【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな

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第20話・守りたいんじゃない、手放したくなかった

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頭の中はずっと澪のことが離れなかった。

先ほどの資料室――
崩れかけた彼女の姿。
震える肩と、必死に声を押し殺して泣いていたあの背中。

その場にいたのは、自分ひとりだった。
誰にも見られずに泣かせてやれたのは、幸いだったのかもしれない。

彼女が退室した後、少しだけ、名残惜しかった。
けれど、あれ以上そばにいれば、余計な感情が顔に出そうだったから、ちょうどよかったのかもしれない。

(……少し疲れているように見えた。大丈夫だろうか?)


これまで何度も、助けてきた。
重たい仕事からも、他部署からの押しつけからも、
彼女を守るように動いてきたのは――
上司として当然の判断だと思っていた。

けれど、違った。
あの展示会の時、確かにわかった。

自分は、ただ“守りたい”だけじゃなかった。
早瀬に“彼女”の隣を歩かせたくなかった。
手首を掴んだのは、本能だった。

(……そういう気持ちだったんだ)

ようやく、自分の中にある感情の正体に、名前をつける覚悟ができた。

それは、「好意」なんて生ぬるいものじゃない。
執着に近い。独占に似ている。

他の誰かに渡したくない。
それだけは、はっきりしていた。

まさか、これまでの自分の曖昧な態度が彼女を追い詰めていたとは――
その可能性に、まだ気づいていなかった。


翌日出社すると、澪はいつも通りの表情で挨拶をしてきた。
でも、何かが微かに違っていた。
目の奥にある揺らぎ。
「おはようございます」と言う声のトーン。

(……気づいたのか?)

何に、とは言えない。
だが、確かに彼女の中にも何かが芽生えている――
そんな予感だけが、肌に刺さるように感じられた。

なのに、自分は言葉を選びすぎて、何も言えない。

(伝えたら壊れる気がする)
(だけど、伝えなければ――遠ざかってしまう気がした)

――まだ、恋人ではない。
――でも、もうただの上司と部下ではいられない。

その境界線を前にして、崇雅は静かに拳を握った。


——————

数日後、夕方。
オフィスの窓の外はすっかり暗くなり、人工照明だけが白く机を照らしている。

C社から、先週の打ち合わせ内容に関する修正依頼のメールが届いた。
内容は大したことはない。
けれど、データの整合性を再確認するには、もう一度、実際の工程図面を取り寄せて再作成が必要になる。

私の手が止まる。

(……これ、ひとりでやるには時間がかかりすぎる)

でも、誰かに頼るのも違う。
この案件は、最初から私の担当で動かしてきた。
途中で投げることなんて、できるはずがない。

とりあえず、工程図面を用意しようと立ち上がると――

「結城」

名前を呼ばれて振り返った。
そこには、崇雅が立っていた。

「今、少し時間はあるか?」

「はい……」

返事をした瞬間、崇雅の視線が私の画面へと向けられた。
次の瞬間、彼の口から出たのは、想像していなかった言葉だった。

「それ、俺も確認する。場所を移そう」

(え……?)

何が起きているのか、頭が追いつかない。

けれど、資料をまとめて会議室に移動すると、
崇雅は何も言わず、私の隣の席に座ってノートPCを広げた。

一緒に画面を見ながら、次々と不備を整理していくその姿は、
冷静で、的確で、やっぱり、圧倒的に頼もしかった。

だけど、それだけじゃない。

――隣にいる。
それが、こんなにも心をざわつかせるなんて。

言葉を交わさなくても、
キーボードを打つ音のリズムが、静かに胸に響いてくる。

ふと、私の指が止まったのに気づいたのか、崇雅がわずかに視線を向けた。

「……どうした」

「いえ。ちょっと、手が止まっただけで……」

「無理はするな。今のペースで十分進んでる」

その言葉が、想像以上にあたたかくて、
私は思わず、目を伏せた。

こんなふうに、隣にいられること。
仕事を通じて、でも“それだけじゃない”何かを感じてしまうこと。

(……部長は、何も言わないけど)

言葉のない時間に、気持ちだけが勝手に近づいていく。


会議室を出るとき、崇雅がふと、静かに言った。

「今日は、なるべく早く帰れ。もう十分やった」

「……はい」

本当は、もう少しだけ一緒にいたかった。
でも、その一言が私には十分だった。

私は頭を下げて、会議室をあとにする。

背中に、崇雅の視線が残っている気がして――
思わず、振り返りそうになるのをこらえた。
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