推しと俺はゲームの世界で幸せに暮らしたい!

花輝夜(はなかぐや)

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3章

行かないで

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麻耶は驚いたように見上げ、片喰の嘘ではない真剣な瞳に気圧されて押し黙る。怒りと悲しみを湛えた苛烈なこの表情を疑う必要はない。何ヶ月も経過していてまだ治療が済んでいない手足の証拠まで揃えられたら現実逃避もできない。麻耶は目を見開いたまま絶句して硬直し、全身の力が抜けて丸まった体勢でベッドに伏せた。

「そ…んな……こと…」

「別れの古城までは噂も届かないかもね。具合を悪くしてたなら以ての外だ。ドクターはかたばみの手足を治して、そのまま植物状態になってる」

敵対していたというだけではなく、レイの弟を植物状態にまで追い込んだ上で図々しく助けてくれと言いに来たということに気が付いた麻耶は病状ではない心臓の早鐘に吐き気を感じて口に手を当てた。
レイのためなら人の心など要らないと、すぐ死ぬ命なのだからどんなことでもたったひとりを喜ばせて死のうと考えていながら、実際に人の命を奪わんとする事実に残りもしないと思っていた良心が痛んでいるのかもしれない。
痛みにはとっくに慣れているのに罪悪感という重しが今にも体を押し潰しそうだった。
一方で、ルイが目覚めていない以上もうレイを救う手立てがないという事実にも胃袋がひっくり返っていた。

「…………」

衝撃に謝罪すらも口に出せず、何も言えなくなってただその場で蹲って嗚咽する麻耶を見てアスクと片喰は顔を見合わせる。
今まできちんと会話をしたことがなかった。一方的に敵意を向けられ、理不尽に傷付けられ、話をする機会などあるはずがなかった。
何もかもを奪っていく敵はこんなに小さかっただろうか。
空間に沈黙が帳を下ろす。
片喰とアスクからはこれ以上伝えられることはなにもなく、麻耶も言葉を放つことはない。
狼狽えるたくあんの上に寝そべっていた足がぴくりと痙攣した。

「…………藤…」

掠れて上擦った声はルイのものとよく似ていて、呼ばれた片喰は一瞬体を強張らせる。
麻耶はすぐに顔を上げると誰よりも早くたくあんの毛を掻き分けてレイの体を抱き起こした。

「レイ!レイ!?意識が……!」

「まぁや……おま、え、こんな…ところまで……」

「そりゃァ……お前、もうどれくらい目ェ覚ましてねェと思って…!」

昏倒していたレイが薄らと目を開けていた。
麻耶に預けている体には殆ど力が入っておらず元より呼吸も浅く荒い。いつもう一度意識を失ってもおかしくはなかったが、間違いなくしっかりと目を覚ましていた。
ルイの声ではないことはわかっていたが、同じ声で名前を呼ばれてほんの少しだけ期待をしてしまった片喰は目頭が熱くなって目線を外す。
レイはぐったりとしたまま目だけで片喰の方を向いた。

「藤……ルイ、が、ずっと…目を覚ましてない、って…聞こえた……」

「…そうだ」

淡々とした質問に誰のせいだと叫びたくなる気持ちを悲しさが覆い潰す。
目覚めないルイと何ヶ月も過ごした片喰に、これ以上激しい怒りを抱く力は残っていなかった。
もう感情の枷が狂ってしまっているのかもしれない。
ぽつりとした片喰の声にレイは身動ぎをして自分で体を支えた。

「レイ…」

「……俺が、ルイを…起こそう。だから………」

「…は?」

レイの言葉を脳が処理しきれずに、片喰は言葉を被せて聞き返す。不安定にぐらつく体をなんとか支えながら立ち上がり、レイは緩慢に片喰を見上げた。

「ルイを、起こすって…レイ…お前には…治せるのか…?」

レイの瞳には不安と期待でボロボロになって随分と幼く見える片喰が映っている。

「俺に…移し身できない、事象は無い……ルイが死を待つなら、俺が…引き受ける……」

「やめろ!レイ!」

今までに聞いたことのない麻耶の大声が響き渡る。
出し慣れていない絶叫で焼けたように痛む喉も麻耶は気にせず、ベッドからレイの白衣の袖を掴んで引き寄せる。

「…これ以上自分を犠牲にして、死に急がないでくれ……」

力もなくただ駄々をこねる子供のように袖を引く麻耶の手を優しく払い、レイは数歩進むと片喰に体を預けた。
部屋着越しに人にあるまじき体温が伝わってくる。
レイはほんの少しだけ口角を上げるとゆっくりと目を閉じた。

「ルイは……俺の、全てだ。俺が、殺すわけには、いかない…殺したい、わけでは…なかった、んだ…藤。ルイは起こす…だから、ルイが目覚めたら…まぁやを、よろしく頼むと…伝えてくれ…」

「レイ、お前、でも」

「俺は…浄化ができる……運が良ければ、助かる……藤、ルイのところに、連れてってくれ」

手を伸ばして抱き上げるようねだるレイを片喰は抱き上げる。片喰は正常な判断ができなくなっていた。ルイを殺そうとしたルイの兄を見殺しに、ルイを助けようとしている。何が正しくて、何が悪いのか誰にもわかるはずがない。ルイならどう判断するか、そう考えたくてもルイがレイを実際にどう思っているかなど知る由もない。本能のまま欲望のまま、正直にレイを抱いて部屋を出る。

「行かないでくれ……レイ…やめ……」

抵抗しようにも今の麻耶の体ではぼんやりとした光を纏う以上のことはできない。
ただ片喰に抱かれるがまま連れられたレイは部屋のドアが閉まる瞬間に一度だけ、崩れ落ちる麻耶を見て少しだけ目を細めた。
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