【完結】ベニアミーナ・チェーヴァの悲劇

井上 佳

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第五話:沈黙を破る手紙

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女をさらってはいいようにし、男色の罪でも数度投獄され、その度に大金を積み上げていたフィデンツィオの悪評は広がる一方だった。

長女アニーナは、父の仕打ちに耐えられなくなり教皇に直訴した。教皇は、ガブエリーリ家の子息との結婚を許し、アニーナのために多額の持参金を用意するようフィデンツィオに命じた。


「ごめんなさいベティ……」


一家の長女が結婚して家を出るというのに、その日のチェーヴァ家には分厚い雲がかかっているようだった。

ベニアミーナは姉の結婚を祝福してみせたが、同時に、まだ自分はこの世界から逃げられないのか……と虚しくもなった。

ベニアミーナが姉に倣って家から逃げることを恐れたフィデンツィオは、国境に近い城を領主から借り受け居を移すことにした。



しばらくして、フィデンツィオが疥癬にかかると、ベニアミーナと義母ルイージャはベッドに横たわる父の下半身を覆っている赤い吹き出物に薬を塗ってやらなければいけなくなった。
薬を布で塗り込んでいると、フィデンツィオその刺激に興奮し、やがて堪えられなくなると手当たり次第に侍女をベッドに引っ張り込んだ。妻ルクレツィアにも奉仕を命じ、毎夜毎夜乱痴気騒ぎを起こすようになる。その時もベニアミーナは退室を許されず、顔をそむけながらじっとそれらに耐えていた。

見せられるだけならば吐き気も我慢して耐えることができていた。
しかしある日の夕方、ベニアミーナが自室で無気力に寝転がっていると、突然父が部屋に入ってきた。驚いたベニアミーナは飛び起きて硬直し、父を目で追う。フィデンツィオはいやらしい笑みを浮かべて、ベニアミーナの座るベッドに腰かけた。


「お前は、美しく育ったな」

「お、とう……さ、ま?」


怯え、後ずさるベニアミーナを壁際まで追い詰めたフィデンツィオは、彼女に襲い掛かり、身に着けていた肌着を剥ぎとってしまった。


そして……








ベニアミーナ・チェーヴァが20歳を迎えたとき、彼女は美しく成長していた。だが、その美貌の裏には、フィデンツィオ・チェーヴァによる長年の暴力と虐待が刻まれていた。彼女の内面は、静かな絶望と深い悲しみに支配されていたが、その美しい外見は、誰の目にもその苦しみを隠していた。


ある日、ベニアミーナは暗い部屋の中で一枚の手紙を書いていた。彼女の震える手は、その筆跡に緊張と絶望をにじませていた。手紙の宛先は、ロマホフの中央にいる兄ジャンパオロと伯父サンタクローチェ。ベニアミーナは自分が日々どのように父フィデンツィオに虐待されているか、耐えがたい屈辱と恐怖の生活について詳しく書き記した。彼女はもう一人では耐えられない、誰かの助けが必要だった。


『どうか、助けてください……』


最後の一文を記し、ベニアミーナは手紙を封じた。その手には微かに震えが残っていたが、彼女の心には少しだけ希望が宿っていた。



数日後、その手紙を読んだ伯父サンタクローチェは激怒した。ベニアミーナがこんなにも苦しんでいたとは思いもよらなかった。彼はチェーヴァ家に怒りのまま乗り込んだ。


「フィデンツィオ、これはどういうことだ!」


サンタクローチェは玄関に入るなり、手紙を振りかざしてフィデンツィオに詰め寄った。フィデンツィオ一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに冷たい笑みを浮かべた。


「いったい、何をおっしゃっているのですか、兄上?」


ベニアミーナはちょうどそこに居合わせたが、なんとか無表情を装っていた。だが、その心の奥には恐怖が押し寄せている。


「ベニアミーナから手紙をもらったんだ! お前に虐待されているというじゃないか!」


サンタクローチェはフィデンツィオに手紙を突きつけた。フィデンツィオはそれを奪い取るようにして読み始めた。彼の顔が次第に険しくなっていくのが明らかだった。


「いったいどういうことなのか説明しろフィデンツィオ」

「兄上……、そんな、いくら私でも、娘を虐待だなんてするわけがないでしょう? 少し悪いところがあれば注意くらいはしますよ」

フィデンツィオは、言葉巧みにサンタクローチェを酒に誘う。手紙は、ベニアミーナが些細なことを注意されたのを根に持って話を脚色したのだと説明し、金を握らせた。








しばらくののち、サンタクローチェはご機嫌でチェンチ家を出ていった。


フィデンツィオは怒りに満ちた目でベニアミーナを睨みつけて言った。


「シラを切り通せると思っているのか? 動かぬ証拠があるだろう。この手紙は確かにお前の字で書かれている」


ベニアミーナは息を呑み、突きつけられた手紙から目をそらした。心臓が激しく鼓動し、全身に恐怖が広がっていく。


「お前が、こんなことを書いたのか?」


フィデンツィオの声が、低く部屋中に響く。


「鞭で打たれる、殴られる、体を弄ばれる? ハッ、そんなこと誰が信じるというのだ」


フィデンツィオが絵にかいたような獰猛な男だというのは周知の事実だったが、その地位の高さと金払いのよさで、すべてをねじ伏せてきたのだ。今さらそれが覆ることはない。


その夜、フィデンツィオは鞭を手にし、ベニアミーナを激しく打ちつけた。ベニアミーナは抵抗することもなく、ただ耐えるしかなかった。彼女の体は痛みと恐怖で限界を超え、フィデンツィオの気がすむ頃には、ついに気絶してしまった。



ベニアミーナは、薄暗い地下室で目を覚ました。
冷たい石の壁が彼女を囲み、暗闇がすべてを飲み込んでいた。何日かそこに閉じ込められたまま、食事も水も与えられず、ベニアミーナはただひたすらに耐えるしかなかった。


数日後、地下室の扉がギィッと音を立てて開かれた。そこに立っていたのは、義母ルイージャだった。彼女の顔には疲れが見え、ためらいの表情が浮かんでいた。


「ベニアミーナ、鍵を開けるように言われたわ…もうここから出て大丈夫よ」


ルイージャの弱々しい声を聞いた瞬間、ベニアミーナの中に燃え上がるものがあった。彼女はルイージャを見つめ、その瞳に強い決意を宿していた。


「もう、私は父を許さない。必ず、彼に復讐してみせるわ」


ベニアミーナの声は低く、しかし確固たるものであった。ルイージャはその言葉を聞き、戸惑いながらも静かに頷いた。


「ええ……私はずっと、あなたのそばに」






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