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しおりを挟む恋人のことを「彼女だ」と言い張る自信はわたしにはなかった。周りにはわたしの彼女だと公言できずに親友の擬態をしたまま時間が過ぎた。週末に我が家に来た恋人は出されたお茶を飲んでキスをねだった。キスが終わると体をねだった。長く経過した時間の中で知りえた情報はたくさんあって、一つは恋人は全身が隈なく美しい白魚であるということ、それからそれを惜しみなく寄越してくれるということだった。
夏が尾を曳く中では随分汗もかいたと思う。特有の気怠さを持ったままわたしと恋人はベッドではなくわざわざ地に体を横たえて火照った体を冷やしていた。
「いつでもいい匂いだね、髪」
「そうかな。汗のにおいだろ」
この会話はもう定型文だ。付き合う中で何度も何度も使い古されたものである。何度言っても言い足りないらしく、また、本気でそう思っているらしく、いつもの遊び半分のような笑顔は見せなかった。
「教室にあなたが入ってくるとすぐわかるの」
「匂いで?」
「そうよ。だって大好きな人の匂いだもん」
そう言うと彼女はクスクス笑ってまたわたしの髪を嗅いだ。くすぐったさに身を悶え、髪をかき上げる。露わになった耳に優しく噛みついて、思わず漏れたわたしの声を追うように彼女は触れるだけの口づけをした。
好きな人と想いあって過ごす時間ろいうのは、他の何かに例えられるはずもないほど満ち足りた、そして同時に夢よりも儚いものだった。
ひとつしかない低反発の枕を半分ずつ使い、身体を密着させて手を繋ぎ、とりとめのない話をする。話すことがなくなれば、ただお互いの呼吸と鼓動に耳をすませる。たまに思い出したかのように動くクーラーの音がなければ、夢の渡殿から戻ることができなくなっていただろう。
「…ねぇ」
不意に呼びかけられ、微睡みかけていたわたしはゆっくりと腕の中の彼女に目を向ける。
少し垂れつつ、目尻だけ猫のように跳ね上がった彼女の瞳は潤んでいた。それが幸せからくる高揚なのか、不安からくる苦痛なのか、それはわたしにはわからない。彼女は愛おし気にわたしの腕に頬をすり寄せ、甘えた声で名前を呼んだ。
「…なに」
「私とあなたは、褒められた関係じゃないでしょう?」
「…そうだね」
否定することもできずにただ話を促す意味で相槌をうつ。本当は、周りからの目なんか気にしないでいいだろうと強気に言ってやりたかったが、彼女の真っ直ぐな瞳の前でそんな強がりは口を伝わなかった。
「いつかはおわりがくるんでしょう?」
「………そうかもしれないね」
一瞬驚いて、反射的に否定をしそうになる。それでも実際はそうなのだと改めて認識させられたわたしに、否定することは出来なかった。
「…そんな時が来るなんて、私、想像できないな」
「…それはお互い様だよ」
「あなたのことが嫌いになる瞬間なんて、訪れるわけがないのに」
寂しさと不安に沈んでいく小さな声に、わたしはかける言葉など持ち合わせていなかった。もしかしたらそれは恋人失格なことだったのかもしれないが、何を言っても彼女を追い詰める気がした。結果的にわたしは、彼女の細く柔らかな肢体を抱きしめるという答えしか出すことができなかった。
「…それは、お互い様だよ」
鸚鵡のように繰り返し、彼女の言葉を噛みしめる。どんな未来が迎えに来たとしても、彼女のことを嫌いになることはない。だから今はただ、愛せばいい。そうやって自分自身に言い聞かせながら。
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