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第67話・呼ばれた、その瞬間に
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週明け、月曜の朝。
崇雅の車で会社に着いた澪は、まだ少しだけ気恥ずかしさを感じていた。
(……職場では、上司と部下。いつも通り、ちゃんと切り替えないと……)
そう思っても、最近の崇雅は――昼休みや退勤後になると、“部長”ではなく“崇雅さん”としての顔を見せてくる。
そのたびに、澪の胸の奥は、何度も跳ね上がっていた。
昼休み。
澪は久しぶりに、同じ部署の先輩や後輩たち男女数人と一緒に社員食堂へ向かっていた。
「ギプス、もう慣れました?」
「左手だけで普通に食べられるの、地味にすごいっすよね」
「いや、そんなことないよ。いろいろ手伝ってもらってるだけだから……」
澪が照れくさそうに笑うと、周囲も和やかな笑いに包まれる。
久しぶりの、何でもない日常の会話。
その空気がなんだか心地よくて、澪はほっと息をついた。
(……こういう時間、やっぱり落ち着くな)
食事を終え、談笑が始まった頃。
ふと、誰かの気配が背後から近づいてくる。
「……あれ、部長じゃない?」
「ほんとだ、珍しい。こっち来る……?」
言葉を交わす間もなく、崇雅がすっと澪の真横に立った。
その手には、紙袋とコーヒーのカップ。
そして無表情のまま、それを澪の前に差し出す。
「……澪」
静かに、しかし確かに名前を呼んで。
「甘いの、欲しそうだったから」
それだけ言って、くるりと踵を返す。
何事もなかったかのように、すっとその場を離れていった。
その一連の動きに、席の空気が凍りついた。
「……今、澪って、名前……呼びましたよね?」
「部長、結城さんにテイクアウト持ってきたの……?」
「いやいやいや、どういうこと!?……えっ!?そういうこと!?!?」
静かに、しかし確実にざわめきが広がっていく。
周囲の同僚たちは、騒ぎこそしないものの、明らかに“何かを察してしまった”空気を出していた。
そして澪の心臓は、もうどうにかなりそうだった。
「ち、ちが……いや、違わないけど……そ、そんな、堂々と呼ばれると思ってなくて……!」
慌てて否定しかけて、慌てて言い直す。
動揺と羞恥で、顔が熱を持つどころか、火でも吹き出しそうだった。
「え、付き合ってるんですか!?いつから!?」
「結城さん、まさか同棲とかしてる……?」
「いや、でもギプス生活サポートって、そういうこと?」
次々に飛んでくる質問に、澪はたじたじになりながらも、必死に笑顔でやり過ごすしかなかった。
一方その頃、執務フロアに戻った崇雅は、何事もなかったように席に着き、黙々とキーボードを打っていた。
感情は出さず、表情はいつものまま。
けれど、口には出さなくても——
(……なんで男まで一緒に食ってんだ)
心の内は冷静とは言いがたかった。
午後の始業チャイムが鳴っても、澪の鼓動は一向に落ち着かなかった。
自分のデスクに戻ると、なんとなく周囲からの視線が熱を帯びている気がする。
(……これは完全にバレた……よね?)
崇雅が“澪”と名前を呼んだこと。
あの落ち着き払った態度で、コーヒーと焼き菓子を差し出したこと。
職場でのけじめは守るつもりだったのに――
まさか、あんなにも“特別”を隠そうとしないなんて。
(うう、社内ではこっそりでいくはずだったのに……)
こめかみを押さえる澪の耳に、ひそひそ声が届く。
「……結城先輩、すごいなあ…」
「まさかあの部長を落とすなんて。てっきりあの人、恋愛とか興味ない系だと思ってた……!」
「攻略難易度Sランクって噂の部長なのに…どんなスキル使ったんだろ」
(いやいや、ゲーム攻略みたいな話じゃないから……!)
声をかけるわけでもなく、気づかないふりをするでもなく。
堂々と「恋人です」とでも言わんばかりの態度。
それが崇雅らしい、と言えばそうなのだけれど――
やっぱり、心の準備はできていなかった。
(……でも、嫌じゃなかった)
思い出すのは、あの低くて静かな声。
(……澪)
名前を呼ばれた瞬間、まるで誰にも渡さないとでも言うような、確かな温度があった。
そっと横目で、崇雅のデスクを盗み見る。
彼は変わらぬ表情でパソコンと向き合っていたけれど、その指先は、ほんの少しだけ震えていた。
(……あれ、やっぱりちょっとは照れてる?)
