魔法使いの弟子

里木卓

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序章 魔法使いの師

序章-2

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 晴れたある日の朝、一面の青い空の帆布を白く厚く塗る雲が夏の訪れを感じさせる日。普段なら静かでおとなしい私たちの家は、ドタドタと騒がしい音をたて、窓や扉からは舞い上がったホコリが飛び出していた。
「さて、これで終わりかしらね」
 長く、美しい白銀の髪をまとめ、山積みにされた古書を外に出す。長い間、日の当たらない暗い部屋にしまわれていたその書物は、固い口を風によって開かれ、パタパタと音をたてながらめくられていく。
「先生、いい加減に片付けてください」
 いつもなら硬く閉ざされている窓を開いて先生を探す。先生は部屋の中で椅子の背に寄りかかり、また別の古びた書物を読み込んでいた。
「もう、片付いた。終わりにしよう」
「何も変わってないじゃないですか! 先生」
「下手に片付けるより、慣れてる状態の方が良いこともあるよ」
 手にもつ書物をパタンと閉ざし、窓の外にいる私にほほ笑みかける。その顔は初めてあったあの日と同じ……
「……だまされませんよ」
「ありゃ?」
「先生はいつもそう。これに関しては笑ってごまかしても駄目です」
「ハハハ……ダメかぁ」
 先生の笑いにつられて、私も笑った。大きな声で、吹き抜ける風の音がかき消されるほどの声で。
 音のないその風に飛ばされた紙切れが窓を抜け、先生の元に着く。
「……」
「先生? どうしましたか?」
 先生の笑い声は消え、じっと見ている。わずかに口を動かしているが、その声は私には聞こえない。
「ねぇ……レイラ」
「はい、なんですか」
 重くなった口を開き、私に聞いてきた。
「……君の夢はなんだい?」
「夢? ですか?」
「うん、夢。目標でも良いよ」
「そうですね……」
 私の夢。それは……
「……いつか、先生と共に並べる程の、一流の魔法使いになること。です」
「そうか、それなら僕も頑張らないとね」
「先生?」
「ごめんね。変なこと聞いて。……さあ、続けようか」
 それだけ言って、先生は部屋の奥へと行った。扉を閉めるその背中はいつもと変わりない姿であったが、どこか哀しみか怒りを感じさせた。
「今日は、風が強いわね」
 まとめられた髪をなびかせる風は、空にかかる厚い雲を散らし、いつもと変わらない空を見せる。
 先生と私、これまでも、これからも何も変わらない日常は永遠と続くと思った。
 日に干された古書は、その固い裏表紙をパタンと音をたてて閉ざされた。

 あの日、先生は何を思っていたのかは今になってはもうわからない。先生は何に怒り、悲しんだのかを知ることはできない。
 あの日、あの時をもって街から明るさが消えた。この国が戦争を起こしたと知った。争いの理由はわからないし、知ろうともしない。判ったところでこの現実が変わる訳ではないのだから。
 私が独りになったのは、あれからすぐ後のこと。国と国とのくだらない喧嘩のために先生は連れていかれた。どちらが勝とうとも私たちには関係のないことであるのに、引き裂かれた。
「先生。私……私も行きますか。ですから……」
 連れていかれる先生の後ろから声を投げた。小さなころからともに過ごした家族を失うのよりも、この不条理な世界に身を置き、先生とともに過ごせた方がましだから。
「待ってください、先生……まって……」
 届かない手を必死に伸ばし、空をつかむ。まっすぐ見つめていた先生の姿は、次第に小さくなり、消えていく。
「そんな……どうして……どう……して」
 荒れた道の上で独り立ちすくむ私のほほを冷たい一筋の水がつたり、地面に落ちる。この日、晴れて日が射していた空は、今は薄灰色の雲におおわれてポツポツとその身を落とし、私の体を冷やしている。
「先生……私は……」
 雲から落とされる水は、次第にその量を増していき、私のほほを伝うこの水が、私自身のものなのか判断できないほどになる。
「あのときの、あの言葉はなんだったのですか?」
 両親に捨てられて、独りにだった私にかけたあの言葉は……
「私に見せた、あの笑顔はなんだったのですか?」
 新しい家族だと言ってくれたあの笑顔は……
「全て……嘘だったのですか?」
 自慢の髪とお気に入りの服がぬれることをいとわずにただひたすら泣き続けた。力の入らない腕をおとし、空をあおぎながら。
 もしも、ここに先生がいたのならば。彼は私に『さあ、帰ろう。体が冷えてしまうよ』と、声をかけてくれたのだろうか?
 けれど、そんなことはありえない。もう、ここに先生はいないのだから。今まで隣にあったあの笑顔に会えないのかもしれないのだから。
 空の涙は衰えず、ただ私を打ち付けるだけ。激しさを増す音は、この声も消していく。
「レイラ、帰ろう。僕たちの家に」
 それはありえない音。もう聞くことのない音。けれど、ハッキリと聞こえた。あの音が……
「はい……先生」
 帰ろう。もう誰もいない、あの家に……


