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~名もなき旅人の見たもの・五~
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翠角族の村の朝は、鳥のさえずりと、遠くから聞こえる人の声で始まった。
窓の外は既に明るいのだろう。木窓の隙間から朝の爽やかな光が差し込んでいた。
明るい中であらためて部屋を見渡す。物置を片付けただけの簡素な部屋、とナツメは言っていた。たしかに布団以外余計なものは何もなかったが、隅々まで掃除が行き届いており、清々しい木の香りがした。
惜しむらくは、布団が飛び散らかっていることだろうか。
相変わらず乱れてしまった借り物の衣服を脱ぎ、申し訳なく思いながらできる限り伸ばし、丁寧に畳んでおく。
身支度を整えて部屋を出てあの焚き火の部屋に行くと、サカキが昨日と同じ位置に座っていた。彼がこちらに軽く手を上げたので、こちらも返す。
焚き火の周囲には、湯気の立つお湯に浸った白飯――食堂の人が言っていたのを聞いた――と、ちょうどよい焦げ目のついた焼き魚。見たことのない植物の発酵食品が、三人分。
申し訳なく思いながら、頭を下げる。
「食事まで……本当にありがとうございます」
朝の挨拶をしてすぐに出る、つもりだったが、心のこもった食事の用意に腹は素直に反応した。
ちょうど奥からやって来たナツメはその音を聞いてくすくす笑う。
「おはようございます。良く眠れましたか?」
調理をしていたためか。髪をまとめ、袖の部分を紐で括り上げたナツメに、「おかげさまで」と頷く。
ちなみにサカキは何も言わなかったが、顔を背けてくっくとかすかに笑っていたのを目撃した。
***
「どうだっ! すごいだろ!」
「あたしのほうが凄いもんっ! ほらっ、見てみて!」
畑の中、土を一生懸命掘っては輝く笑顔で成果物を見せに来る鬼人の子どもたち。
彼らが持っているのは、雑草だ。
泥だらけになりながら、懸命に『畑仕事の手伝い』をしている。
その過程で、大人たちが整えた畑が崩れているが、子どもたちを見る大人の目は、呆れつつも温かだ。
ナツメは言っていた。――土に触れて、作物がどうやって育つのかを肌で知っていくのが、村の教えだと。
彼らは懸命にそれを実践しているだけだが、やはり自分の成果というものは、誰かに見せたくなるもの。
そんな時にちょうどいい相手が現れたのだ。元気いっぱいに持ってこられた雑草が、目の前で積み上げられていくのは当然かもしれない。
はて、この雑草……どうしたものだろうか。
しばし考え込み、結論として。
「うん。凄いね」
笑っておくことにした。
***
鬱蒼と生い茂る森。
風で揺れる木々……いや、本当に風なのだろうか? 何かいるのではないか?
そんな緊張と不安が周囲を取り囲む中、ふいに。……見られている感覚がした。
鋭いものではない。怖いものではない。しかし、安堵できるものでもない。
ナツメとサカキの言葉が頭をよぎる。――強さを出してはいけない。
言葉にすると簡単だが、実行しろと言われると、難しい。何せ、彼らが思う強さがどんなものか、分からない。
ふっと息を吐き出した。
「…………」
そうして、何事もないように歩き出す。いや、周囲を警戒するのだけは止めず。ただ、森を歩くものとして相応しい警戒をする。
何せこの森は、ライガイアの住民たちの『修練所』と呼ばれる森だ。気を抜けるわけもない。
得も知れぬ緊張感の中、変化は唐突に来た。
がさがさと、周囲の草が揺れる。ほぼ同時に複数箇所で、草が揺れた。――森の中での脅威と言われて、何が思い浮かぶか。
魔物もそう。危険な植物もある。森自体が迷いやすいのもそう。
その中で、狩人、というのも一つの脅威だ。
周囲の揺れる草だけでなく、木々の隙間も確認する。視界は決して良くないが、森に慣れた狩人にはそんな事関係ないだろう。
草だけに意識を向けたところを――などとなればひとたまりもない。
警戒して……警戒して……はて、と。首を傾げたくなるのを止めた。
周囲の揺れる草の頻度が下がった。何かの影が見える。周囲を飛び回る影は、一つ。
やがて
ドンッ。
という音と「あぶっ」という高めの声が聞こえた。なんとも痛そうな声だった。
暫し待つ。反応は――ない。
流石に心配になって「大丈夫ですか」と、問いかけてみたが返事はない。動く気配すらない。
