修道院に行きたいんです

枝豆

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対峙

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マヌエラは俺がレーチェと共に戻る事を、
「まだやり残した事があるでしょう。」
と許してくれなかった。

温室の奥を見やる。
こんな夜なのに明かりのひとつもつけられていない。
この奥に…きっと見えないふりをしてしまった誤りがいる。

大丈夫。
レーチェは言った。
終わりにして。
務めを果たさないと。
…待ってる。

俺はゆっくりと階段を登り、温室の入り口に立った。

男がひとりこちらを向いて立っていた。
ガラス板をすり抜けた淡い月の光が男を照らしていた。
その男は、ひと仕事終えたような脱力感と、全てを失ったかのような絶望感を纏っているように見えた。

「ここへ何をしに?」
穏やかには聞こえるけれど、臣下の礼も貴族のマナーも何もなかった。問いかけられた言葉には忠誠も信頼も尊敬も感じられない素気ない問いかけだった。

問われた時、謝る気も許しを願う気持ちも微塵も湧き上がらなかった。
だから、
「話を、いいや、恨み言を聞きに来た。」
とだけ答えた。

レイモンドはしばらく黙っていた。
俺も黙っていた。
長い睨み合いの後、諦めて先に口を開いたのはレイモンドだった。

「…あなたは卑怯だ。そして狡い。」
罵りも蔑みもない、淡々とした口調がレイモンドの怒りの強さを感じさせた。

「…わかってる。」
「あなたが私の手紙を隠した。私が何もかも手を出せなくなるまで、あなたはレイチェルに真実を告げなかった。」

…違う、隠したのはカトリーナ様で、真実もまたカトリーナ様が伝えた。
けれど、そうさせたのはきっと俺だ。
だから何も答えられなかった。

この男と俺は同じだ。
伯爵令嬢が王太子妃になれるなんてあり得ないとたかを括った。
チャンスをみすみす逃し、レイチェルをステファンにかっ攫われた愚かな男だ。

違ったのは。
たったひとつだけ。それが運命を分けた。
俺は城に住み、この男はそうではなかった。
レイチェルが苦しんでいた時、手の届く場所にいたか、そうじゃなかったか。
突き詰めれば、王族かそうじゃなかったか、それだけのこと。
マヌエラが言う通りだった。

「俺はあなたが憎い。」
「甘んじて受けよう。」
「本当に狡い人だ。」
そう言って男は微かに笑った。

「あの時はああするしかなかった。正面からぶつかられて受け入れられる程レイチェルには心の余裕なんかなかった。」
「言い訳ですか。そこまでレイチェルを追い込んだのもまた王族だ。」
「ああ、いや、すまない、言い訳にもなってないな。」

伝えないとと漸く思えた。この男を潰しておかないと、ここにもまた小さな根が残る。

「ステファンも心からレイチェルを愛していた。そこにダリアン島の所有権放棄を条件にシュタインから婚礼の話が舞い込んだ。
だから、あんなことになってしまった。
ステファンがレイチェルを手放したのは間違いなく政略だった。
だからステファンには気持ちの整理をつけるだけの時間が必要だった。」
「そのためにレイチェルが犠牲になった。」
「そうだ。レイチェルは必死で耐えてくれた。けれど、とうとう限界を越えかけた。
その時の心の傷に手をかけてこじ開けて…確かに俺は卑怯だし、狡い男だ。
あなたの指摘は間違ってはいない。

ただ、噂は真実ではない。俺は後始末を押し付けられた訳じゃない。初めてレイチェルを見た時から、心はレイチェルに鷲掴みにされていた。

同じなんだよ、レイモンド。
俺もまた指を咥えてステファンが手放すのを待っていた時があったんだ。

たまたまだ、たまたまあなたより早くチャンスが目の前に転がり落ちて来ただけだ。」

「あなたとの事は政略ではない、と?」
「ああ、それだけは胸を張れる。俺はレイチェルを愛している。誰よりも、きっとあなたよりも。」
「レイチェル様は?」
…レイチェルは…。
「愛のない結婚を望むような人ではないと思っているよ。
俺も愛されている。」

聞きたくなかったに違いない、レイモンドは瞼を閉じて天を見上げた。
変わらず月の光が優しく男を照らし続けている。

「後回しにしなければ良かった。慣れない領地経営を言い訳になんかしないで、レイチェルが成人するまで待ったりなんかしないで。
…なりふり構わずにレイチェルを手に入れていたら…あなたのように。」

レイモンドはそう言って、一筋の涙を流した。
泣くほどにレイチェルを愛していたんだと俺に見せつけるように涙を流したように見えた。
月の光が当たり、男なのにとても美しい綺麗な涙だった。

「…そうだな。きっとそうされていたら、おそらく立場は変わっていたかもしれない。
いや、違うな。
俺は諦めが悪いから、きっとそれでも今と同じだったと思う。」

例え手紙の存在をレイチェルが知っていても、レイモンドの元に送られても、修道院に入ったとしても、毎日のようにレイチェルのところに馳せ参じて、手紙を書いて、愛を囁いて…。

「なんか面倒なことになりそうですね。」
「ああ、きっとそうなる。だから…」
「諦めろ、と?」
「いや、レイチェルはきっと俺の事を選んでくれる。」

男は一旦足元を見つめ、その視線を俺に向けた。潤んだ瞳で真っ直ぐに俺を射抜く。
「約束してくれませんか。もうレイチェルの手を離さないと。

…私は家を継ぎました。妻を娶り子を設けて次の世代へ繋げなくてはならない。
だから、いつまでも叶わない想いに囚われ続ける事は許されません。

…だから、後悔はしたくはありません。
あの時諦めなければ…と。2度同じ過ちを繰り返したのだとは思いたくはありません。
どうか、これで良かった、仕方のないことだった、わたしが死ぬまでそう思わせて欲しいのです。」
「約束する。というかあなたと約束なんかしなくても、俺は俺のためにそうする。
俺はレイチェルの手を取って、同じ物を見て、ずっとそばにいる。
俺がそうしたいから。」

「…そうですか。あなたに執着されてはレイチェルはなかなか大変そうだ。」
「そうか?結構楽しそうだよ。」

この場で惚気ますか…とレイモンドは苦々しく笑った。
それでは、邪魔者は去ります、とレイモンドは恭しく貴族らしい退出の礼をして、温室から出て行った。
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