【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな

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番外編・この腕に、命を抱いて ⑤

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病室のカーテンの隙間から、柔らかな月明かりが差し込んでいた。
夜の静寂に包まれながら、赤ちゃんの小さな寝息が、規則正しく響いている。

澪はベッドの上、崇雅はその隣の簡易ソファに腰かけていた。

手元には、何度も書き直されたメモ用紙。
鉛筆で書かれた名前の候補が、いくつも並んでいる。

「……どれも悪くないけど、決め手に欠けるっていうか」

そう呟いた澪の声は、どこかくすぐったくて嬉しそうだった。
腕の中には、まだ名前のないわが子が眠っている。

「焦らなくていい。……けど、そろそろ“この子の名前”を呼びたくなるな」

崇雅は、ベッドに寄り添うように身体を傾け、
澪と赤ちゃんを見つめる。

「……でも、今日ふと思ったんです」

「ん?」

「この子が、寒い季節に生まれてきてくれたことが、すごく意味のあることのような気がして。
……だから、冬らしさと、あたたかさの両方を込めた名前にしたいなって」

「冬らしさ、か」

崇雅が目を細める。

「“柊”って、冬を感じるし、寒さの中でも葉を落とさない強い木で…
この子も、そんなふうに強くて、でも優しさやぬくもりを持った子に育ってほしいなって思ったんです」

「……柊か、いいね」

「あと“里”も添えたくて。誰かにとっての“居場所”になれるような子に。
どんな場所にいても、自分の心の“里”を忘れないように。
2つ合わせて“柊里(しゅり)”ってどうでしょうか?」

「柊里(しゅり)……か」

崇雅はゆっくりとその名前を口にして、メモに丁寧に書き記した。
「柊」も「里」も、想いを込めるような筆圧で。

“結城 柊里”

「……ああ。しっくりくるな」

澪が頷くと、崇雅もまた、静かに微笑んだ。

「寒い季節に咲いた強さと、誰かを包むあたたかさ。
その両方を持った子に。……そんな名前だな」

「……はい。素敵だと思います」

ふたりは視線を交わし、そっと眠る赤ちゃんを見つめた。

「――ようこそ、柊里」

崇雅が小さく囁いた瞬間、まるでそれに応えるように、小さな手がぴくりと動く。

澪の瞳が潤む。
胸いっぱいに、愛しさが広がっていく。

「柊里。……あなたの名前だよ。これからずっと大切に、いっぱい呼ぶからね」

“家族になった”――その事実が、今、名実ともに音としてこの部屋に刻まれていく。

生まれてきてくれてありがとう。
どうか、健やかに、まっすぐ育って――

ふたりの願いが、静かに重なった夜だった。


退院の日。
病院のロビーには冬の陽射しがやわらかく降り注いでいた。

澪の腕の中、真新しいおくるみに包まれた柊里は、まだうまく目も開かないまま、
ふっくらとした頬を紅潮させて、静かに眠っている。

「……よく寝てる」

澪がそっとつぶやくと、隣で荷物を持つ崇雅が目を細めて笑った。

「家に着くまで、起こさないようにしないとな」

「……なんか、不思議です」

「ん?」

「“帰る家”が、三人になるんだって思ったら。
なんか、それだけで泣きそうになります」

そう言って、澪は笑った。
崇雅は何も言わずに、そっとその肩を抱く。

家族が増えるということ。
それは、幸せだけじゃなくて、不安も責任も背負っていくこと。

だけど――

「全部、俺が支えるから」

耳元で囁かれた低く優しい声に、澪は目を伏せ、そっと頷いた。

崇徳の尽力で、家にはすでに赤ちゃんの生活に必要なものが揃っている。
加湿器や空気清浄機まで最新のものが手配されていて、「何もないところから」の不安は、少しだけ和らいでいた。

「12月に入ったら、母が一週間手伝いに来てくれるそうです」

車の中でそう話すと、崇雅はハンドルを握ったまま「ありがたいな」と応じた。

「でも、きっと……」

「ああ。大変なことのほうが、多いんだろうな」

寝不足も、泣き声も、思うようにいかない毎日も。
それでも。

「頑張りましょう、家族3人で」

澪の言葉に、崇雅は静かに笑った。

静かに眠る娘。
小さな寝息のリズムが、まるで未来を約束するように響いていた。

窓の外には、冬の空。
けれど陽射しはあたたかく、柔らかな光が澪たちの車を照らしていた。


これから始まる新しい生活。
眠れない夜も、戸惑いの朝もあるだろう。
でも、乗り越えた先には、確かにある――
家族として積み重ねていく日々。

「ただいま。……柊里、ここが、あなたの家だよ」

そう言って、ドアを開けたとき。
ふたりの腕の中に抱かれた小さな命が、ぴくりと小さく動いた。

新しい季節が始まる。
澪と崇雅、そして柊里の、あたたかく静かな家族の物語が。

たくさんの選択とすれ違いを超えて、ふたりは“家族”になった。

娘とともに紡ぐ、愛しい日々。
この日々を、これからも共に歩いていくのだった。
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