これはさすがに確認せざるを得ず、最後に影が見えた草を覗くと、ピンクがかった柔らかな赤色の髪の青年が寝転がっていた。頭上には髪色と同じ毛並みの長い耳があり、ぴくぴくと震えている。
目を閉じている彼の背には使い込まれた弓と矢筒があり、サカキの『争いを好まない』という言葉が頭をよぎった。
そして再び声をかけようとした時、背後から唸り声がした。
「っ」
振り返ると、そこには巨大な四本脚の獣がいた。
「危ないっ!」
何か対応する前に、背後から聞こえた声。同時に体が地面から浮く。視界に、赤い髪と耳が見えた。
獣が身をかがめた。
「口閉じててね」
再び聞こえた声のとおりに口を閉じると、視界が一瞬低くなり、次の瞬間――風の一部になった気がした。
唸り声が小さくなり、代わりに風を切る音が耳を支配する。木々が流れていく。
地面を走り、木へ飛び移ったり、川を飛び越えたり。
驚くほどに俊敏かつ柔軟な動きであり、それはまさしく森を知り尽くしたものの動きだ。
可能ならば感嘆の声をあげ、彼を褒め称えたい。しかしそんな彼に抱えられている自分は、激しく上下左右に揺さぶられていた。しかも、後ろに向かって景色が流ていく様は、あまりにも見慣れないものだ。
つまり……酔った。
「はぁっビックリした。あいつ、普段あんな所に出ないのに……君、大丈……! 顔真っ青だよっ? 大丈夫? おーい?」
下ろされてふらつきながら立ち上がったものの、平衡感覚が取れず、近くの木に頭をぶつけた。
「大丈……あぶっ」
奇しくもどこかで聞いたような声が、自分の口からも漏れた。
「はわっ、大変だ! オババ、オババに見せないと! しっかりして、今すぐ連れて行くからね」
「……いや、待っ」
そしてまた自分は、風になった。
――『戦士の国ライガイア見聞録』 五日目・了
※本記録は、名もなき旅人と記録補助者による共同生成である
窓の外は既に明るいのだろう。木窓の隙間から朝の爽やかな光が差し込んでいた。
明るい中であらためて部屋を見渡す。物置を片付けただけの簡素な部屋、とナツメは言っていた。たしかに布団以外余計なものは何もなかったが、隅々まで掃除が行き届いており、清々しい木の香りがした。
惜しむらくは、布団が飛び散らかっていることだろうか。
相変わらず乱れてしまった借り物の衣服を脱ぎ、申し訳なく思いながらできる限り伸ばし、丁寧に畳んでおく。
身支度を整えて部屋を出てあの焚き火の部屋に行くと、サカキが昨日と同じ位置に座っていた。彼がこちらに軽く手を上げたので、こちらも返す。
焚き火の周囲には、湯気の立つお湯に浸った白飯――食堂の人が言っていたのを聞いた――と、ちょうどよい焦げ目のついた焼き魚。見たことのない植物の発酵食品が、三人分。
申し訳なく思いながら、頭を下げる。
「食事まで……本当にありがとうございます」
朝の挨拶をしてすぐに出る、つもりだったが、心のこもった食事の用意に腹は素直に反応した。
ちょうど奥からやって来たナツメはその音を聞いてくすくす笑う。
「おはようございます。良く眠れましたか?」
調理をしていたためか。髪をまとめ、袖の部分を紐で括り上げたナツメに、「おかげさまで」と頷く。
ちなみにサカキは何も言わなかったが、顔を背けてくっくとかすかに笑っていたのを目撃した。
***
「どうだっ! すごいだろ!」
「あたしのほうが凄いもんっ! ほらっ、見てみて!」
畑の中、土を一生懸命掘っては輝く笑顔で成果物を見せに来る鬼人の子どもたち。
彼らが持っているのは、雑草だ。
泥だらけになりながら、懸命に『畑仕事の手伝い』をしている。
その過程で、大人たちが整えた畑が崩れているが、子どもたちを見る大人の目は、呆れつつも温かだ。
ナツメは言っていた。――土に触れて、作物がどうやって育つのかを肌で知っていくのが、村の教えだと。
彼らは懸命にそれを実践しているだけだが、やはり自分の成果というものは、誰かに見せたくなるもの。
そんな時にちょうどいい相手が現れたのだ。元気いっぱいに持ってこられた雑草が、目の前で積み上げられていくのは当然かもしれない。
はて、この雑草……どうしたものだろうか。
しばし考え込み、結論として。
「うん。凄いね」
笑っておくことにした。
***
鬱蒼と生い茂る森。
風で揺れる木々……いや、本当に風なのだろうか? 何かいるのではないか?
