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オマケ
ピアノ2
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ゆっくりと師匠との思い出をエルに吐露し、
「師匠はどこかの大店の旦那さんのお妾だったんだと思います。」
と話し終えた。
エルはわかってくれた。
「なるほど…よく聞く話だよな。劇場の歌姫の盛りは短い。最後は支援者に囲われるのも、かつてのファンや取り巻きが暮らしを庇護していくのも良くある。」
「ええ、そうだと思います。」
絶頂期を終えた歌姫は、小さな家でピアノを弾きながら愛する人を待つ暮らしに落ち着いた。
そのお相手を見たことはある。師匠よりもかなり歳上の気難しそうな男性だった。
周りを寄せ付けない雰囲気があり、私は話しかけたことも話しかけられた事もなかった。
時折り勝手に家にやって来て、コートやジャケットを無造作に脱いで、寛ぎながら師匠のレッスンが終わるのを待っていた。
その男性が来たらどれほど時間が残っていてもレッスンはすぐに終わってしまうのが常だった。
子供ながらに何かを感じ取っていた。
2人は夫婦ではない、けれどしっかりと結びついた何かが2人の間の空気を温かいものにしているのだ、と。
男性の年齢から察するにおそらくその支援者が亡くなったのだろう。
妾は後を継ぐ子供にとっては母親の敵にも近い存在だ。
おそらく支援は切られ、屋敷も取り上げられたのだ。そんな状況では歌姫の象徴のようなピアノはきっと大切にはされない、と師匠は覚悟を決めた。
壊される前に汚される前に、師匠はピアノを安全な場所に移すと決めて、そして私に託してくれた。
しかしどこかの男が妾に贈ったピアノでもある。気にする人は気にする類の話だと思う。毛嫌いする人はいるだろう。
私だって師匠との思い出がなければ、どんなに美しい音を奏でるピアノだったとしても手にしていたかも怪しいし、まして嫁ぎ先に運び入れたりはしなかったと思う。
ただ、師匠はこのピアノを私の全てと言った。
それだけで私には何よりも大切にしたいピアノになった。
「いつか師匠に返して差し上げたいんですけれど、どこにいるかもわからないし、それを望んでいるかもわからないし。
ただ、必ず会いに来てくれると思うしかなくて。それまでは大切にしたいなと。
でも…お城には簡単には来られないかもしれないし。」
まだフィリアの家に置いてあった方が取りには来やすかったのかもしれない。
もしその時が来れば…だけれど。
父も母もこのピアノを持っていくと伝えた時に反対はしなかった。
おそらくもう取りにくる日はないんじゃないか?というのがフィリア家での共通認識だった。
だったらせめて大切にしつつも活用出来る私の手元に、そう思ってくれたのだ。
「そういう訳ですので、大目に見てもらえると嬉しいわ。」
そう伝えた時、エルはしばらく何かを考えていて、徐にこう言い出したのだ。
「…じゃあ探してみるかい?」
「師匠を?」
ああ、とエルは言った。
「名前もわかってるし、大体の歳もわかっている。探すのはそんなに難しい事じゃないよ。フィリア領から出ていってしまったから伯爵では探せなかっただけ。今のレイチェルなら探し出せると思う。俺も協力するし。」
「…今の私なら?」
エルが言うには。
旦那を亡くした妾が行き着く先はあまりない。
次の旦那を見つけたか、かつての私が望んだように教会や修道院に身を寄せたか?
