【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな

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第100話・寄り添うだけで、心がほどけていく

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1月1日。
新しい年の朝は、澄んだ空気に包まれていた。
窓の外にはまだ昇りきらない陽が差し込み、キッチンからは静かな調理の音が聞こえてくる。

「……おはようございます」

寝室から出てきた澪が、そっと声をかけると、キッチンにいた崇雅が振り返った。

「おはよう。よく眠れたか?」

「はい。……崇雅さんこそ、もうこんなに」

テーブルの上には、昨夜ふたりで仕込んだおせちの品が美しく並びつつあった。
煮物、黒豆、伊達巻、栗きんとん。
仕上げは崇雅が早起きして整えてくれたらしい。

「あと、お雑煮を温めるだけだ」

「ありがとうございます……。わたしも、お手伝いしますね」

エプロンをつけ、澪もすぐに手を動かし始める。
この日も時間がゆっくりと流れているようで、慌ただしさはどこにもない。
互いに言葉を交わしながら、静かな微笑みが自然とこぼれた。


テーブルに料理が並び終えると、ふたりは向かい合って席につく。

「明けましておめでとうございます」

「明けまして、おめでとう……今年も、よろしく」

笑顔とともに交わす新年の挨拶は、特別な儀式でも派手な祝いでもない。
けれど、その穏やかさこそが、何よりの幸せだった。

食後、食器を片づけてから少しゆっくりし、午後には澪の提案で近くの神社へ初詣に出かけることになった。

外の空気はひんやりとしていたが、手をつないで歩く道のりは不思議とあたたかかった。
静かな参道を進み、お参りを済ませ、澪は新しい年の平穏と、隣にいる人の無事を願った。


帰宅後。
崇雅が淹れてくれた温かいお茶を飲みながら、澪はスマートフォンを手に取る。

「ちょっと、母に電話してきますね」

寝室に向かい、発信ボタンを押すと、すぐに母の声が弾んだ。

『あけましておめでとう。元気にしてる?』
「あけましておめでとう、お母さん。元気にしてるよ」

そして、すぐに妹と赤ちゃんの話題へ移る。
年末の退院したばかりで、実家は慌ただしくしているようだった。

『やっぱり帰ってこなくて正解だったわよ。赤ちゃん中心で、部屋もいっぱいだし、ほんと、バタバタなのよ』

「そっか。私じゃ役に立てなくて邪魔になると思ったし……こっちでゆっくり過ごせてるから心配いらないよ」

『彼とは、ちゃんと仲良くしてる?』

「……うん。すごく優しくしてもらってる」

電話を切ったあと、澪は少しだけ頬をゆるめて、そっとスマホを胸に抱きしめた。
穏やかな幸福が、胸の奥にぽんと灯る。

リビングに戻ると、崇雅がソファに座って待っていた。
テレビはついているものの、音量は絞られていて、部屋には静かな空気が流れている。

「おかえり」

崇雅の声に、澪は自然と彼の隣へ腰を下ろした。
ぴたりと寄り添う距離が、ただ心地よかった。

「親御さん、元気そうだったか?」

「はい。……“仲良くね”って言われました」

「なら、ちゃんと仲良くしないとな」

そう言って、崇雅がそっと澪の肩を引き寄せる。
澪は小さく笑いながら、その腕に身をゆだねた。

テレビの画面がゆっくりと移り変わっていくなか、ふたりの新しい年は、静かであたたかな空気の中で始まっていた。


1月2日。
街の喧騒もどこか遠く、家の中にはゆるやかな静けさが満ちていた。
窓の外には、冬らしい澄んだ空。
リビングにはやわらかな陽が差し込み、テレビの音は小さく絞られている。

ソファでは、澪と崇雅が並んで座り、それぞれが思い思いの姿勢でくつろいでいた。

澪はクッションを抱きながら、ぼんやりとテレビを見ていたが、ふと小さく息を吐くと――
そのまま、何の前触れもなく崇雅の肩にもたれかかる。

肩に頭を乗せ、脚をソファに引き上げて小さく丸まると、崇雅は驚くこともなく自然に腕を回して、澪の身体を抱き寄せた。
ぴたりと重なる距離が、さらに近づいていく。

「甘えたい日?」

「……なんとなく、そんな気分になっちゃいました」

崇雅の胸元に頬をすり寄せながら、澪はぽそりと呟く。
その声はくぐもっているけれど、崇雅にははっきり届いていた。

「年明けから幸せだな」

「……恥ずかしいこと言わないでください」

顔を見せないままそう返した澪の頬が、ほんのり熱を帯びていることを、崇雅はその手でしっかりと感じ取っていた。

しばらく無言でぴったりと寄り添っていたふたり。
やがて、澪がふいにぽつりと呟く。

「……今年の目標、どうしようかな」

「毎年立ててるのか?」

「一応……あんまり達成できていなんですけど」

笑い混じりの声に、崇雅も静かに笑った。
澪は腕の中で少しだけ身体を起こし、崇雅の顔を見上げる。

「でも、今年はまずC社プロジェクトの完遂ですね。途中で倒れないことも目標にしよう」

「俺としては、“ちゃんと俺に頼る”ってのを加えてほしい」

「……それって、目標というより、“部長命令”な気が…」

そう言いながらも、澪はくすくすと笑ってまた崇雅の胸元に顔をうずめた。

「……あとは……旅行、行けるといいな…」

「どこ行きたい?」

「んー、ゆっくりできるところがいいです。温泉とか?」

「いいな。人が少ない平日に、有給取って行こう」

「え、そんな贅沢……」

「そのための有給だろ」

しれっと言い切る崇雅に、澪はまた小さく笑った。

特別なことは何もなかったけれど、
それでもふたりにとっては、満ち足りた年始の午後だった。

窓の外の冬空は澄みわたり、
その下で過ごすふたりの時間もまた、限りなく静かで、穏やかだった。
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