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1章 一人のオメガと二人のアルファ
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「なに……これ」
潤は手に取る。あまり見かけない錠剤であるということは、抑制剤ではないのかもしれない。
やけに大きめの包装を裏返すと、メルト製薬の文字が印刷されている。
「モーニングアフターピルだ」
潤は言葉を失った。そして思わず、自分の下腹部に手を添えた。
そうだった。アルファとオメガが発情期に身体を重ねれば、妊娠する可能性は高くなる。もちろん、それは兄弟といえども同じだろう。
「さすがにお前を妊娠させるわけにはいかないからな」
颯真の口調は一切の冗談を含んでいない。当然だ。潤は唇を噛んだ。
「副作用は少ないはずだけど、気分が悪くなったりしたら言って」
モーニングアフターピルは、アルファとオメガ間の性交渉において避妊に失敗した場合に、望まない妊娠を避けるために服用する緊急避妊薬だ。性交渉後に一定の時間内に服用することで、約九割の場合が避妊に成功するとされている。オメガが使う薬剤は、女性が服用するものと成分が異なり、専用のフェロモン剤となっている。
あのとき、颯真は避妊をしていなかった。
それは潤も何となく分かっていた。確認したわけではなく、あの瞬間に胎内で颯真のものが注がれている感覚が確かにあったのだ。
やむを得ないとはいえ、兄弟で身体を重ねる行為を犯したのに、その上、妊娠なんてしたら……。
しかも、潤はまさに今この瞬間まで、颯真からこの錠剤を出されるまで、その可能性を全く考えていなかった。
自分の不覚さに、戦慄きを覚えた。
妊娠するかもしれない、しかもその相手が自分の双子の兄であるかもしれないという事実。
二人の秘密として胸に秘めて終わらせることが出来ない、後戻りができない領域に立ち入ってしまったような気がして、背筋が冷える。
颯真から錠剤を受け取り、包装に手をかける。
しかし、ピルを飲んだからといって、昨夜の行為が帳消しになるわけではない。服用するのは当然としても、やはり確認はしておきたい。
あのさ、と潤が呟く。
颯真が、なに、と問い返してきた。
「颯真には本当に感謝しかないよ。あんなに身体を張って、治療に付き合ってくれて……」
潤が探るようにそう切り出すと、颯真が一言、それは違うな、と否定した。
「俺は治療でお前を抱いたつもりはない」
潤は、颯真を恐る恐る見た。治療でなかったならば、何なのだ。その先を、明らかにしなければと思いながらも、その先の言葉を紡ぐことができない。もしかして、この先は自分が聞いてはいけないことかもしれないと、本能が警笛を鳴らし始める。
「潤」
颯真が顔を覗き込んでくる。昨日、あのようなことをし合ったのだ。潤が思わず視線をかわすと、逃げるなよ、と颯真に指摘された。
心外だ。逃げているつもりはない。潤も応じる。
「俺はもう隠すつもりはないんだ」
颯真を見ると、驚いたことに緊張しているようだった。表情が硬い。
嫌な予感がする。
颯真に見据えられる。掴まれる腕が少し痛い。
「お前のことを愛している。もちろん俺たちは血が繋がった兄弟だ。だけど、お前は俺のオメガだ」
何を言われたのか、最初は分からなかった。
颯真の言葉なのに、すっと入ってこなかった。
何も反応できなかった。
「僕が……颯真のオメガ……?」
言葉に出して反すうする。何を言われたのかは分かったが、自分のことを、いかにも所有物として扱われている事実が意外で、受け止めきれない。
「そうだ。発情期に、お前は俺を求めた。俺もお前を求めた」
「違う…」
とっさに潤は否定する。
「なにが? お前は確実に俺の香りに惹かれていた。俺だってそうだ」
身に覚えのある香りを思い起こす。
今日の颯真はその香りをまとっていないが、一昨日の夜はむせかえるほどの魅惑的な香りを振りまいていた。
「だってそれは、近くにいたアルファだから……」
「本当にそう思っているのか」
颯真に追い詰められた気がした。
「単にアルファとオメガが近付けば、あんなふうになるとでも思っているのか?」