師匠は夜の華に身を落とせるほどの若さはなかったようだし、新しい暮らしが陽の当たるところならきっとピアノと供に暮らせていたに違いない、と。
「新しい旦那のところに前の旦那からの贈り物を持っては行けないだろう。新しいピアノを買って貰って弾いているかもしれない。
そういう事ならこのままレーチェが持っていればいい。
でもどこかに身を寄せるために俗世を泣く泣く捨てたのだとしたら、今のレイチェルなら返してやれる。
妃殿下所縁の品だ。下賜されると聞いて断れる人はそう多くはないと思うよ。」
そう言われても…。もしかしたらご迷惑かも…。でももしかしたら師匠はそれを待っていてくれるのかもしれない。
色々迷ったけれどとりあえず師匠探しはお願いする事にした。
確かにエルの言う通りだ。今の私なら…きっと師匠が望むならピアノを返して差し上げられる。
喜ばれないようなら、その時に止めたらいいだけだ。
「師匠はどこかの大店の旦那さんのお妾だったんだと思います。」
と話し終えた。
エルはわかってくれた。
「なるほど…よく聞く話だよな。劇場の歌姫の盛りは短い。最後は支援者に囲われるのも、かつてのファンや取り巻きが暮らしを庇護していくのも良くある。」
「ええ、そうだと思います。」
絶頂期を終えた歌姫は、小さな家でピアノを弾きながら愛する人を待つ暮らしに落ち着いた。
そのお相手を見たことはある。師匠よりもかなり歳上の気難しそうな男性だった。
周りを寄せ付けない雰囲気があり、私は話しかけたことも話しかけられた事もなかった。
時折り勝手に家にやって来て、コートやジャケットを無造作に脱いで、寛ぎながら師匠のレッスンが終わるのを待っていた。
その男性が来たらどれほど時間が残っていてもレッスンはすぐに終わってしまうのが常だった。
子供ながらに何かを感じ取っていた。
2人は夫婦ではない、けれどしっかりと結びついた何かが2人の間の空気を温かいものにしているのだ、と。
男性の年齢から察するにおそらくその支援者が亡くなったのだろう。
妾は後を継ぐ子供にとっては母親の敵にも近い存在だ。
おそらく支援は切られ、屋敷も取り上げられたのだ。そんな状況では歌姫の象徴のようなピアノはきっと大切にはされない、と師匠は覚悟を決めた。
壊される前に汚される前に、師匠はピアノを安全な場所に移すと決めて、そして私に託してくれた。
しかしどこかの男が妾に贈ったピアノでもある。気にする人は気にする類の話だと思う。毛嫌いする人はいるだろう。
私だって師匠との思い出がなければ、どんなに美しい音を奏でるピアノだったとしても手にしていたかも怪しいし、まして嫁ぎ先に運び入れたりはしなかったと思う。
ただ、師匠はこのピアノを私の全てと言った。
それだけで私には何よりも大切にしたいピアノになった。
「いつか師匠に返して差し上げたいんですけれど、どこにいるかもわからないし、それを望んでいるかもわからないし。
ただ、必ず会いに来てくれると思うしかなくて。それまでは大切にしたいなと。
でも…お城には簡単には来られないかもしれないし。」
まだフィリアの家に置いてあった方が取りには来やすかったのかもしれない。
もしその時が来れば…だけれど。
父も母もこのピアノを持っていくと伝えた時に反対はしなかった。
おそらくもう取りにくる日はないんじゃないか?というのがフィリア家での共通認識だった。
だったらせめて大切にしつつも活用出来る私の手元に、そう思ってくれたのだ。
「そういう訳ですので、大目に見てもらえると嬉しいわ。」
そう伝えた時、エルはしばらく何かを考えていて、徐にこう言い出したのだ。
「…じゃあ探してみるかい?」
「師匠を?」
ああ、とエルは言った。
「名前もわかってるし、大体の歳もわかっている。探すのはそんなに難しい事じゃないよ。フィリア領から出ていってしまったから伯爵では探せなかっただけ。今のレイチェルなら探し出せると思う。俺も協力するし。」
「…今の私なら?」
エルが言うには。
旦那を亡くした妾が行き着く先はあまりない。
次の旦那を見つけたか、かつての私が望んだように教会や修道院に身を寄せたか?
師匠は夜の華に身を落とせるほどの若さはなかったようだし、新しい暮らしが陽の当たるところならきっとピアノと供に暮らせていたに違いない、と。
「新しい旦那のところに前の旦那からの贈り物を持っては行けないだろう。新しいピアノを買って貰って弾いているかもしれない。
そういう事ならこのままレーチェが持っていればいい。
でもどこかに身を寄せるために俗世を泣く泣く捨てたのだとしたら、今のレイチェルなら返してやれる。
妃殿下所縁の品だ。下賜されると聞いて断れる人はそう多くはないと思うよ。」
そう言われても…。もしかしたらご迷惑かも…。でももしかしたら師匠はそれを待っていてくれるのかもしれない。
色々迷ったけれどとりあえず師匠探しはお願いする事にした。
確かにエルの言う通りだ。今の私なら…きっと師匠が望むならピアノを返して差し上げられる。
喜ばれないようなら、その時に止めたらいいだけだ。
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