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オマケ
最後の不幸の種
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母が北の塔に幽閉された時には既に気鬱の兆候は顕著だったらしい。
突然大声で罵詈雑言を並べ立てて怒鳴ったかと思えば、けたたましく笑いだす。
城で長く母に仕えていた侍女でさえ側に寄ることを怖がるほど。
新国王となったセオは初めは全てを詳らかにし裁判にしようとしたがそれを止めたのが宰相のルカリオだった。
「あのご様子ではおそらく裁判にはならないでしょう。寧ろ失うものが多い。」
母を直接裁けるのはリーンの暗殺未遂の教唆犯としてだけ。
王室財産の横領や占有は国王が認めていたし議会も承認している。母だけを責められない。
なぜ母がリーンを害そうとしたか?となれば、初夜権の事も悲願の事も明らかにされる。それは母が国益を守ろうとしたと見えなくもない。
エリールの産物もザイモックの資源もニルスには手放し難いのは事実だった。
皆、口をつぐんだ。そうするより他には無かった。
拘束理由が無くなった母は王都のコンラン家の屋敷へ戻された。
客間のひとつを与え閉じ込めたけれど、母は嫌がって暴れて手がつけられない。
「ここじゃない、私の部屋はここじゃない。」
ほとほと困り果て好きにさせたところ、母は長く開かずの間になっていた叔父の…いや父ルーナの部屋の前で扉を叩き続けた。
「流行病の気が残っているといけませんので閉じていたお部屋です。」
流石に20年以上経っている、好きにさせろと言った。
ルーナの部屋に手を入れて母を入れると途端に母は大人しくなった。
「…早く帰ってきて。会えたら伝えたい事があるのよ。ルーナは喜んでくれるかしら?」
母の中でルーナはまだ生きている。エリールかザイモックかはわからないが、ルーナが帰ってくるのを待っているらしい。
優しく腹を撫でながら。
俺を「ルーナ!」と幸せそうに呼び、腹の中に命が宿っていると嬉しそうに伝える母を見て何も言えなくなる。
母がルーナに会えなくなったのはルーナが病になったからだと聞いている。視察じゃない。
母はその事を知っていたはずだ。
ルーナは俺の命が宿っている事を知っていたのだろうか…。
母は食欲のなさを悪阻と言い張り、薬湯の類いは腹の子に障ると一切受け付けなくなる。
食事も薬も受け付けない身体は徐々に痩せ衰えて弱々しくなっていった。
それなのに笑みだけは絶やさない。
あんなに幸せそうに微笑む母を見た事が無い。
緩慢な自殺行為だとわかってはいた。
だからなんとか食事を摂らせ薬湯を無理やり口に押し込んで…。
俺が母を鬼に変えたのか?
そう思うと居た堪れなくなる。俺さえいなければ、父もアイリスも、母も幸せだったのかもしれない。
母の執着から逃げるように仕事に打ち込んだ。エリールやサトラリアを行き来し、母のことを頭の隅に追いやった。
そしてふと罪悪感に駆られて王都の屋敷に戻る。
痩せ衰えてだけど寝台で俺を見て微笑む母に迎え入れられる。
母の容体が悪化したのはリーンの結婚式が終わってしばらく経った頃だった。
医師の見立てではひと月持たないと言われていたから俺はなるべく王都の屋敷にいるようにしていた。
そして父に手紙を書いた。
返事は「いけない。」の一言だけ。
代わりにウッドバーンのキタール島の領主の娘クララ様が見舞いに訪れた。ナラの母親だ。
「母と面識があったんですか?」
「いえ、無いですよ。
フラン様はまだザイモック首長の妻ですからね。総首長の代理としてやって来ました。」
総首長は父だ。もうすぐ違う人に廻るけど、今はまだ父。
すぐにエリールに行くというクララ様はレニーという連絡役をひとり残して旅立った。
レニーという男には見覚えどころじゃない面識がある。
「おかえり、父さん。」
「モーリすまなかったな、全部背負わせた。」
「いえ、俺のせいですから。」
「お前のせいでは無い。」
キッパリと言い切り、優しく俺を父さんが抱きしめてくれる。誰も見ていない、今だけ泣いても良いだろうか。
「父さん達が頑なに教えてくれなかったのは…俺のため…」
「悲願のためだ。間違えるな。」
過去は変えられない。残酷な運命も変わらない。
元凶が無くなれば今も変わる。少なくてもお前もリーンもいない、それが最善とは思わない。2人ともエリールには必要な人財だと慰めの言葉を掛けてくれる。
「すまない、俺がフランを癒せなかった。それだけだ。」
母はルーナを愛していた。心から。死んでしまっても尚。
その思いを読み間違えたのだ、と。
「…母さんはもう長く無い。」
「ああ、だから来た。」
国王の即位式もリーンの結婚式にも姿を見せなかった父。それなのに母の死に際には名を変えてやってきた。
父が来て6日目の朝、母は旅立った。俺を「ルーナ」と呼びながら。モーリを頼むと笑顔で言い残して。
「エリールに葬ろうと思う。」
「…いいの?」
王族籍を抜かれた母は王族の墓には入れない。
母はエリールを嫌っていたし、エリールの皆も母を嫌っている。
母の亡骸は王都の墓地に入れるしか無いと思っていた。
「ああ、兄と共に。」
「…ありがとう、父さん。」
母のために流す涙なんかないと思っていた。
だけどあった。
「母さん、終わったね。お疲れ様。」
唯一変わらなかった髪をそっと撫でた。
父も同じように母を撫でた。
「すまなかった。」