そんな緊張と不安が周囲を取り囲む中、ふいに。……見られている感覚がした。
鋭いものではない。怖いものではない。しかし、安堵できるものでもない。
ナツメとサカキの言葉が頭をよぎる。――強さを出してはいけない。
言葉にすると簡単だが、実行しろと言われると、難しい。何せ、彼らが思う強さがどんなものか、分からない。
ふっと息を吐き出した。
「…………」
そうして、何事もないように歩き出す。いや、周囲を警戒するのだけは止めず。ただ、森を歩くものとして相応しい警戒をする。
何せこの森は、ライガイアの住民たちの『修練所』と呼ばれる森だ。気を抜けるわけもない。
得も知れぬ緊張感の中、変化は唐突に来た。
がさがさと、周囲の草が揺れる。ほぼ同時に複数箇所で、草が揺れた。――森の中での脅威と言われて、何が思い浮かぶか。
魔物もそう。危険な植物もある。森自体が迷いやすいのもそう。
その中で、狩人、というのも一つの脅威だ。
周囲の揺れる草だけでなく、木々の隙間も確認する。視界は決して良くないが、森に慣れた狩人にはそんな事関係ないだろう。
草だけに意識を向けたところを――などとなればひとたまりもない。
警戒して……警戒して……はて、と。首を傾げたくなるのを止めた。
周囲の揺れる草の頻度が下がった。何かの影が見える。周囲を飛び回る影は、一つ。
やがて
ドンッ。
という音と「あぶっ」という高めの声が聞こえた。なんとも痛そうな声だった。
暫し待つ。反応は――ない。
流石に心配になって「大丈夫ですか」と、問いかけてみたが返事はない。動く気配すらない。
これはさすがに確認せざるを得ず、最後に影が見えた草を覗くと、ピンクがかった柔らかな赤色の髪の青年が寝転がっていた。頭上には髪色と同じ毛並みの長い耳があり、ぴくぴくと震えている。
目を閉じている彼の背には使い込まれた弓と矢筒があり、サカキの『争いを好まない』という言葉が頭をよぎった。
そして再び声をかけようとした時、背後から唸り声がした。
「っ」
振り返ると、そこには巨大な四本脚の獣がいた。
「危ないっ!」
何か対応する前に、背後から聞こえた声。同時に体が地面から浮く。視界に、赤い髪と耳が見えた。
獣が身をかがめた。
「口閉じててね」
再び聞こえた声のとおりに口を閉じると、視界が一瞬低くなり、次の瞬間――風の一部になった気がした。
唸り声が小さくなり、代わりに風を切る音が耳を支配する。木々が流れていく。
地面を走り、木へ飛び移ったり、川を飛び越えたり。
驚くほどに俊敏かつ柔軟な動きであり、それはまさしく森を知り尽くしたものの動きだ。
可能ならば感嘆の声をあげ、彼を褒め称えたい。しかしそんな彼に抱えられている自分は、激しく上下左右に揺さぶられていた。しかも、後ろに向かって景色が流ていく様は、あまりにも見慣れないものだ。
つまり……酔った。
「はぁっビックリした。あいつ、普段あんな所に出ないのに……君、大丈……! 顔真っ青だよっ? 大丈夫? おーい?」
下ろされてふらつきながら立ち上がったものの、平衡感覚が取れず、近くの木に頭をぶつけた。
「大丈……あぶっ」
奇しくもどこかで聞いたような声が、自分の口からも漏れた。
「はわっ、大変だ! オババ、オババに見せないと! しっかりして、今すぐ連れて行くからね」
「……いや、待っ」
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