。
同じ植物から染めると色の組み合わせの相性が良いんですよ。」
「なるほど。」
「これは…カズラですね。」ひとつの植物の前で歩みを止める。
「ザイモックではクズと言います。食用なんですよ。」
「えっ?これを?」
見た目はただのツルにしか見えない、枯れ木のような外観に殿下は目を丸くしている。
「皮をはいで中をすりつぶして樹液を使います。乾かして粉にするんです。」
「あー、面白い食べ方だな。」
「染料にも混ぜます。粘りがついて染料の染み方が良くなるんです。」
「そういう事はどうやって見つけるの?」
「ほとんどは先達からの伝承です。これをこうやるとこうなるみたいなものは工房によって変わります。
父…本当の父の方です。父はそれだけでは足らずにではそうしなければどうなるのか?あれをこうしたらどうなるのか?とずっと試していまして、私もたくさん手伝わされました。」
「本当の父?」
「はい、本当の父です。レイン様は認めてくれませんでしたが。」
あまり人には話したくはない事だけど、この話は避けては通れないだろうと思った。
「私の母は私を身籠る直前に領主様と一夜を共にしました。
エリールでは領主の初夜権と言います。
領主が望めば領民の純潔を召し出させる事ができます。」
この話を聞いて、殿下の表情が硬くなる。
受け入れ難い話なのかもしれない。
…真っ直ぐなお人だから。
「領主の初夜権は救済措置の面もあると聞くが?」
「…はい。もしそうならもっと怖いです。母に救済されなくてはならない事情があったことになりますから。」
殿下のハッと驚く表情を見て、その可能性に殿下が気付いていなかった事を知った。
図らずも純潔を散らされた乙女…母がそうであったなど思いたくはない。
「その後母は直ぐに父と結婚しました。
母の妊娠を知った領主様が父親の名乗りを上げられました。
母は否定しましたので、レイン様が裁判に訴えられましたが、長い間放置されていて結論は出ていませんでした。
私の髪や瞳の色がどちらかの父に似れば直ぐに結論は出たのでしょうけれど、私の外見は母と瓜二つなんです。
私の出生証明書の父親の欄は長らく空白でした。母もレイン様も本気で結論を出す気持ちがあったのかは疑問です。
裁判中であるにも関わらず、母と父とレイン様は一緒に仕事をしていますし、普段の態度も争っているようには見えません。
まるで私の父が誰かを曖昧にしておきたかっただけのような気さえしていました。
ですがおそらく今後はレイン様の名前が入る事になりますね。でないとレイン様の庶子にはなれませんから。」
「それで良かったのか?」
「ええ。やっとひとつ決着したんです。
私にとってはどちらも大切な人である事に変わりはありませんから。」
「なぜそんな事をしたのだろうか。」
「領主様と母にとっては必要なことだった、と聞いています。」
「母上にも?」
「母と領主様は結婚も考えていたようです。しかし後継だったレイン様のお兄様が亡くなられて、レイン様はフラン様と結婚しなければならなくなり、母を一度は諦めたそうですが。」
「今でも母上は…、そのぉ」
「はは、そんなわけないじゃ無いですか。それじゃ父が可哀想過ぎます。
今の父と母は確かに愛し合っています。
その時の母や父、レイン様のお気持ちは今となってはわかりません。
ただ人の気持ちは変化するんです、殿下。
それと女は意外と強かです。」
「リーンもそうなのか?強かでそのうち気持ちも変わってしまうのか?」
急に殿下の瞳に熱が籠った気がする。
だけど私はそれには答えられない。
「私は…どうなんでしょう?って何言わせるんですか?」
恥ずかしい。きっと今は顔が真っ赤になっているだろう。
私は殿下に顔を見られないように、先にと歩き出した。
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