顔がイイだけのチャラ男なんて、大嫌いです! 〜カタブツ営業職女子が、美貌の新入社員に堕ちるまで〜

冬島六花

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第1章 心を惑わす新入社員

1.9.静寂を破る着信音(2,763字)

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 翌朝八時半。オフィスに差し込む柔らかな光が、ガラスの反射を通して沙月のデスクをオレンジ色に染める。
 沙月は出社してパソコンを立ち上げたばかりだ。指先がまだ冷たく、キーボードを叩く音が静かな空間に乾いて響く。
 季節は初夏。首筋にはうっすらと汗が滲み、白いシャツの襟が肌に張りついて、昨夜の熱がまだ閉じ込められているようだった。タイ料理のスパイスとビールの苦みが、まだ少し、舌に記憶として染みついている。

 ――プルルルルッ。

 ふいに電話が鳴り、沙月は受話器を取り上げた。

「はい。カルテット・リンクス営業部です」

 次の瞬間、受話器を握った手が冷たくなる。
 取引先のスーパーの社長が急逝したという知らせだった。

(あの、いつも元気に対応してくださった社長が……?)

 心臓が一瞬、ぎゅっと縮むような感覚が走る。深く息を吸い込み、空調の冷風が頬を撫でるのを感じながら、沙月は視線を上げた。

 絢斗はデスクで資料に目を通している。昨夜はたくさんビールを呑んだというのに、顔もむくんでいないし、疲れも残っていない様子だ。
 額に落ちた茶色い髪、無造作に開いたシャツの第一ボタン。だらしなさと若さの中に、どこか目が離せない魅力がある。
 彼をまじまじと見ただけで――沙月の胸に、波紋のようなときめきが広がった。

「絢斗くん、今夜はお通夜に一緒に行くわよ。あなた、私のメンティなんだから。こういう場面も経験しておいて」

 落ち着いた口調で告げると、絢斗は目を丸くした。

「え? 今日、これから、ですか?俺、喪服なんて持ってないです」

 少し困ったように笑う。その軽さに、まだ場の重さを飲み込めていない戸惑いが滲んでいた。

 沙月は静かに立ち上がる。

「営業は会社の顔。いつ何があるかわからないから、ロッカーに一式は備えておくの。喪服に、念珠に、ふくさ、不祝儀袋もね。……いいわ、午後の打ち合わせの後、一緒に買いに行きましょう。お通夜には間に合うはず」

「わかりました。沙月さん、よろしくお願いします」

 凛とした声に、絢斗はただ頷いた。冗談を言いかけた唇を閉じたのは、沙月の真剣な眼差しを受け止めたからだ。  

(絢斗くん……ふざけてもいい場面と、そうでない場面をきちんとわきまえているのよね)

 社会人としての姿勢に、沙月の胸が静かに動かされる。
 彼はそのまま、背筋を少し伸ばし、沙月を見つめた。

 その日の午後の、駅前の百貨店。涼しい空調が頬を撫で、香水と布地の匂いが漂う中、沙月のパンプスがフロアをコツコツと鳴らす。黒革のバッグが肩に食い込み、隣を歩く絢斗の長身が、無言の緊張をまとっていた。

 喪服売り場。並ぶ黒い布地の重みと、店員の落ち着いた声。絢斗は、周囲の空気に圧倒されるように肩をすぼめた。

「安心して。こういうお店は、急な喪服が必要なお客様に慣れてるの。あなたも、こういう接客から学ぶこと、あるはずよ」

 沙月の助言は穏やかで、けれど芯があった。

「はい」

 絢斗は小さく返事をする。今度はふざけない。初めての場に戸惑いながらも、沙月に恥をかかせたくない、そう思った。  
 彼女の背中を見ながら、今は自分も、ちゃんと大人として振る舞わなきゃいけないんだと、自覚する。