と謝りながら。
父さんどうか母を許して迎えに来てあげて。
あなたに会えたらやっと母は本当に幸せになれる、そう思うと自然に涙が溢れた。
突然大声で罵詈雑言を並べ立てて怒鳴ったかと思えば、けたたましく笑いだす。
城で長く母に仕えていた侍女でさえ側に寄ることを怖がるほど。
新国王となったセオは初めは全てを詳らかにし裁判にしようとしたがそれを止めたのが宰相のルカリオだった。
「あのご様子ではおそらく裁判にはならないでしょう。寧ろ失うものが多い。」
母を直接裁けるのはリーンの暗殺未遂の教唆犯としてだけ。
王室財産の横領や占有は国王が認めていたし議会も承認している。母だけを責められない。
なぜ母がリーンを害そうとしたか?となれば、初夜権の事も悲願の事も明らかにされる。それは母が国益を守ろうとしたと見えなくもない。
エリールの産物もザイモックの資源もニルスには手放し難いのは事実だった。
皆、口をつぐんだ。そうするより他には無かった。
拘束理由が無くなった母は王都のコンラン家の屋敷へ戻された。
客間のひとつを与え閉じ込めたけれど、母は嫌がって暴れて手がつけられない。
「ここじゃない、私の部屋はここじゃない。」
ほとほと困り果て好きにさせたところ、母は長く開かずの間になっていた叔父の…いや父ルーナの部屋の前で扉を叩き続けた。
「流行病の気が残っているといけませんので閉じていたお部屋です。」
流石に20年以上経っている、好きにさせろと言った。
ルーナの部屋に手を入れて母を入れると途端に母は大人しくなった。
「…早く帰ってきて。会えたら伝えたい事があるのよ。ルーナは喜んでくれるかしら?」
母の中でルーナはまだ生きている。エリールかザイモックかはわからないが、ルーナが帰ってくるのを待っているらしい。
優しく腹を撫でながら。
俺を「ルーナ!」と幸せそうに呼び、腹の中に命が宿っていると嬉しそうに伝える母を見て何も言えなくなる。
母がルーナに会えなくなったのはルーナが病になったからだと聞いている。視察じゃない。
母はその事を知っていたはずだ。
ルーナは俺の命が宿っている事を知っていたのだろうか…。
母は食欲のなさを悪阻と言い張り、薬湯の類いは腹の子に障ると一切受け付けなくなる。
食事も薬も受け付けない身体は徐々に痩せ衰えて弱々しくなっていった。
それなのに笑みだけは絶やさない。
あんなに幸せそうに微笑む母を見た事が無い。
緩慢な自殺行為だとわかってはいた。
だからなんとか食事を摂らせ薬湯を無理やり口に押し込んで…。
俺が母を鬼に変えたのか?
そう思うと居た堪れなくなる。俺さえいなければ、父もアイリスも、母も幸せだったのかもしれない。
母の執着から逃げるように仕事に打ち込んだ。エリールやサトラリアを行き来し、母のことを頭の隅に追いやった。
そしてふと罪悪感に駆られて王都の屋敷に戻る。
痩せ衰えてだけど寝台で俺を見て微笑む母に迎え入れられる。
母の容体が悪化したのはリーンの結婚式が終わってしばらく経った頃だった。
医師の見立てではひと月持たないと言われていたから俺はなるべく王都の屋敷にいるようにしていた。
そして父に手紙を書いた。
返事は「いけない。」の一言だけ。
代わりにウッドバーンのキタール島の領主の娘クララ様が見舞いに訪れた。ナラの母親だ。
「母と面識があったんですか?」
「いえ、無いですよ。
フラン様はまだザイモック首長の妻ですからね。総首長の代理としてやって来ました。」
総首長は父だ。もうすぐ違う人に廻るけど、今はまだ父。
すぐにエリールに行くというクララ様はレニーという連絡役をひとり残して旅立った。
レニーという男には見覚えどころじゃない面識がある。
「おかえり、父さん。」
「モーリすまなかったな、全部背負わせた。」
「いえ、俺のせいですから。」
「お前のせいでは無い。」
キッパリと言い切り、優しく俺を父さんが抱きしめてくれる。誰も見ていない、今だけ泣いても良いだろうか。
「父さん達が頑なに教えてくれなかったのは…俺のため…」
「悲願のためだ。間違えるな。」
過去は変えられない。残酷な運命も変わらない。
元凶が無くなれば今も変わる。少なくてもお前もリーンもいない、それが最善とは思わない。2人ともエリールには必要な人財だと慰めの言葉を掛けてくれる。
「すまない、俺がフランを癒せなかった。それだけだ。」
母はルーナを愛していた。心から。死んでしまっても尚。
その思いを読み間違えたのだ、と。
「…母さんはもう長く無い。」
「ああ、だから来た。」
国王の即位式もリーンの結婚式にも姿を見せなかった父。それなのに母の死に際には名を変えてやってきた。
父が来て6日目の朝、母は旅立った。俺を「ルーナ」と呼びながら。モーリを頼むと笑顔で言い残して。
「エリールに葬ろうと思う。」
「…いいの?」
王族籍を抜かれた母は王族の墓には入れない。
母はエリールを嫌っていたし、エリールの皆も母を嫌っている。
母の亡骸は王都の墓地に入れるしか無いと思っていた。
「ああ、兄と共に。」
「…ありがとう、父さん。」
母のために流す涙なんかないと思っていた。
だけどあった。
「母さん、終わったね。お疲れ様。」
唯一変わらなかった髪をそっと撫でた。
父も同じように母を撫でた。
「すまなかった。」
と謝りながら。
父さんどうか母を許して迎えに来てあげて。
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