【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな

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第23話・他の誰にも見せたくなかった

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C社案件の一区切りを祝う打ち上げが開かれた。
会場は会社近くの個室居酒屋。
営業部も交えた合同の飲み会は、想像していたよりもずっと賑やかだった。

私は平社員だから、自然と若手や先輩社員たちが集まる下座寄りの席へ。
崇雅さん――部長は、当然ながら上座へ。
部署の課長や営業部の上席たちと並んで座っていた。

(遠いな……)

同じ部署なのに、視界の端にしか映らない彼の姿。
それだけで少しだけ、心が沈むのを感じた。

「結城さん、あの時のプレゼン、ほんとに見事でしたよ」

「えっ、いえ……恐縮です。水野さんのサポートあってこそです」

営業部の水野さんに褒められ、周囲の数人も軽口を交えて盛り上がる。

「いや~あの構成は完全に勝ちパターンでしたって!」
「それであの笑顔で対応されたら、そりゃ相手も落ちるでしょ」

「え、ちょっ……やめてください、もう……!」

笑いながらグラスを手にする。
少しだけのつもりが、話が盛り上がるにつれ、思ったより杯を重ねていた。
顔が火照ってくる。

(あ、やば……ちょっと飲みすぎたかも)

弱いくせに、空気を読んで杯を重ねてしまう自分が悪い。

そんなときだった。
ふと、視線を感じた。

遠くの上座席。
崇雅さんがこちらを見ていた。
無表情の奥に、冷たいような、それでいて何かを抑え込んでいるような――複雑なまなざし。

すぐに目を逸らされたけれど、心臓の音がやけに響いてくる。

(……気のせい、じゃないよね)


2時間後ー。
飲み会がお開きになると、ほろ酔いのテンションで駅へ向かう人の流れの中、私は少し後ろに下がって歩いていた。

「……結城」

背後からかけられた静かな声に、振り返る。

崇雅さんだった。
普段通りの整ったスーツ姿のまま、変わらぬ冷静さで私を見ていた。

「少しだけ歩けるか?車で送る」

「……はい、ありがとうございます」

この人にそう言われて、断る理由なんてなかった。


帰り道。
話すこともなく並んで歩くその時間が、妙に落ち着く。

けれど、静寂の中、不意に彼が言った。

「……さっきの笑顔は」

「……え?」

「俺の前でだけにしてくれ」

言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。

(さっき……?)

飲み会での笑顔。
冗談に乗ったときの顔。
褒められて、照れ笑いしたときの顔。

――それを、見られていた。
(だから、あの時、視線を感じたんだ…)

「……仕事仲間として普通の会話をしただけで、別に――」

「わかってる」

声は淡々としていた。
でも、どこか苦しそうでもあった。

「それでも、俺は――澪が他の誰かにああいう顔をするのが、嫌だった」

感情を抑えきれず、思わず顔をそらした。

(それって……)

胸の奥がじんわりと熱くなる。
嬉しい。
でも、驚きの方が強くて、すぐに言葉が出なかった。

「……気をつけます」

そうやっとの思いで返すと、彼はふっと小さく息を吐いて、車のドアを開けた。

無言のまま乗り込んだ車内。
それでも、握ったバッグの取っ手から、ずっと鼓動が伝わっていた。


崇雅が運転席に乗り込み、エンジンの音が静かに流れる。

やがて、私は小さく口を開いた。

「……駅までで大丈夫です。電車に乗ればすぐなので」

けれど彼は何も言わず、ハンドルを切ってそのまま直進した。

(……あれ?)

気づけば、車は駅を通り過ぎていた。

「……あの、すみません。遠いのに」

そう言うと、彼は一瞬だけこちらを見て、低く短く答えた。

「顔が赤い。そして、ふらついてた。このまま一人で帰すわけにはいかない」

それだけ。
まるで、当然のことを言うように。

私はなにも言い返せなかった。

(……この人は、やっぱりこういう人なんだ)

淡々としていて、感情を言葉にすることは少ないけれど、
肝心なときには、必ず“行動で”伝えてくれる。

それが、どこまでも嬉しくて、
どこまでも、ずるいくらい優しかった。



翌朝。
鏡に映る自分は、いつもと何ひとつ変わらない顔をしていた。
でも…

(……ちゃんと寝たはずなのに、眠い)

お酒が残っているわけじゃない。
でも、昨日の帰り道のことを思い出すたびに、胸のあたりが妙にざわついて落ち着かない。

(……嫉妬だよね?あの言葉)

“俺の前でだけにしてくれ”

昨夜、あの声で言われたひと言が、ずっと頭から離れなかった。
一晩経ったのに、あのときの視線と声の温度だけは、肌に焼き付いたまま残っている気がする。

(嬉しかった。確かに)
(でも……それをどう受け止めたらいいのか、わからない)

それに駅で降りるつもりだったのに、
何も言わずにそのまま家の前まで送ってくれて、
最後までひとことも余計なことは言わなかった。

(……ずるい)

優しいくせに、不器用すぎて。
それでも、私のことをきちんと見てくれているのは、分かってしまう。

でも今の私は、彼にとって“何”なんだろう。
恋人――なのかな?
少なくとも、そういう言葉はまだ、ひとつも聞いていない。

それでも、あの言葉にこめられていたものは、
ただの気遣いでも、上司としての注意でもなかった。

(――ちゃんと、気づいてる)
(でも、気づいてるってことを、どう伝えればいいのかわからない)

モヤモヤとした感情を押し込めて、私は通勤の準備を整えた。


出社してすぐ、フロアの空気は昨日と変わらずに動いていた。
忙しそうなキーボード音と、社内チャットの通知音や内線の着信音。
誰もがいつも通り、自分の持ち場をこなしている。

「おはようございます」

席に着いて、ほんの少しだけタイミングを見計らってから挨拶すると――

「おはよう」

崇雅が、こちらを見ずに返した。
ほんの一瞬だけ、胸がチクリとした。

(そっか。ここでは“いつも通り”だ)

上司と部下。
それ以上でも、それ以下でもないふり。
誰にも知られない、誰にも見せない関係。

たった一言の「おはよう」にも、昨日の続きを期待してしまっていた自分が少しだけ情けなかった。

でも。

業務の合間。
資料のやりとりで私がメールを打ち終えるよりも先に、
彼から確認済みの返信が届いていたり――

お昼休み前、周囲の視線に紛れて、個人チャットでたった一言だけ

>『眠そうだった。昨夜、よく眠れたか?』

と届いていたり――

(やっぱり、ちゃんと“続いてる”)

誰にも見えない場所で、
ふたりだけが知っている会話。

口には出さないけれど、
ちゃんと覚えていてくれる人がいる。

それだけで、朝のざわつきはすっと静まった。


午後、席に戻るとデスクの隅に小さな栄養ドリンクが置かれていた。
付箋ひとつも、メモ書きもない。

でも、誰が置いたのかなんて、考えるまでもなかった。

(……ずるい。ほんとに)

それでも私は、顔がゆるむのを止められなかった。
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