 試着室から現れた絢斗は、黒い喪服に身を包み、普段とはまるで違う雰囲気をまとっていた。ストライプシャツも、軽い笑顔も隠され、そこにいたのは一人の若い社会人だった。

 沙月は、無意識に息をのんだ。絢斗の黒いスーツに混ざるシトラスの香りが、鼻腔をかすめる。胸の奥で、焦げるような熱が広がった。

「似合うわ。これにしましょう……今日着て、クリーニングに出したら、あとは会社のロッカーに準備しておきなさい」

 絢斗は、ふざけた笑顔は見せなかった。ただ、まっすぐに頷いた。

「はい。選んでいただきありがとうございます、沙月さん」

 その答えに、沙月の心がまた、熱く揺れた。

 *

「では絢斗くん、いきましょう」

「はい、沙月さん」

 お通夜の会場に足を踏み入れると、線香の甘く重い香りが鼻をつき、空調の冷たい風が頬をそっと撫でた。  
 沙月は喪服に身を包み、肩下まで伸びた黒髪は、ひとつに結んだ。手には小ぶりな黒いバッグを持っている。
 膝丈スカートの下でストッキング越しの脚が静かに動き、黒のパンプスが畳を踏みしめるたび、小さな音が空気に溶けた。

 隣に立つ絢斗も、喪服姿だった。初めて袖を通した黒いスーツに身を包み、茶色い髪が額に落ちる。
 普段の軽さは消え、真剣な眼差しが静かに周囲を見渡している。
 引きしめた唇。畳にそっと響く革靴の音。彼は、今この場にふさわしい姿を自分なりに必死に作ろうとしていた。

 二人は親族に丁寧に頭を下げる。沙月の声は静かだが、深い誠意がこもっていた。

「生前は大変お世話になりました。今後とも、変わらぬご指導をお願いいたします」

 故人の奥様の目には涙が滲み、震える声で感謝の言葉が返される。

「本当にありがとう。亡くなったあの人も、きっと喜んでる。今後もどうか、よろしくね」

 その言葉に、絢斗の身体がぴんと伸びた。
 まっすぐな背筋。引き結ばれた口元。真剣な眼差しが、静かな光を帯びる。
 沙月はその横顔をそっと見つめ、胸の奥に温かい疼きを覚えた。

(絢斗くん……きちんと、大人になろうとしているのね)

 夜の街へ出ると、冷たい風が線香の匂いをぬぐい去り、アスファルトに二人の足音が重なった。
 黒のパンプスが乾いた音を立て、沙月のスーツ姿を冷えた夜気が包む。
 彼女は、白い頬に冷たい汗を感じながら、ふと口を開いた。

「冠婚葬祭って、今の時代には合わないっていう人もいる。でも、きちんと形式を守って臨めば、相手の心に残る。……信頼にだって、ちゃんとつながるのよ。営業職として、大事なことだから」

 穏やかで、けれど芯のある声だった。
 絢斗はふっと足を止め、沙月をまっすぐに見た。
 街灯の光が、彼の茶色い髪を淡く照らす。
 強く、けれどどこか切なげな眼差しが、沙月をまっすぐ射抜いた。

「沙月先輩……。ほんと、すごいっすね。今日、めちゃくちゃ、勉強になりました」

 彼の声は、夜の静寂に溶けるように響いた。
 沙月の頬がほんのり熱を帯び、首筋に冷えた汗がひやりと流れ落ちる。
 黒革のバッグを握る指先に、革の冷たさが強く刻まれた。

(絢斗くんのまっすぐな気持ち……これは私への尊敬? ひしひしと伝わってくる)

 それは単なるメンターとメンティの関係を超えた、もっと深い、もっと静かな絆だった。
 胸のシャツが呼吸に合わせてわずかに上下する。心臓が高鳴り、鼓動が耳に響いた。

 二人の距離は、静かに、でもたしかに、夜の街に溶けていった。
 言葉にならない思いが、そっと、二人を結びつけていた。
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