潤も仕方なく首を横に振る。いくら抑制剤を日常的に服用しているといっても、そのようなことでは、日常生活がままならない。あくまでアルファとオメガでも相性はある。そして香りで惹かれ合うというのは、相性は悪くないということだろう。
「俺が近くにいたから、お前が俺の香りに反応したと思っているか? お前の香りはずっと俺を誘っていたぞ」
一昨日のことは潤にも記憶がある。
あの時は理性のコントロールがきかなかった。そんなものは脇に置かれていて、本能に忠実でどうにもならなかった。あのときの判断はああするしかなかったのだ。今どんなに後悔したとしても。
「お前はずっと俺を誘っていた。現に、お前の中は俺を迎え入れて、ずっと喜んでいた」
颯真のあからさまな表現に潤は耳を押さえたい気分だ。まさかそのようなことを指摘されるなんて。
「やめて……」
いつもは嫌がることをしない颯真が、潤を追い詰める。
「いや。今回は、お前はちゃんと見るべきだ」
颯真が潤の手首を掴む。
それを潤が反射的に振り切る。
「颯真!」
「もう記憶がないとも言わせない」
「颯真はおかしい!」
潤が、断ち切るように叫ぶ。すると、颯真は怒るどころか、意外なほどに落ち着いて、自嘲的な笑みを浮かべた。
「そうだな。俺もそう思うよ。想いすぎたのかもしれない。お前が愛おしすぎて、欲しくて欲しくて堪らない。俺自身がとうにおかしくなってしまっているんだろうな」
頭ごなしの否定さえ受け入れてしまう颯真に、潤はどうしていいのか分からない。
兄の真意が分からなかった。自分が罪深いと後悔した行為を肯定し、さらには兄弟なのに愛情を受け入れろ、と。
混乱した潤の瞳から、涙がはらはらと落ちる。
颯真の指が潤の頬に触れようとする。
「潤……」
すんでのところで、潤が颯真の手を叩く。
「いやだ。触れるな」
颯真の手が、指が怖かった。あれに触れられたら、自分は何かを失う気さえする。
誰よりも信頼する兄であり、大切な片割れであるはずだった。
ずっと一緒にいて、さまざまな価値観を二人のなかで共有してきた。ずっとそんな人生を歩んできたはずなのに……。
潤にとって、生まれて初めて森生颯真という人間が、分からなくなっていた。
逃げるようにリビングを飛び出した。
一人のオメガと二人のアルファ【了】
潤は手に取る。あまり見かけない錠剤であるということは、抑制剤ではないのかもしれない。
やけに大きめの包装を裏返すと、メルト製薬の文字が印刷されている。
「モーニングアフターピルだ」
潤は言葉を失った。そして思わず、自分の下腹部に手を添えた。
そうだった。アルファとオメガが発情期に身体を重ねれば、妊娠する可能性は高くなる。もちろん、それは兄弟といえども同じだろう。
「さすがにお前を妊娠させるわけにはいかないからな」
颯真の口調は一切の冗談を含んでいない。当然だ。潤は唇を噛んだ。
「副作用は少ないはずだけど、気分が悪くなったりしたら言って」
モーニングアフターピルは、アルファとオメガ間の性交渉において避妊に失敗した場合に、望まない妊娠を避けるために服用する緊急避妊薬だ。性交渉後に一定の時間内に服用することで、約九割の場合が避妊に成功するとされている。オメガが使う薬剤は、女性が服用するものと成分が異なり、専用のフェロモン剤となっている。
あのとき、颯真は避妊をしていなかった。
それは潤も何となく分かっていた。確認したわけではなく、あの瞬間に胎内で颯真のものが注がれている感覚が確かにあったのだ。
やむを得ないとはいえ、兄弟で身体を重ねる行為を犯したのに、その上、妊娠なんてしたら……。
しかも、潤はまさに今この瞬間まで、颯真からこの錠剤を出されるまで、その可能性を全く考えていなかった。
自分の不覚さに、戦慄きを覚えた。
妊娠するかもしれない、しかもその相手が自分の双子の兄であるかもしれないという事実。
二人の秘密として胸に秘めて終わらせることが出来ない、後戻りができない領域に立ち入ってしまったような気がして、背筋が冷える。
颯真から錠剤を受け取り、包装に手をかける。
しかし、ピルを飲んだからといって、昨夜の行為が帳消しになるわけではない。服用するのは当然としても、やはり確認はしておきたい。
あのさ、と潤が呟く。
颯真が、なに、と問い返してきた。
「颯真には本当に感謝しかないよ。あんなに身体を張って、治療に付き合ってくれて……」
