顔がイイだけのチャラ男なんて、大嫌いです! 〜カタブツ営業職女子が、美貌の新入社員に堕ちるまで〜

冬島六花

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第1章 心を惑わす新入社員

1.8.夜の街、熱い鼓動(2,202字)

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 店を出た瞬間、夜風が頬を撫でていった。トムヤムクンの余熱とビールの苦みが舌の奥にまだ残っていて、その余韻を冷ますように、風は心地よくもあり、どこか物足りなくもあった。

(あ、ヤバい。呑みすぎたな)

 沙月の足元がふらりと揺れる。ヒールの音がアスファルトにかすかに響き、膝下を包むストッキングがひやりと風を通す。ほろ酔いの身体が軽くなったようで、頭の中もほんのり霞がかっている。
 そのとき、絢斗の腕がすっと伸びて、沙月の腰に回された。

「え、絢斗くん……?」

 スーツのジャケット越しに感じる彼の掌は熱を帯びていて、そのぬくもりに、沙月は小さく震えた。シャツの布地越しに当たる胸板の硬さと、シトラスの香りがすぐそばにある。それだけで、鼓動がひとつ、大きく跳ねた。

 ドクン、ドクン。

 彼の鼓動か、それとも自分の胸の音なのか。わからないほどに、近くて、熱い。

「沙月さん。もし、俺がちゃんと仕事で成果を出せたら……そのときは、俺にヤらせてくださいよ?」

 耳元でささやかれたその声に、沙月の全身が一瞬で硬直した。  
 吐息が首筋にかかり、かすかなシトラスと混ざる熱が、肌を撫でていく。反射的に見上げると、街灯に照らされた絢斗の顔がすぐそこにあった。いたずらっぽく笑う唇。けれど、その奥の瞳は真剣だ。

「も、もう……絢斗くん、不謹慎すぎる」

 とっさに返した言葉は、思ったより甘く、揺れていた。酔いのせいなのか、彼のせいなのか、自分でもわからない。唇の端が緩み、頬が熱を帯びる。否定したはずの言葉に、胸の奥では別の何かが疼いていた。

 風が吹き抜け、沙月の髪がふわりと揺れる。汗に張りついたうなじがひやりとして、同時に絢斗の腕の中がいっそう熱を増したように感じた。彼の手はまだ腰にあり、そこから伝わる体温が、じわじわと彼女の五感を侵食していく。

(駄目だ。だいぶ酔ってる)

 ふらつく身体を預けるようにして寄りかかると、彼の香りが一気に濃くなった。ビールと香水と汗が入り混じった匂いは、不思議と心を落ち着かせるどころか、むしろ騒がしくさせた。

(早く離れないといけないのに……どうして? 触れたいと思ってしまう)

 胸の奥に、チリチリとした熱が走る。先ほど彼の一言が頭の中で何度もリフレインし、そのたびに、唇がかすかに震える。

 ――もし、俺がちゃんと仕事で成果を出せたら……そのときは、俺にヤらせてくださいよ?

 とても職場のメンターにかけるとは思えない、不謹慎な言葉。
 なのに――それが叶ったらどうなるかと、ありもしないことを想像してしまう。

 絢斗が歩き出すと、彼女も自然とその隣を歩いた。腰に添えられた手はそのままで、肩に触れるたびに彼の鼓動が伝わってくる。街灯が二人の影を歩道に長く伸ばし、ビルの隙間から夜風がすり抜けていった。

 握っていた彼の腕に、そっと指を絡める。柔らかく、でもたしかな力で彼のぬくもりを感じると、沙月の唇がわずかに開いた。舌に残る苦みが熱を伴って、じんわりと広がる。

 心地よいはずの夜風も、もう冷たくはなかった。

 *

 電車の座席に深く腰を沈め、沙月は揺れる車内に身を任せた。

 夜遅くの車内はまばらな乗客しかいなくて、窓の向こうに流れる街の光が、まるで夢の中の景色みたいにぼやけている。タイ料理の香りとビールの苦みがまだ舌にほのかに残り、酔いの余韻が沙月の身体をぽうっと温かく包んでいた。

 ふと、先ほどの絢斗の声が耳元によみがえる。

 ――もし、俺がちゃんと仕事で成果を出せたら……そのときは、俺にヤらせてくださいよ?

 思い出した瞬間、胸の奥がじくりと疼いた。  
 不謹慎だ。――なのに、頬が自然と熱を持つ。呼吸が少しだけ浅くなる。

(だめだめっ、何を思い出しているのよっ)

 きゅっとバッグの持ち手を握りしめ、視線を膝の上に落とす。頭の中には、あのとき耳元にかかった絢斗の吐息と、シャツ越しに感じた彼の体温が、ありありと蘇っていた。  
 シャツからのぞいた日焼けした腕の筋、いたずらっぽく笑った唇。それなのに、瞳の奥にひそんでいた、真剣な光。

「……はあ」

 静かに息を吐く。  
 酔いが覚めるどころか、ますます熱くなっていく自分の内側に、沙月は戸惑うばかりだった。

 ふいに、もっと前の記憶まで浮かび上がる。  
 社内で絢斗に壁際に追い詰められた、あのとき――。

 ――俺、沙月さんがいいんです。

 逃げられない距離で、まっすぐに向けられた視線。  
 シトラスの香りと、彼の汗ばむ熱気。  
 あのときも、沙月の心臓はどうしようもなく跳ねていた。

(待ってよ。しっかりしろ、私! 絢斗くんのことなんて、大嫌いだったはずでしょう?)

 思い出すたびに胸の奥がじわりと熱を持ち、ストッキング越しの膝がそっと震える。  
 浅くなった呼吸を整えようと顔を上げると、目の前に広がったのは、夜に沈んだ窓ガラスだった。

 そこに映る自分の顔を見て、沙月はハッとした。
 頬が、真っ赤になっている。  
 耳の先まで、火照っていた。

 慌てて目を逸らし、掌で頬を押さえる。けれど、冷めるどころか、ますます火照りは増していくばかりだった。

「……やだ、私、どうしちゃったの……」

 誰に聞かせるでもない呟きが、電車の揺れに紛れて消えていった。

 胸の奥にまだ残る彼の余韻が、静かに、沙月を支配していた。
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