【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな

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番外編・夢じゃないと、何度でも ③

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車のドアが閉まる音が、夜の静けさに吸い込まれていく。

助手席の澪は、小さなケースをそっと抱えたまま、まだどこか夢の続きを見ているような表情だった。

エンジンを切り、深く息を吐く。
落ち着いているように見えて、崇雅の中には今もなお、ざわめく感情の余韻が渦巻いていた。

(……受け取ってくれた)

あの瞬間、胸の奥が軋むほどに強く締めつけられた。
声に出せば震えてしまいそうで、だからこそ、黙って指輪をはめた。


「……着替える前に、ちょっとだけ、座ってもいいですか?」

部屋に入ってすぐ、澪がそう言って振り返る。
その表情に、ふっと柔らかい笑みがこぼれた。

「……もちろん」

隣に腰を下ろすと、澪の香りがふわりと鼻先をかすめた。
緊張が解けたせいか、表情は穏やかで、頬にはほんのり熱が残っている。

その横顔を、崇雅は黙って見つめた。

(……綺麗だ)

この一年、泣いて、笑って、苦しんで、それでも前を向き続けた彼女。
たった今、人生を共にすると誓ったその姿が、どうしようもなく愛おしい。

「……なんだか、夢みたいです」

ぽつりと零れたその声に、内心を読まれたかと思って少しだけ口元が緩む。

「夢じゃない。……ちゃんと現実だ」

そう言って指先を伸ばし、彼女の左手の薬指に触れる。
指輪の感触越しに、確かな体温を感じた。

(……澪は…俺のだ)

そう心の中で呟きながらも、言葉にはしなかった。
彼女が、それをもう理解している気がしたから。

「……ほんと、わかりやすい“目印”ですね」

「目印なんだ。わかりやすいほうがいいだろ」

指先を包み込んだまま、軽く手の甲に口づける。
それだけで澪が微かに身じろぎし、恥ずかしそうに頬を染めた。

(……こんな表情、俺しか知らない)

この独占欲は、いつからこんなにも深く根を張ったのだろう。
触れたい、繋ぎ止めたい。けれどそれ以上に――壊したくはない。

だからこそ、丁寧に時間をかけてきた。
焦りも、執着も、全て澪の歩幅に合わせて。
そうしなければ、彼女はきっと、本当に手の届かないところへ行ってしまう気がしたから。

そんな崇雅の思考を遮るように、澪がそっと寄りかかってくる。
そのまま静けさが続くと思った矢先。

澪がゆっくりと顔を上げ、その瞳が真っ直ぐに崇雅を見た。
そして、迷いも戸惑いもなく、澪は唇を重ねてきた。

(……澪)

その瞬間、呼吸が浅くなる。
柔らかな唇の感触に、押し殺していた感情が溢れそうになる。

「……今日は、崇雅さんに触れていたいです。……だめ、ですか?」

崇雅の中で何かが静かに弾けた。

(……だめなわけがない)

言葉よりも先に腕が動いた。
彼女をそっと抱き上げ、寝室へと向かう。

心臓の鼓動が、彼女の鼓動と重なっている気がした。

――この腕の中だけは、絶対に手放さない。
それが、プロポーズの“答え”をもらった男の、最も素直な本音だった。


寝室に足を踏み入れた瞬間、部屋の空気がゆっくりと変わった気がした。
照明はすでに絞られていて、穏やかな明かりがふたりの影を優しく包み込む。

澪をベッドに降ろしたとき、彼女は少し恥ずかしそうに目を逸らした。
けれど、逃げることはしなかった。

(……強くなったな)

そう思うと同時に、守りたいという気持ちが胸の奥で静かに燃える。

「……澪、無理しなくていい。疲れてるだろう?」

囁くように問いかけると、彼女は首を横に振る。
すぐに言葉を返さないあたりが、いつもの彼女らしかった。

それでも、決意のようなまなざしを向けてくる。
その視線を、崇雅は真っ直ぐに受け止めた。

そして、触れた。

頬に、肩に、指先に。
ゆっくりと確かめるように触れて、彼女の鼓動を感じながら、熱を重ねていく。

キスを落とすたびに澪が小さく震え、そのたびに彼女の手が崇雅の腕を掴んだ。

(……ずっと、この手に包まれていてほしい)

声には出さずとも、その想いはきっと伝わっていると信じた。

やがて――ふたりの時間が静かに終わる頃、
澪は崇雅の胸に頬を寄せながら呟く。

「……指輪、朝起きて、夢になってたらどうしようって、ちょっと思いました」

「夢じゃない。何度でも言ってやる」

「はい……でも、もう少しだけ、こうしててもいいですか?」

「好きなだけ」

小さな寝息がすぐ耳元に届く距離で始まり、やがて穏やかに整っていく。
その温もりを確かめながら、崇雅は目を閉じた。

――この日を、ずっと待っていた。

けれど、ここは“始まり”なのだという確信が、心の奥底に静かに灯っていた。



翌朝。
目覚ましよりも早く、崇雅は目を覚ました。
隣には、まだ眠っている澪の姿。

柔らかく広がる髪と、穏やかな寝息。
左手には、昨夜渡したばかりの指輪が、確かに輝いている。

(……よかった、外してない)

そんなことに安堵してしまう自分が、少しだけ可笑しくもあった。

ふと、指先で澪の髪をそっとなでる。
すると彼女がゆっくりとまぶたを開いた。

「……ん、おはようございます……」

かすれた声でそう言ったあと、澪は真っ先に自分の左手を見つめた。
そして、小さく微笑んだ。

「夢じゃ……ないんですね」

「ああ、夢じゃない。現実だ」

「……よかった。ちゃんと……つけたままだった」

「当たり前だろ」

そう言って、崇雅は澪の手を取り、指輪の上から軽くキスを落とした。

その一瞬の間に、またひとつ、確かな絆が結ばれたような気がした。

(これからも――何度でも、そう思わせてやる)

どんな形であれ、彼女が迷わぬように。
不安にさせないように。
この手は、絶対に離さないと、改めて心に誓った朝だった。
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