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2章 一人のアルファで一人の兄で
(29)
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「颯真……」
目の前の颯真を確認して、潤はどうしていいのか分からなくなった。
足が後ずさり、扉が背中に当たった。
とっさの行動で、振り返ってドアを開けようとしたが、背後から腕を掴まれた。
力任せに振り切ろうとしたものの、相手の力が強くてそれも叶わない。
それでも思い切り身体を捻って、その手から逃れようとすると、逆にその力を利用されて、気が付けば、颯真に肩と腕を掴まれ、扉を背にして追い込まれていた。
目の前には、スーツ姿の颯真がいる。両手は自由にならない無防備な姿勢だ。
久々に見る片割れの顔。表情。真剣な眼差しに胸の鼓動が速くなる。
まっすぐ視線を向けてくる颯真から逃れたくて、潤は顔をそらして口を開く。
「……痛い」
潤の呟きに、颯真が気が付いて手の力を緩めた。
潤も自由になった腕をかばう。
「悪い」
「……ううん」
嫌な、重い沈黙が舞い降りた。
潤にとっては驚きが先に来てしまい、まともに颯真の顔を見ることが出来ない。
本当は、颯真のことは心配だった。一ヶ月会っていなかったし、最後に会ったのも、ほんの一瞬。
どうしているのか、元気なのか。そして、あの時のことをどう思っているのか。知りたいと思っていた。
ちらりと視線を上げると颯真の胸元が視界に入る。ネイビーベースのスーツに、白いワイシャツ、そしてブルーのドット柄のネクタイ。
見覚えがある柄だ。このネクタイは、潤が颯真に贈ったものだ。昨年の二人の誕生日は、ネクタイを贈り合った。共有しているものも多いが、お互い似合う柄を贈り合おうと、横浜のなじみの店をあれやこれやと巡り歩いた。ブルーの水玉模様は、知的な颯真に絶対に合う柄とその時潤が選んだのだ。以来、颯真はこのネクタイを好んで身に着けているのを知っている。
この人は自分の実兄なのだという実感がこみ上げてくる。颯真は颯真だ。
大丈夫、怖くない。これまで怖かったことなんてないのだから。
そう思って、目の前の颯真にわずかな恐怖を感じていたことに潤は気付く。発情期の、アルファに逆らえない感覚を思い出してしまったためかもしれない。
「なんでここに……」
口から漏れるように出た問いを、颯真が汲み取る。
「廉から連絡をもらった」
そんなの、分かってる……。
ここに颯真を招き入れることが出来るのは、親友の秘書室長しかいない。江上には颯真を呼ぶなとは言わなかったが、伝わっていると思っていたのに。
そんな困惑がすべて顔に出ていたようで、颯真がふっと表情を緩めた。
「……そんな困った顔するなよ。嫌がることはしないから、とりあえず座れ」
そう言われて、打ち合わせ用の二人掛けソファに座らされた。
颯真も隣に腰掛ける。
見れば颯真の足許には、ドクターバッグが置かれている。
本当に、こんなところまで往診に来てくれたのだ。
颯真は穏やかな表情で話しかけてきた。
「一ヶ月ぶりだよな。元気だったか」
思えば颯真と会ったのは、年明けの四日。実家で偶然。あの時は気持ちが追い付かず、本当に大した会話も交わさなかった。
「うん……」
「体調に変化は?」
颯真はあくまで事務的に聞いてくる。
そうかと潤も気づく。これは問診だ。
目の前にいるのは、兄ではなく主治医。皮肉なことにそう思うと、わずかに気持も落ち着く。
「……少し匂いが気になる。同期にそう言われて」
そう訴えると、颯真は頷いた。
「そうか。じゃあまずはフェロモン量を計ろうか」
ジャケット脱いでくれる? と颯真が言う。潤も無言で頷く。社長室で診察が始まった。
潤はジャケットを脱いでベスト姿になると、再びそれをソファに掛けた。