そう思った瞬間、澪の口元がほんのわずかに緩む。
仕事に戻らなきゃいけないのに、心のどこかが、ふわりとあたたかくほどけていた。
恋人として、初めて職場で触れた“特別”。
それは少し恥ずかしくて、でも、確かに嬉しくて――
今日という一日が、きっとずっと記憶に残る気がしていた。
崇雅の車で会社に着いた澪は、まだ少しだけ気恥ずかしさを感じていた。
(……職場では、上司と部下。いつも通り、ちゃんと切り替えないと……)
そう思っても、最近の崇雅は――昼休みや退勤後になると、“部長”ではなく“崇雅さん”としての顔を見せてくる。
そのたびに、澪の胸の奥は、何度も跳ね上がっていた。
昼休み。
澪は久しぶりに、同じ部署の先輩や後輩たち男女数人と一緒に社員食堂へ向かっていた。
「ギプス、もう慣れました?」
「左手だけで普通に食べられるの、地味にすごいっすよね」
「いや、そんなことないよ。いろいろ手伝ってもらってるだけだから……」
澪が照れくさそうに笑うと、周囲も和やかな笑いに包まれる。
久しぶりの、何でもない日常の会話。
その空気がなんだか心地よくて、澪はほっと息をついた。
(……こういう時間、やっぱり落ち着くな)
食事を終え、談笑が始まった頃。
ふと、誰かの気配が背後から近づいてくる。
「……あれ、部長じゃない?」
「ほんとだ、珍しい。こっち来る……?」
言葉を交わす間もなく、崇雅がすっと澪の真横に立った。
その手には、紙袋とコーヒーのカップ。
そして無表情のまま、それを澪の前に差し出す。
「……澪」
静かに、しかし確かに名前を呼んで。
「甘いの、欲しそうだったから」
それだけ言って、くるりと踵を返す。
何事もなかったかのように、すっとその場を離れていった。
その一連の動きに、席の空気が凍りついた。
「……今、澪って、名前……呼びましたよね?」
「部長、結城さんにテイクアウト持ってきたの……?」
「いやいやいや、どういうこと!?……えっ!?そういうこと!?!?」
静かに、しかし確実にざわめきが広がっていく。
周囲の同僚たちは、騒ぎこそしないものの、明らかに“何かを察してしまった”空気を出していた。
そして澪の心臓は、もうどうにかなりそうだった。
「ち、ちが……いや、違わないけど……そ、そんな、堂々と呼ばれると思ってなくて……!」
慌てて否定しかけて、慌てて言い直す。
動揺と羞恥で、顔が熱を持つどころか、火でも吹き出しそうだった。
「え、付き合ってるんですか!?いつから!?」
「結城さん、まさか同棲とかしてる……?」
「いや、でもギプス生活サポートって、そういうこと?」
次々に飛んでくる質問に、澪はたじたじになりながらも、必死に笑顔でやり過ごすしかなかった。
一方その頃、執務フロアに戻った崇雅は、何事もなかったように席に着き、黙々とキーボードを打っていた。
感情は出さず、表情はいつものまま。
けれど、口には出さなくても——
(……なんで男まで一緒に食ってんだ)
心の内は冷静とは言いがたかった。
午後の始業チャイムが鳴っても、澪の鼓動は一向に落ち着かなかった。
自分のデスクに戻ると、なんとなく周囲からの視線が熱を帯びている気がする。
(……これは完全にバレた……よね?)
崇雅が“澪”と名前を呼んだこと。
あの落ち着き払った態度で、コーヒーと焼き菓子を差し出したこと。
職場でのけじめは守るつもりだったのに――
まさか、あんなにも“特別”を隠そうとしないなんて。
(うう、社内ではこっそりでいくはずだったのに……)
こめかみを押さえる澪の耳に、ひそひそ声が届く。
「……結城先輩、すごいなあ…」
「まさかあの部長を落とすなんて。てっきりあの人、恋愛とか興味ない系だと思ってた……!」
「攻略難易度Sランクって噂の部長なのに…どんなスキル使ったんだろ」
(いやいや、ゲーム攻略みたいな話じゃないから……!)
声をかけるわけでもなく、気づかないふりをするでもなく。
堂々と「恋人です」とでも言わんばかりの態度。
それが崇雅らしい、と言えばそうなのだけれど――
やっぱり、心の準備はできていなかった。
(……でも、嫌じゃなかった)
思い出すのは、あの低くて静かな声。
(……澪)
名前を呼ばれた瞬間、まるで誰にも渡さないとでも言うような、確かな温度があった。
そっと横目で、崇雅のデスクを盗み見る。
彼は変わらぬ表情でパソコンと向き合っていたけれど、その指先は、ほんの少しだけ震えていた。
(……あれ、やっぱりちょっとは照れてる?)
そう思った瞬間、澪の口元がほんのわずかに緩む。
仕事に戻らなきゃいけないのに、心のどこかが、ふわりとあたたかくほどけていた。
恋人として、初めて職場で触れた“特別”。
それは少し恥ずかしくて、でも、確かに嬉しくて――
今日という一日が、きっとずっと記憶に残る気がしていた。
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