FORBIDDEN【オメガバース】

由貴サクラ

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2章 一人のアルファで一人の兄で

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 メルトは米国に本社を置く製薬企業だ。米国本土はもちろん、日本をはじめとしたアジア圏、そしてヨーロッパと各国に現地法人を置き、幅広くグローバルで展開している。得意領域はオメガのフェロモン抑制剤やアルファのヒート抑制剤に代表されるアルファ・オメガ領域で、各市場で大きなシェアを持つ。
 最近では三年前に米国で、そして一昨年は日本で初めてオメガの発情期を促すフェロモン誘発剤を上市し、オメガのフェロモンコントロールを容易にするものとして話題を攫った。

 メルト製薬は、この米メルトの日本法人だ。戦後の高度成長期前後から半世紀以上にわたり日本で展開しており、外資系製薬企業でもかなりの古参となる。
 得意領域は森生メディカルともかなり被るが、アルファ・オメガ領域製剤と抗がん剤領域。その中でもアルファ・オメガ領域ではトップを走るリーディングカンパニーだ。

 そのメルト製薬を率いているのが、この目の前にいる長谷川孝太郎だった。
 年齢はおそらく七十に近いだろう。メルト製薬を一人で二十年以上率いている、ベテランの社長である。
 専門分野とはいえ、外資系企業の日本法人を日本人が二十年以上トップであり続けるというのは、いくら有能でも並大抵の努力では叶わないだろう。
 普段はあまり表に出てこない人だが、その経験と状況を見抜く嗅覚、ビジネスチャンスを逃さない判断力はずば抜けており、経営手腕は業界でも随一と噂される。

 さらに言うのであれば、驚くべきことに長谷川はオメガである。マスコミなどの報道によると、自身には長く連れ添う番がおり、子供はもちろん孫もいると聞く。
 この製薬業界を見ても、オメガの社長がここまで長く社長を務めるケースは稀だ。潤にしても、オメガの社長として知るのは母親の茗子と、この長谷川くらいなものである。


 大路は溜息を吐く。
「長谷川さんにそう言われましたらなあ。それでは、森生社長、また」

 大路はあっさりと長谷川に譲り、潤を解放したのであった。



「ありがとうございます。正直助かりました」
 潤が素直に礼を言うと、長谷川が苦笑した。
「少し離れたところから拝見していて、お困りのようだと思いまして」

 正直言えば困ったようには思っていなかったが、あのまま大路が引かなければどうなっていただろうとは思う。あのまま醜態を晒していたのかもしれないと思うと、長谷川の仲裁は有り難かった。

「そんなに顔に出ていましたか……」
 潤が自分の頬に手を添えると、長谷川は首を横に振った。
「いえ。空気が少し異様だったので、お声を掛けた方がよいかと思ったまでですよ」
 大路と他愛ない話をするだけでそんなに空気が悪くなっていたのかと潤は意外に思う。


「普段お見かけするより、随分痩せられたようだ」
 その長谷川の口調で気遣いであることが分かった。オメガ同士ということで、潤も素直に頷く。

「大丈夫です。少し発情期が長びきまして……」
 すると長谷川は穏やかに頷いた。
「それは大変でした。あまり無理をなさらないように」

 この長谷川の終始受け止めて包み込むような雰囲気に潤も素直に頷く。
「ありがとうございます」


 すると再び横から声が掛かった。
「森生社長! ようやく見つけました! 長谷川さんもご一緒でしたか」
 見ると、同年代の青年が立っている。潤とは顔見知り、昨年密着取材を受けた、番組製作の若手ディレクターだった。潤には同じ年代ながらも擦れていない真っ直ぐな姿勢がとても好感を持てた人物だ。


 名前は確か……。


「片桐さん……?」
 潤はようやく思い出す。潤のなかであまりこの人物を名前で認識しておらず、一瞬名前が出てこなかったのだ。名刺の字面を思い出す。MTV……、メトロポリタンテレビの片桐要。

「そうですそうです! 片桐です。覚えていてくださってよかった。明けましておめでとうございます」


 片桐は、潤が名前を忘れかけていたことに気分を害すこともなく、潤と長谷川に新年の挨拶をする。なんとポジティブ思考な人なのだろうと潤は思う。
 片桐が頭を深く下げて、今年もよろしくお願いします、と挨拶をするものだから、潤もそれに応じ、さらに長谷川にも改めて挨拶をした。


