初めてはアイツと!?〜大嫌いなチャラ同期に、鉄壁の秘密を暴かれました〜

萩野詩音

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第1話

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 糸川湊のことは、入社してすぐ嫌いになった。

 同じ営業部所属。大手会社を相手にする営業部のエース候補として選ばれ、敏腕と名高い先輩につくことになったあちらと、営業アシスタントとして配属された私。どちらもまだ駆け出しで先輩の指導を仰いでいた頃だ。同じ空間に出勤する、という以上の接点なんて生まれるはずもない。

 そもそも私は人前に出ることが得意ではないし、フォローする方が性に合っているから、アシスタント業務に就けたことは喜ばしかった。

 こちらが少しずつ仕事を覚えていく間に、ミスしてもあっけらかんと謝って、逆に上司の信頼を得ていく糸川は、新入部員なのにあっという間に部内の人気者かつムードメーカーというポジションを確立してしまった。いわゆる陰キャで人見知りの私が、自分とは180度違うキラキラした糸川に、苦手意識を持つのは仕方ないことだったと思う。

 

 でも苦手がはっきりと嫌いに変わったのは、入社して最初の大型連休明けだった。

 きちんと連休を取れるクリーンな会社で、それは社内でも忙しいとされる営業部も同じだった。

 それでも心配性な私は、「連休明けに何か特別な気配りが必要だったら……」と思い、普段より早めに出社した。

 考えてみれば休み中も業者による清掃が入っていたはずだし、大してやることなんてあるわけないのだけれど。

 始業よりだいぶ早く着いたせいで、部署内はがらんとしていた。

 さすがに顧客を持っている営業社員はすでに何人か出社していて、忙しなくパソコンのキーボードを叩いていたけれど、アシスタント職の先輩たちはまだ誰も来ていない。

 パソコンを立ち上げると、社内の連絡メールは数通届いていたけれど、それもすぐに読み終えてしまった。

 まあ失敗したり後悔するより早く来ておいて良かったよね、と自分に言い聞かせながら、ふうっと一息吐いたところで、いつも持ってきている水筒を家に忘れたことに気づいた。家で温かいお茶を淹れて会社に持ってくる習慣にしていたのに、そもそも今朝はお茶を淹れた記憶がない。

 一週間の休暇でその日常すら忘れてしまった自分に苦笑して、財布を手に休憩室へと向かう。早く来ていてよかった。

 これなら自販機でお茶を買って戻っても、十分にゆとりがある。

 そう思いながら、二つ下の階へ向かった。

 リフレッシュルームは、そのフロアをぶち抜いて作られたいわゆる休憩室だ。

 入って手前は持ち込んだお弁当などを食べられるスペースで、一人がけから四人がけのテーブルが配置されている。私はいつも、奥の方の壁際に作られた席で、ひっそりと過ごすのが好きだった。

 ちなみに奥は、靴を脱いで座ることができるようなリラックススペースになっている。ソファやローテーブルが設置されていて、まるで優雅なリビングのように寛げる……らしい。新人研修のときに、勤務時間と休憩のメリハリがいかに重要は、そのために会社がどのような工夫をしているのか、滔々と説明を受けたけれど、私は恐れ多くて未だにそのリラックススペースに上がったことすらなかった。昼休みはだいたい先輩社員たちで占領されていて、私なんかが靴を脱いで上がり込める雰囲気ではないし。

 もっとも、そこに糸川がつかつかと上がっていって「ここいいですか?」と相席を頼んでいるところなら、目撃したことがある。

 先に座っていた他部署の女性社員たちは「いいよいいよ」ときゃあきゃあ言いながら糸川を迎え入れていて、なんなら「糸川くんもお菓子食べなよお」とローテーブルに広げたお菓子を片っ端から渡していた。あの光景を見ながら「まさにこれが餌付けか……」と思ったことを、よく覚えている。

 そして何より、外見の良さと愛嬌が重なると、こんな風に異性に受け入れられるのか……と衝撃を覚えた。

 そんな苦い記憶を思い返しながらリフレッシュルームを覗くと、こんな時間だというのに先客がいた。

 左の壁際に並んだ自販機の前まで進んだところで、目が合ったのだ。糸川と。

 三台並んだ自販機の奥、ちょうど窪みになったところに、糸川はいた。

 足音に気づいたのか、糸川の目線が私を捉えた、その時だった。伸びてきた白い手が糸川の首に回され、こちらを見ていた糸川の顔がぐいっと引っ張られていた。

 私の視界にうつる糸川が一瞬で横顔になり、ああ悔しいけれどやっぱり綺麗な顔だな、と思った。思ってしまった。

 その直後、視界にフェードインしてきた赤い唇が、糸川のそれと重なった。

 息が詰まる。声を上げたかったのに、喉の奥がひりついたように固まって、痛い。

 手にした百円玉が、つるりと滑って床に落ちていく。そのままころころと転がった硬貨は、自販機の下に入り込んでしまった。

「あ……」
 自分の発した間抜けな声は、百円玉を落としたせいなのか、キスシーンを目撃してしまったからなのか、わからなかった。

 まるで足元が浮き、雲の上を歩いているみたいに現実感がなかった。

 百円玉を救出できなそうなことを悟って、ぼんやりと目線を上げると、二人はまだキスの真っ最中だった。

 真っ赤な唇の持ち主は、見たことがある。多分、総務部の女性社員だ。そう、新入研修のときに、このリフレッシュルームについて説明してくれたひと。
 途端に、ぞわぞわっと腕に鳥肌が立った。

 胃の中身を強制的にひっくり返されたような不快感を覚え、そのまま踵を返し、リフレッシュルームを飛び出した。
 

 全力疾走で営業部に戻った。通り過ぎた社員が、訝しんでいる。それでも、止まることができなかった。
 たった今見た光景が、頭の中にこびりついている。
 別に糸川が誰と付き合おうが、誰とキスしようが関係ないけれど。

「普通、あんなところでする……?」

 会社は仕事をする場所じゃないわけ?ていうかせめて見えないところでしなさいよ!

 自分が悪いことをしたわけではないはずなのに、なぜか心臓がばくばくとけたたましく鳴っている。

 まるで居合わせたこちらに非があるみたいに、まったく動じずキスをしていた糸川も先輩社員のことも、思い返すだけで喉の奥がきつく締まった。焼かれたように痛い。

 そして二人のやりとりを受け入れるかのように、足早に立ち去った自分にも苛立つ。

 お茶を買いたかっただけのはずなのに――。そうため息を吐きながらデスクに戻ったのだった。
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