潤が探るようにそう切り出すと、颯真が一言、それは違うな、と否定した。
「俺は治療でお前を抱いたつもりはない」
潤は、颯真を恐る恐る見た。治療でなかったならば、何なのだ。その先を、明らかにしなければと思いながらも、その先の言葉を紡ぐことができない。もしかして、この先は自分が聞いてはいけないことかもしれないと、本能が警笛を鳴らし始める。
「潤」
颯真が顔を覗き込んでくる。昨日、あのようなことをし合ったのだ。潤が思わず視線をかわすと、逃げるなよ、と颯真に指摘された。
心外だ。逃げているつもりはない。潤も応じる。
「俺はもう隠すつもりはないんだ」
颯真を見ると、驚いたことに緊張しているようだった。表情が硬い。
嫌な予感がする。
颯真に見据えられる。掴まれる腕が少し痛い。
「お前のことを愛している。もちろん俺たちは血が繋がった兄弟だ。だけど、お前は俺のオメガだ」
何を言われたのか、最初は分からなかった。
颯真の言葉なのに、すっと入ってこなかった。
何も反応できなかった。
「僕が……颯真のオメガ……?」
言葉に出して反すうする。何を言われたのかは分かったが、自分のことを、いかにも所有物として扱われている事実が意外で、受け止めきれない。
「そうだ。発情期に、お前は俺を求めた。俺もお前を求めた」
「違う…」
とっさに潤は否定する。
「なにが? お前は確実に俺の香りに惹かれていた。俺だってそうだ」
身に覚えのある香りを思い起こす。
今日の颯真はその香りをまとっていないが、一昨日の夜はむせかえるほどの魅惑的な香りを振りまいていた。
「だってそれは、近くにいたアルファだから……」
「本当にそう思っているのか」
颯真に追い詰められた気がした。
「単にアルファとオメガが近付けば、あんなふうになるとでも思っているのか?」
潤も仕方なく首を横に振る。いくら抑制剤を日常的に服用しているといっても、そのようなことでは、日常生活がままならない。あくまでアルファとオメガでも相性はある。そして香りで惹かれ合うというのは、相性は悪くないということだろう。
「俺が近くにいたから、お前が俺の香りに反応したと思っているか? お前の香りはずっと俺を誘っていたぞ」
一昨日のことは潤にも記憶がある。
あの時は理性のコントロールがきかなかった。そんなものは脇に置かれていて、本能に忠実でどうにもならなかった。あのときの判断はああするしかなかったのだ。今どんなに後悔したとしても。
「お前はずっと俺を誘っていた。現に、お前の中は俺を迎え入れて、ずっと喜んでいた」
颯真のあからさまな表現に潤は耳を押さえたい気分だ。まさかそのようなことを指摘されるなんて。
「やめて……」
いつもは嫌がることをしない颯真が、潤を追い詰める。
「いや。今回は、お前はちゃんと見るべきだ」
颯真が潤の手首を掴む。
それを潤が反射的に振り切る。
「颯真!」
「もう記憶がないとも言わせない」
「颯真はおかしい!」
潤が、断ち切るように叫ぶ。すると、颯真は怒るどころか、意外なほどに落ち着いて、自嘲的な笑みを浮かべた。
「そうだな。俺もそう思うよ。想いすぎたのかもしれない。お前が愛おしすぎて、欲しくて欲しくて堪らない。俺自身がとうにおかしくなってしまっているんだろうな」
頭ごなしの否定さえ受け入れてしまう颯真に、潤はどうしていいのか分からない。
兄の真意が分からなかった。自分が罪深いと後悔した行為を肯定し、さらには兄弟なのに愛情を受け入れろ、と。
混乱した潤の瞳から、涙がはらはらと落ちる。
颯真の指が潤の頬に触れようとする。
「潤……」
すんでのところで、潤が颯真の手を叩く。
「いやだ。触れるな」
颯真の手が、指が怖かった。あれに触れられたら、自分は何かを失う気さえする。
誰よりも信頼する兄であり、大切な片割れであるはずだった。
ずっと一緒にいて、さまざまな価値観を二人のなかで共有してきた。ずっとそんな人生を歩んできたはずなのに……。
潤にとって、生まれて初めて森生颯真という人間が、分からなくなっていた。
逃げるようにリビングを飛び出した。
一人のオメガと二人のアルファ【了】
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