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第1話
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その後、出勤してきた先輩たちと、連休はどんなふうに過ごしたか……なんて楽しく話を聞いていたときだった。
「相川」
始業ギリギリにオフィスへとやってきた糸川は、なぜか真っ直ぐに私のところへ来ると、ペットボトルを差し出した。
「え……?」
「これ、やる」
それは、私が買いそびれたお茶だった。皮肉なことに、私が買おうとしたメーカーのものだった。
差し出されたペットボトルを見つめて微動だにせずいると、さらに目の前まで押し出される。
「……これで黙ってろってこと?」
そう訊ねると、糸川はぱちぱちと目を瞬かせた。
そして次の瞬間、にやりと口元に笑みを浮かべる。
「別に。隠すようなことでもないから、黙ってなくてもいいけど」
「はあ?」
思わず、声が漏れてしまった。
それから、消えかけていた怒りがふつふつとまた蘇ってくる。
「いらない、別に後で自分で買いにいくし」
「なんでだよ。お前の落としたお金で買ったんだけど」
「あっそ」
まわりの先輩社員たちが、何事かとちらちらこちらを見ている。その視線も気になって、私はひったくるようにペットボトルを受け取った。
「100円じゃないでしょ。足りなかった分払うからちょっと待って」
「別にいいって、そのくらい」
たかが何十円かで恩売らないっての、と笑う糸川にこめかみがぴくりと跳ねるのを感じる。
「私が嫌なの」
こんなやつに、たとえ1円でも借りを作りたくない。その一心だった。
財布から100円を取り出し、「はい」と渡そうとすると、糸川はやれやれと肩をすくめながらも、素直に手を差し出した。
ちらりと手の中の百円玉を見て、糸川は小さく息を吐く。
もうそれ以上顔を見ていたくなくて、私はぷいっと目線を逸らすとパソコンに向き直った。視界の隅で、糸川が遠ざかっていく気配がした。
これが、嫌いになった最初だった。
その後も、糸川をいっそう嫌いになる瞬間が、度々やってきた。
会社内で告白されているところに居合わせてしまう、とか、女性社員と抱き合っているところを見てしまう、とか。一度ならず何度も遭遇してしまい、しかも毎回相手が違った。
到着したエレベーターの扉が開いたと思ったら、中でばっちりキスをしている瞬間に出くわしたこともある。
たまたまエレベーターホールで待っていたのが私だけだったから良かったものの、上司がいたらどうするつもりだったのだろう。
最悪の女たらし。
そのわりに、糸川のことを悪く言う社員はいなかった。謎だ。
女といちゃついているところを、誰にも見られていないのだろうか。見られていても嫌悪感を抱かれていないのだとしたら不快だし、まさか私だけが貧乏くじを引いて目撃しているのだとしたら、それもそれで腹立たしい。
アシスタント席へ「ごめーん」とへらへら笑いながら納期ギリギリの仕事を頼んでくるときも、いっそう嫌いだという思いは増していく。最初のうちは何とかこの負の感情を軌道修正しようと頑張っていたけれど、もうそのうち諦めた。
そもそも私は、糸川みたいに愛想を振りまくのが得意じゃない。
入社して2年目になった頃には、糸川だけじゃなくて他の人にも特別愛想良くすることもなくなった。あくまで仕事上で必要なコミュニケーションだけを取る。そのほうが、感情に波風が立たない、そう気づいたからだ。
そのせいか、いつの間にか社内では「ブリザード」なんて陰で言われるようになって、気づけば入社五年目。
三十を目の前にし、営業アシスタントの中でも中堅になってきて、任される仕事の難易度も上がってきた。へらへらと愛想を振り撒いている余裕がないのも事実だった。
「相川」
始業ギリギリにオフィスへとやってきた糸川は、なぜか真っ直ぐに私のところへ来ると、ペットボトルを差し出した。
「え……?」
「これ、やる」
それは、私が買いそびれたお茶だった。皮肉なことに、私が買おうとしたメーカーのものだった。
差し出されたペットボトルを見つめて微動だにせずいると、さらに目の前まで押し出される。
「……これで黙ってろってこと?」
そう訊ねると、糸川はぱちぱちと目を瞬かせた。
そして次の瞬間、にやりと口元に笑みを浮かべる。
「別に。隠すようなことでもないから、黙ってなくてもいいけど」
「はあ?」
思わず、声が漏れてしまった。
それから、消えかけていた怒りがふつふつとまた蘇ってくる。
「いらない、別に後で自分で買いにいくし」
「なんでだよ。お前の落としたお金で買ったんだけど」
「あっそ」
まわりの先輩社員たちが、何事かとちらちらこちらを見ている。その視線も気になって、私はひったくるようにペットボトルを受け取った。
「100円じゃないでしょ。足りなかった分払うからちょっと待って」
「別にいいって、そのくらい」
たかが何十円かで恩売らないっての、と笑う糸川にこめかみがぴくりと跳ねるのを感じる。
「私が嫌なの」
こんなやつに、たとえ1円でも借りを作りたくない。その一心だった。
財布から100円を取り出し、「はい」と渡そうとすると、糸川はやれやれと肩をすくめながらも、素直に手を差し出した。
ちらりと手の中の百円玉を見て、糸川は小さく息を吐く。
もうそれ以上顔を見ていたくなくて、私はぷいっと目線を逸らすとパソコンに向き直った。視界の隅で、糸川が遠ざかっていく気配がした。
これが、嫌いになった最初だった。
その後も、糸川をいっそう嫌いになる瞬間が、度々やってきた。
会社内で告白されているところに居合わせてしまう、とか、女性社員と抱き合っているところを見てしまう、とか。一度ならず何度も遭遇してしまい、しかも毎回相手が違った。
到着したエレベーターの扉が開いたと思ったら、中でばっちりキスをしている瞬間に出くわしたこともある。
たまたまエレベーターホールで待っていたのが私だけだったから良かったものの、上司がいたらどうするつもりだったのだろう。
最悪の女たらし。
そのわりに、糸川のことを悪く言う社員はいなかった。謎だ。
女といちゃついているところを、誰にも見られていないのだろうか。見られていても嫌悪感を抱かれていないのだとしたら不快だし、まさか私だけが貧乏くじを引いて目撃しているのだとしたら、それもそれで腹立たしい。
アシスタント席へ「ごめーん」とへらへら笑いながら納期ギリギリの仕事を頼んでくるときも、いっそう嫌いだという思いは増していく。最初のうちは何とかこの負の感情を軌道修正しようと頑張っていたけれど、もうそのうち諦めた。
そもそも私は、糸川みたいに愛想を振りまくのが得意じゃない。
入社して2年目になった頃には、糸川だけじゃなくて他の人にも特別愛想良くすることもなくなった。あくまで仕事上で必要なコミュニケーションだけを取る。そのほうが、感情に波風が立たない、そう気づいたからだ。
そのせいか、いつの間にか社内では「ブリザード」なんて陰で言われるようになって、気づけば入社五年目。
三十を目の前にし、営業アシスタントの中でも中堅になってきて、任される仕事の難易度も上がってきた。へらへらと愛想を振り撒いている余裕がないのも事実だった。
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