 すると、長谷川がこっそりと潤に打ち明ける。
「私は所用でそろそろ失礼しますが、森生社長とは近くいろいろとお話できればと思います」
 潤が顔を上げると、長谷川の穏やかな瞳とかち合った。
「ここではいろいろな目や耳があって難しいのでね」

 なるほどと思う。これも、接触の一つなのかもしれない。潤は頷く。
「同感です」


 長谷川が片桐を見る。
「僕はこれで失礼するけど、片桐くんもほどほどにね」
 すると驚いたのは片桐だ。
「え、長谷川さん帰っちゃうんですか」
「僕も忙しいんだよね。またね」

 長谷川はひらひらと手を振って去って行く。
 まるで飼い主に置いていかれた犬のような顔をする片桐に、潤は話しかける。
「長谷川社長とは随分親しいんですね」
 すると片桐は笑った。
「何年か前、初めて密着取材を受けて頂いたのが長谷川社長で……、以来親しくさせていただいています」
 気さくな方で、いろいろと勉強させていただています、と片桐は笑う。自分の子供よりも若いディレクターに付き合ってくれるんですから、懐深い方ですよね、と片桐が呟いた。
 確かに長谷川の懐は広いと潤は思う。大路と潤の対峙を難なく収めてしまうのを目の当たりにしたばかりだ。しかし、この業界で二十年以上、外資系企業の社長をしている人物が懐が深いだけでその地位に留まっていられるかというと、そうではないと思う。

 そうかと潤は気が付いた。
 片桐は長谷川を味方につけているのだ。長谷川にとっても片桐と付き合っていると、なにかしらのメリットが得られるのだろう。密着取材を受けているときは、単に真っ直ぐで人がよい青年という印象しか持たなかった潤だが、その印象を少し改める必要がありそうだと感じた。


 潤は片桐に取材ですか? と問うた。この催しにはマスコミ関係者も多数取材に参加している。時々新聞社の記者に捕まったりするのだ。


「ええ、普段は会うことさえままならない社長さんが多数いらっしゃっていますからね! 森生社長にもご挨拶したかったのです。お若いからすぐに見つかると思ったのですが、これだけ人がいると、探すのにひと苦労ですよ」
 片桐が苦笑する。

 
「年末の放映はまだ拝見したいないのですが、すごくきっちりと作られていたと聞きましたよ」
 潤はねぎらいのつもりでそう切り出す。自分が観ていないのは心苦しいが。
「まだご覧頂いていないんですか。残念だなあ」
 潤も素直に謝罪する。
「すみません。年末年始に体調を崩したんですよ」
「それは大変だ。もう大丈夫ですか?」
「そこはお気遣いなく。後で拝見します。自分が映っているだけなので、照れますけどね」

 片桐が嬉しそうに潤を見る。
「実はかなり反響があったんです。森生社長の手腕がアルファの社長並だと」
 潤は苦笑する。
「……いや、それは。言い過ぎでしょう」
 
 しかし片桐は腕を組んで頷いた。
「私としては狙いどおりでとても嬉しいですけどね。森生社長のように優秀なオメガの方は、その能力に合った仕事をするべきだとわたしは思います。
 わたしが作った番組が、偏見解消の一助になれば、本当に嬉しいです」

 潤は沈黙した。
 やっぱり熱い男だなと思う。確かに性別に関係なく、その能力に合った仕事をする、というのには同意だ。
 しかし、オメガの社長の仕事がアルファ並というのは、やはりアルファがこのような仕事をするべきという固定概念があるからこそ出てくる考え方にも思える。潤は、職業の適性においてアルファ、ベータ、オメガの性差は関係ないと思うのだ。


「片桐さん、仰る通りです。今弊社には約四千人の社員がいて、その生活が私の肩にかかっています。そしてその家族や関係会社を含めるとざっと万単位になる。さらに、我が社の薬剤を使ってくださるドクターや患者様に対しても責任がある」

 この間の発情期の時、病院に向かう車の中で何を思ったかと、ふと思いが過ぎった。
 どのような社会的に重く責任の伴う立場にあっても、ひとたび発情期が訪れてしまえば単なるオメガにすぎない……。
 潤はあの時の感情に、そっと蓋をする。


「私はそういう姿勢で仕事をしているだけです。経営者は皆同じです。そこにアルファとベータとオメガの性を考慮する必要は全くないと思いますよ」

 片桐は眼を大きく開く。そして何度か頷く。潤の微妙なニュアンスが伝わったようだ。
「そうですね。そのとおりだと思います」

 この人物の柔軟性の高さに潤は内心驚いたのだった。
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