 家についた頃には、あれほど激しかった雨もやみ、灰色の雲のすきまから見える夕焼け色の日が、一日の終わりを告げている。
「ただいま……先生」
 来るはずのない返事を求めて、私は言った。私を伝う雨水がピチャピチャと音を鳴らしながら、足下に小さな水たまりをつくる。
「ごめんなさい……先生……私が……」
 この国が求めていたのは、先生じゃない。戦い、疲弊した戦力を補うために、各地の『魔法使い』を探していた。
 だから、私が行けば良かったのだ。私一人が行けば……私は、最初からこの家の人間ではなかったのだから。私がいなくなっても、先生はいる。はじめから、私がいなかったことと何も変わりないのだから。
 先生は、その事を聞いたら怒るのだろうか。『僕たちは家族だ』と、私を叱ったのだろうか。もう、その答えはわからないのだ。
 窓から射し込まれたオレンジ色の光が完全に無くなり、空には月が昇りはじめる。
 なにもしたくない。
 仕事も研究も……何もかも捨ててしまいたい。
 両親に捨てられた私にとって、先生は唯一の支えであり、希望そのものであった。
 それが……無くなったのだ。
 もしこれが夢であり、明日の朝、目が覚めたときに隣に先生がいるのならば、それほど幸せなことは無いだろう。でも、これは現実。変わることない運命なのだ。
 精気が完全にぬけ、ただ、生きているだけの私。希望も何もない私。部屋に戻るも、濡れたままの姿でいる。
 部屋の机、研究資材にまみれた机の上に、朝には無かった封筒があった。そこには、先生の文字で『レイラへ』と
「先生……?」
 これは……手紙?
「どうして……?」
 封をあけ、その手紙を読む。
『レイラへ
 もし、君がこれを読んでいるのなら、僕はすでにここにはいないだろう。''戦争''はこういうものなのだから。
 もしかしたら、君は僕の変わりに戦いに行くと言うかもしれないが、それは絶対にだめ。僕はただ死にに行くのではなく。君を護るために行くのだから、君が危険な所に行くことはない。
 君の夢、いつか、一流の『魔法使い』になるという夢を失わせるわけにはいかない。だから僕は、君を行かせないし、つれてもいけない。
 許してくれとは言わない。だけど、僕は必ず帰る。生きて、君のもとへ帰る。
 だからお願いだ。僕の……二人の帰る場所を……守ってくれ』
 けっして長くはない文。それでも、じっくりと読んだ。先生は必ず帰ると……約束していた。
「はい……先生。必ずですよ」
 私も先生との約束をまもります。ですから先生も、その約束をまもってください。
 夜があけ、窓から射し込む明るい日の光が、新しい一日の始まりを告げていた。
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