FORBIDDEN【オメガバース】

由貴サクラ

文字の大きさ
16 / 104
1章 一人のオメガと二人のアルファ

(15)

しおりを挟む
 しばらく、抱き合っていたが、潤は思い出す。
「そうだ、尚紀さんに飲んでほしくて持ってきたものがあるんだ」
 抱擁を解いて、潤が鞄から取り出したのは、ステンレスボトル。目を丸くしている尚紀をよそに、談話室の給茶機に設置してあった紙コップを持ってきて、中身を注いだ。
 

 それは、湯気が立つほどに温かいホットロイヤルミルクティだった。

「あ……ミルクティだ……」
 尚紀が驚きの声を上げ、潤は嬉しくなった。
 どうぞ、と潤が紙コップを渡す。熱いからね、と言い添えた。
 尚紀が恐る恐る紙コップに唇を近づけて、一口飲み込んだ。先ほどの憂い気な色が薄まり、目がきらりと輝き、驚きと喜びが表情に上がる。
「美味しい……」
「会社で煎れてきた」
 そう打ち明けると、尚紀が驚いたような表情を見せる。
「え、会社で?」
「そう。ここに来る前に会社の給湯室で作ってきた」
 役員フロアの給湯室にはミルクティ好きの潤のために秘書課の社員によって、ミルクパンと茶漉しが常備されており、備え付けの冷蔵庫の中には牛乳とミルクティ用の茶葉が常にある。今日は朝出がけに鞄のなかにステンレスボトルと颯真が買ってきてくれた茶葉を入れて出社し、業務終了後の十分ほどでロイヤルミルクティを煎れてここに持ち込んだのだ。
 尚紀が少し呆れたような声を出す。
「……社長がそんなことしてたら、社員の方は驚くんじゃ……」
 その指摘に潤も苦笑した。
「うん。給湯室で茶葉煮出してたら、同じフロアの秘書課の女性が来て……。ちょっと引いてた」
 そう素直に告白すると、尚紀が笑う。
「まさか、社長がそんなことしてるとは思わないですよね」
「かもね。家では結構やるんだけど、さすがに会社ではね。ランチの時も秘書課の人にやってもらってるから、社長何やってるんですか! って問い質された」

 尚紀の笑顔に潤も笑みを浮かべる。
「本当にありがとうございます。美味しいです。茶葉の香りがすごい」
 僕、ミルクティ好きなんです、と尚紀が潤を見る。
「うん。そう颯真から聞いた」
「え、颯真先生が?」
「ベッドサイドにミルクティのペットボトルが置いてあるって。よく見てるよね」
 潤は苦笑する。たぶん、颯真は自分の番にする相手だから、よく見ているのだ。
「僕の好みもモロバレですね」
 尚紀も笑った。


「ペア・ボンド療法がうまくいったら、退院できるんだよね?」
 潤がそう問うと、尚紀も頷く。

「はい。なにもなければ年明けには……」
「この茶葉は颯真が、この病院の近くにある専門店で買ってきてくれたものなんだ。年が明けて、元気になったら一緒に美味しいお茶を飲みに行こう」
 潤の誘いに、尚紀が嬉しそうに頷いた。


 来年になったら。元気になったら。
 それは今の尚紀にとって、希望なのかもしれない。


「元気になったら、モデルに復帰するんだよね?」
 潤のさらなる質問に、尚紀は少し躊躇って頷いた。

「ええ……。前の番に勧められたことなのですけど、僕にはこれしかないですから」


「前の番の方は、そういう芸能関係のお仕事をされていたの?」
 具体的に話を聞くのは失礼かと思ったが、やはり尚紀の咬み後を付けた人物が、どんな人間だったのか。潤は気になっていた。モデルという天職を持つ彼に、あんな痛々しい一生の傷を付けた人間はどんな人間だったのか。

「はい。そういう方向にも顔が広い人でした」

 その答えが少し曖昧でひっかかる。

「どんな人だったのか……聞いてもいい?」


 その潤の質問に、尚紀が困ったような表情を浮かべた。
「自分勝手な人でした」

 口から上ったのは意外な言葉だった。
「項を噛んで僕を縛り付けたのに、普段はどうでもいいように扱って、でも、振り回して……」
 尚紀が、形のいい下唇を噛む。
「僕にショービジネスの世界を見せてくれた人なので、感謝はしています。でも、愛おしいと思ったことは一度もないし、どんな人だったのかなんて……一言で言うなら、酷い人でしたよ……」


「……」
 言葉を失う潤に、尚紀が逆に謝る。
「すみません……」
 潤は首を横に振って、尚紀を再び抱き寄せた。
「謝るのは僕の方だ。無神経なことを聞いてごめん。もう考えなくていいから」