潤が身支度を調えているうちに、同じようにジャケットを脱いだ颯真が、左腕の袖を捲るように指示する。
「まずは採血な」
ドクターバッグから取り出したのは採血キット。
「いいか、触れるぞ」
颯真がそう確認してきたので、潤は頷いた。
手慣れた仕草で潤の腕を取る。しっとりとした温かい手。颯真の手だと、潤はしみじみ感じた。
颯真は、駆血帯を巻いた肘下から器用に血管を探り出して、血液を採取する。
それを持参してきた簡易検査機にかけると、今のフェロモン分泌量が分かるらしい。フェロモン量は、現在のオメガのフェロモン治療では欠かせない診断指標になっている。
一昔前までは、院内の検査部で大きな機械にかけて行われていたらしいが、今では持ち運び可能な簡易な検査機で、わりと短時間で多くの情報が分かるようになってきているという。医療技術の進歩はすさまじい。
その間に、颯真が潤の手をとり、脈を診る。
室内はしんと静まりかえっている。もともとビルの高層階にあるため、外からの音もあまりしない。
優しく添えられる颯真の指が温かい。これまで、颯真が自分の手を取るなんて、何度も……それこそ数え切れないほどあったはずなのに、今はとても緊張している。
気持ちの整理が追い付く前に、状況が急変していて動揺しているのだ。
「久々だから緊張してるかな。ちょっと脈飛んでる」
颯真の呟きに潤は何も言えなくなる。自分の動揺などバレバレのようだ。すると颯真が、ちょっとごめんなと断って、腹部に手を添えた。少しどきっとしたが、颯真に大きくお腹から息を吸ってごらんと促され、お腹を膨らませるようにとアドバイスされる。素直にスーハーと深い呼吸を繰り返すうちに、少し気持ちも落ち着いてきた。
「少し疲れが溜まってたり、ストレスが溜まってたりすると脈が飛んだりするから。体調管理に気をつけて」
体重もまだ戻ってないみたいだしな、と颯真が鋭い視線を覗かせた。
「じゃあ、ベストとネクタイも取って、ワイシャツのボタンを開けてくれる?」
颯真がドクターバッグから聴診器を取り出す。潤も言われたとおりに、ベストを脱いでネクタイを外す。いつもの診察の順番だ。
颯真が優しい目を向けてきた。
「じゃあ、胸の音聴かせてね」
颯真が聴診器のイヤーチップを装着して、ワイシャツの下のインナーの裾から手を入れる。
少しひんやりとしたものが胸を、肌を滑った。目の前には颯真の姿。真剣な目つきで聴診を行っている。長いまつげと意志が強そうな眉。そして真剣な目つき。きゅっと閉じた唇が、真摯に職務に向かう姿勢を表しているようにも思える。
これが、自分の双子の兄で、自分の番だと言い放つアルファ。
ふと潤の視線に気が付いたのか、颯真が視線を流してきた。潤は思わず目を閉じてしまった。目に入るものすべてを認識していたら、心拍数が上がりそうだ。
胸のあたりを颯真が動かす聴診器のチェストピースが触れる。その手がインナーの中でうごめく。
兄の手であるはずなのに、今の自分には少し違うようにも思えて仕方ない。
颯真の手を見ていると、変な気持ちになって仕方ない。
自分はこの人に抱かれたのだという実感が何故かひしひしと沸いてくるのだ。
あの手で愛撫されてイカされて、あの口で愛撫されて、口付けを交わして。……いやいや、まずいと冷静になれと、自分自身に言い聞かせる。
颯真に、自分のオメガだと言われた。
颯真は、アルファで医師で、見た目も美丈夫な好青年だ。普通に考えれば、颯真は世間的にいうところの「スペックが高い」アルファだ。
こんなに優しくて、温かい手を持つアルファに言われたら、普通は嬉しいだろう。
……でも、と潤は思う。
僕のオメガの部分はどうなのだろう。
「少し速いけど、こんなもんかな」
そう呟いて颯真が聴診器のイヤーチップを外して、首にかけた。そういう何気ない姿も様になっていると潤は感じる。
するとピーッと検査キットが鳴り、先程の採血結果が判明したらしい。
その結果は颯真が持参したタブレットにすぐに送信される仕組みらしい。
タブレットを確認する颯真の眉間がわずかに寄せられた気がした。
目の前の颯真を確認して、潤はどうしていいのか分からなくなった。
足が後ずさり、扉が背中に当たった。
とっさの行動で、振り返ってドアを開けようとしたが、背後から腕を掴まれた。
力任せに振り切ろうとしたものの、相手の力が強くてそれも叶わない。
それでも思い切り身体を捻って、その手から逃れようとすると、逆にその力を利用されて、気が付けば、颯真に肩と腕を掴まれ、扉を背にして追い込まれていた。
目の前には、スーツ姿の颯真がいる。両手は自由にならない無防備な姿勢だ。
久々に見る片割れの顔。表情。真剣な眼差しに胸の鼓動が速くなる。
まっすぐ視線を向けてくる颯真から逃れたくて、潤は顔をそらして口を開く。
「……痛い」
潤の呟きに、颯真が気が付いて手の力を緩めた。
潤も自由になった腕をかばう。
「悪い」
「……ううん」
嫌な、重い沈黙が舞い降りた。
潤にとっては驚きが先に来てしまい、まともに颯真の顔を見ることが出来ない。
本当は、颯真のことは心配だった。一ヶ月会っていなかったし、最後に会ったのも、ほんの一瞬。
どうしているのか、元気なのか。そして、あの時のことをどう思っているのか。知りたいと思っていた。
ちらりと視線を上げると颯真の胸元が視界に入る。ネイビーベースのスーツに、白いワイシャツ、そしてブルーのドット柄のネクタイ。
見覚えがある柄だ。このネクタイは、潤が颯真に贈ったものだ。昨年の二人の誕生日は、ネクタイを贈り合った。共有しているものも多いが、お互い似合う柄を贈り合おうと、横浜のなじみの店をあれやこれやと巡り歩いた。ブルーの水玉模様は、知的な颯真に絶対に合う柄とその時潤が選んだのだ。以来、颯真はこのネクタイを好んで身に着けているのを知っている。
この人は自分の実兄なのだという実感がこみ上げてくる。颯真は颯真だ。
大丈夫、怖くない。これまで怖かったことなんてないのだから。
そう思って、目の前の颯真にわずかな恐怖を感じていたことに潤は気付く。発情期の、アルファに逆らえない感覚を思い出してしまったためかもしれない。
「なんでここに……」
口から漏れるように出た問いを、颯真が汲み取る。
「廉から連絡をもらった」
そんなの、分かってる……。
ここに颯真を招き入れることが出来るのは、親友の秘書室長しかいない。江上には颯真を呼ぶなとは言わなかったが、伝わっていると思っていたのに。
そんな困惑がすべて顔に出ていたようで、颯真がふっと表情を緩めた。
「……そんな困った顔するなよ。嫌がることはしないから、とりあえず座れ」
そう言われて、打ち合わせ用の二人掛けソファに座らされた。
颯真も隣に腰掛ける。
見れば颯真の足許には、ドクターバッグが置かれている。
本当に、こんなところまで往診に来てくれたのだ。
颯真は穏やかな表情で話しかけてきた。
「一ヶ月ぶりだよな。元気だったか」
思えば颯真と会ったのは、年明けの四日。実家で偶然。あの時は気持ちが追い付かず、本当に大した会話も交わさなかった。
「うん……」
「体調に変化は?」
颯真はあくまで事務的に聞いてくる。
そうかと潤も気づく。これは問診だ。
目の前にいるのは、兄ではなく主治医。皮肉なことにそう思うと、わずかに気持も落ち着く。
「……少し匂いが気になる。同期にそう言われて」
そう訴えると、颯真は頷いた。
「そうか。じゃあまずはフェロモン量を計ろうか」
ジャケット脱いでくれる? と颯真が言う。潤も無言で頷く。社長室で診察が始まった。
潤はジャケットを脱いでベスト姿になると、再びそれをソファに掛けた。
潤が身支度を調えているうちに、同じようにジャケットを脱いだ颯真が、左腕の袖を捲るように指示する。
「まずは採血な」
ドクターバッグから取り出したのは採血キット。
「いいか、触れるぞ」
颯真がそう確認してきたので、潤は頷いた。