 尚紀は望んで番となったわけではなかったのだ。
 番契約は一般的に、望んで望まれてなるものだと言われている。しかし、アルファが一方的にオメガの項を噛むことで成立するこの関係性が、綺麗なことばかりで存在しているわけなどなく、中には無理矢理番にされたオメガだっていることくらい、潤にも分かっている。
 しかし、いつも笑顔を絶やさない尚紀に、そんな辛い過去があるとは。完全に予想していなかった。

 潤の背中に、尚紀の腕が回ったのがわかった。
 ため息を漏らすような、少し気怠げな尚紀の声が耳元でする。
「正直、まだあの人のことが身体に染みついていて……」

 尚紀は新たな番となるアルファと共に人生を歩むと決めたからこそ、ここに居て、ペア・ボンド療法を受けると決意した。しかし実際は、既に亡いアルファの、身体から抜け切らない影響が、僅かな感情の機微をきっかけに大きな波となって尚紀に押し寄せてきているらしい。

 潤は猛烈に自分の浅はかな判断を後悔していた。

「治療前にナーバスになっているのに、変なことを聞いたね」

「潤……先輩。ごめんなさい……」
 なにを謝ることがあるというのだろう。潤は労るように、尚紀の背をさする。
 もっとこの青年に寄り添いたかった。


「尚紀さん、もう僕に『先輩』って付けるのやめない?」
「え?」
 突然の提案に、尚紀が驚く。
 おそらく尚紀は颯真と番うのだろう。となると、自分は彼の義弟になる。颯真の番なら、自分にとっても大切な人だ。

「潤、でいいよ」
 尚紀が、慌てたようにえ、え、と繰り返す。それが、嫌がっているようには見えなくて、潤は苦笑した。

「潤……さん?」
「さん? 付ける?」
 潤が苦笑すると、会社の社長さんですし、年上ですから、と尚紀は律儀だ。

「僕の秘書なんてプライベートでは呼び捨てだけどな」
 潤はそう独りごちる。
「潤さん……。じゃあ僕も『さん』はやめて、尚紀って呼んでください」
「え、僕はいきなり呼び捨てなの? ハードル高くない?」
 そう潤が言うと、尚紀は笑みを浮かべる。
「潤さんは、なんかお兄さんみたいだ。僕は二人兄弟の次男だったのですけど、潤さんにそう言われるとなんか嬉しいです」

「そっか。尚紀」
 どこかくすぐったい。でも、尚紀は嬉しそうに、はい、と応じた。

「僕も弟がほしかった。嬉しいよ」
 彼が、颯真の番となり「義兄」という立場になっても、自分は彼のことを弟のように思うのだろうと思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

たとえば、俺が幸せになってもいいのなら

夜月るな
BL
全てを1人で抱え込む高校生の少年が、誰かに頼り甘えることを覚えていくまでの物語――― 父を目の前で亡くし、母に突き放され、たった一人寄り添ってくれた兄もいなくなっていまった。 弟を守り、罪悪感も自責の念もたった1人で抱える新谷 律の心が、少しずつほぐれていく。 助けてほしいと言葉にする権利すらないと笑う少年が、救われるまでのお話。

月弥総合病院

僕君・御月様
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

双葉病院小児病棟

moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。 病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。 この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。 すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。 メンタル面のケアも大事になってくる。 当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。 親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。 【集中して治療をして早く治す】 それがこの病院のモットーです。 ※この物語はフィクションです。 実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。

【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ
BL
 渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。  もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。  オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。  ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。  特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。  でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。  理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。  そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!  アルファポリス限定で連載中

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ/Ⅱ

MITARASI_
BL
I 彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。 「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。 揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。 不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。 すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。 切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。 Ⅱ 高校を卒業し、同じ大学へ進学した陸と颯馬。  別々の学部に進みながらも支え合い、やがて同棲を始めた二人は、通学の疲れや家事の分担といった小さな現実に向き合いながら、少しずつ【これから】を形にしていく。  未来の旅行を計画し、バイトを始め、日常を重ねていく日々。  恋人として選び合った関係は、穏やかに、けれど確かに深まっていく。  そんな中、陸の前に思いがけない再会をする。  過去と現在が交差するその瞬間が、二人の日常に小さな影を落としていく。  不安も、すれ違いも、言葉にできない想いも抱えながら。  それでも陸と颯馬は、互いの手を離さずに進もうとする。  高校編のその先を描く大学生活編。  選び続けることの意味を問いかける、二人の新たな物語。 続編執筆中

Ωの僕がヒート相手のαから逃げる話。

ミカン
BL
オメガバース

死がふたりを分かつまで

やまだ
BL
生まれつき体の弱い奏(Ω)が願いを叶えるまでのお話。

処理中です...