手慣れた仕草で潤の腕を取る。しっとりとした温かい手。颯真の手だと、潤はしみじみ感じた。
颯真は、駆血帯を巻いた肘下から器用に血管を探り出して、血液を採取する。
それを持参してきた簡易検査機にかけると、今のフェロモン分泌量が分かるらしい。フェロモン量は、現在のオメガのフェロモン治療では欠かせない診断指標になっている。
一昔前までは、院内の検査部で大きな機械にかけて行われていたらしいが、今では持ち運び可能な簡易な検査機で、わりと短時間で多くの情報が分かるようになってきているという。医療技術の進歩はすさまじい。
その間に、颯真が潤の手をとり、脈を診る。
室内はしんと静まりかえっている。もともとビルの高層階にあるため、外からの音もあまりしない。
優しく添えられる颯真の指が温かい。これまで、颯真が自分の手を取るなんて、何度も……それこそ数え切れないほどあったはずなのに、今はとても緊張している。
気持ちの整理が追い付く前に、状況が急変していて動揺しているのだ。
「久々だから緊張してるかな。ちょっと脈飛んでる」
颯真の呟きに潤は何も言えなくなる。自分の動揺などバレバレのようだ。すると颯真が、ちょっとごめんなと断って、腹部に手を添えた。少しどきっとしたが、颯真に大きくお腹から息を吸ってごらんと促され、お腹を膨らませるようにとアドバイスされる。素直にスーハーと深い呼吸を繰り返すうちに、少し気持ちも落ち着いてきた。
「少し疲れが溜まってたり、ストレスが溜まってたりすると脈が飛んだりするから。体調管理に気をつけて」
体重もまだ戻ってないみたいだしな、と颯真が鋭い視線を覗かせた。
「じゃあ、ベストとネクタイも取って、ワイシャツのボタンを開けてくれる?」
颯真がドクターバッグから聴診器を取り出す。潤も言われたとおりに、ベストを脱いでネクタイを外す。いつもの診察の順番だ。
颯真が優しい目を向けてきた。
「じゃあ、胸の音聴かせてね」
颯真が聴診器のイヤーチップを装着して、ワイシャツの下のインナーの裾から手を入れる。
少しひんやりとしたものが胸を、肌を滑った。目の前には颯真の姿。真剣な目つきで聴診を行っている。長いまつげと意志が強そうな眉。そして真剣な目つき。きゅっと閉じた唇が、真摯に職務に向かう姿勢を表しているようにも思える。
これが、自分の双子の兄で、自分の番だと言い放つアルファ。
ふと潤の視線に気が付いたのか、颯真が視線を流してきた。潤は思わず目を閉じてしまった。目に入るものすべてを認識していたら、心拍数が上がりそうだ。
胸のあたりを颯真が動かす聴診器のチェストピースが触れる。その手がインナーの中でうごめく。
兄の手であるはずなのに、今の自分には少し違うようにも思えて仕方ない。
颯真の手を見ていると、変な気持ちになって仕方ない。
自分はこの人に抱かれたのだという実感が何故かひしひしと沸いてくるのだ。
あの手で愛撫されてイカされて、あの口で愛撫されて、口付けを交わして。……いやいや、まずいと冷静になれと、自分自身に言い聞かせる。
颯真に、自分のオメガだと言われた。
颯真は、アルファで医師で、見た目も美丈夫な好青年だ。普通に考えれば、颯真は世間的にいうところの「スペックが高い」アルファだ。
こんなに優しくて、温かい手を持つアルファに言われたら、普通は嬉しいだろう。
……でも、と潤は思う。
僕のオメガの部分はどうなのだろう。
「少し速いけど、こんなもんかな」
そう呟いて颯真が聴診器のイヤーチップを外して、首にかけた。そういう何気ない姿も様になっていると潤は感じる。
するとピーッと検査キットが鳴り、先程の採血結果が判明したらしい。
その結果は颯真が持参したタブレットにすぐに送信される仕組みらしい。
タブレットを確認する颯真の眉間がわずかに寄せられた気がした。
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