顔がイイだけのチャラ男なんて、大嫌いです! 〜カタブツ営業職女子が、美貌の新入社員に堕ちるまで〜

冬島六花

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第2章 親友の言葉、ラブホの夜、そして二人の変化

2.1.同期の言葉、課長の言葉(2,669字)

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 お通夜を境に、絢斗の態度は一変した。  
 ――いや、変わったのは態度だけではない。彼の眼差しには、真摯な敬意と微熱のような思いが混ざり合い、沙月をとらえて離さなくなっていた。

「おはようございます、沙月さん!」

 朝いちばん、その張りのある声がフロアに弾む。資料チェックを頼めば、茶色い前髪を揺らしながらデスクへ駆け寄り、瞳をきらめかせる。

「これ、もっと良くしたいんです。添削、お願いします!」

 会議が終われば挨拶ついでに沙月の発言をまっすぐ褒め、廊下で見つければ軽やかな足取りで横に並ぶ。

(絢斗くんったら……すっかり変わったわね)

 額に落ちる髪、強い目力――その一瞬ごとに、沙月の胸は小さく跳ねた。

 その変化を面白がって観察していたのが、沙月の同期で人事部に所属する、東雲敦子しののめあつこだ。栗色のショートボブに丸眼鏡、くりくりと動く大きな目――リスのように可愛らしく、どこか小悪魔のような魅力を持つ小柄な女性である。  

 昼下がり、二人はオフィス近くのコモレビカフェでランチを取っていた。以前に絢斗が差し入れを買ってくれた店である。テーブルに並ぶのは本日のパスタ〟小エビとアボカドのジェノベーゼ〟にレタスやパプリカなどのカラフルなサラダとスープだ。

 敦子はフォークをくるくる回し、意地悪そうに口を開く。

「ふっふっふ、あのテニサー副幹事長くん、近頃は沙月にべったりだね」

 軽口はカフェのざわめきに紛れたが、沙月の指に力が入り、スプーンの柄がわずかにしなる。頬に熱が差し、彼女はスープをすすりながら目線を落とした。

 敦子の眼鏡の奥が細まり、追い打ちをかける。

「沙月さー、ぶっちゃけ、心移りしてるんじゃない? 葛西課長から。……もともと葛西課長は、しぶしぶ付き合い始めたって感じだったもんね」

 鋭い一言が胸を突いた。スプーンを置く金属音がカチンと響き、沙月の声が裏返る。 

「そ、そんなことないってば……」  

 反論は幼いほど高く、動揺を隠しきれない。舌に残る塩気が喉の奥で疼き、言葉が続かない。

「ふーん……ならいいけど」

 敦子は肩をすくめ、サラダのレタスを突きながら沙月を観察する。

(敦子ってば! 何を物騒なことを……)

 沙月の脳裏に、穏やかな葛西課長の笑顔が浮かぶ――落ち着いた声、家庭的なぬくもり。しかし次の瞬間、絢斗のいたずらな笑みと鋭い眼差しが割り込み、心の輪郭を塗り替えた。木のテーブルを指先で叩くと、ひんやりした感触が掌に染みる。

 窓際から差す陽光が、二人のテーブルに柔らかな影を落とした。遠くで誰かがカップを置く陶磁器の音。沙月はうつむき、レモンの香りに混ざる心拍の速さをごまかす。

「ま、仕事が充実してそうで何よりだよ。人事部は新人が配属されないからさー、いまだに私が一番下っ端なの」

 敦子がくすっと笑い、スープを飲み干す。沙月は小さく息をつき、視線をサラダに落としたまま頬の火照りを鎮めようとした。

 ――気づけば、心の部屋には絢斗が住み着いている。最初の苛立ちは、尊敬と甘いざわめきに塗り替えられていた。

 ランチが終われば、また彼が駆け寄ってくるだろう。その想像だけで胸は鼓動を早め、シャツの襟がかすかに震える。動揺を隠せないまま、昼下がりの時間は静かに、それでもたしかに、沙月を絢斗の方へと押し出していった。

 *

 その夜の食事は、葛西課長がお気に入りの、隠れ家的なフレンチレストランだ。彼は自分が認めた店でしか食事をしない。贅沢で満たされた時間ではあるが、沙月は少し、物足りなくなってきた。
 琥珀色のランプシェードが落とす柔らかな陰影が、沙月のブラウスをあたたかく染めていた。キャンドルの揺らめきがグラスに反射し、深紅のワインを宝石のようにきらめかせる。ローストした肉の香りにハーブが溶け、食欲をくすぐるが、沙月は空腹よりも、胸のざわめきが強かった。

(昼間に敦子に言われたこと……なんだか、意識しちゃうな)

 向かい合う葛西課長は、袖口まで正確に整えたジャケット姿。丁寧にナイフを動かすたび、陶器に刃が触れてかすかな金属音を立てた。
   
 沈黙を切り裂いたのは、低く穏やかな彼の声だ。

「ところで沙月さん。この前まで手を焼いていた新人の千堂くん、最近はどう?」

 その名が空気に漂った瞬間、指先に掴んだステムがわずかに震えた。ワインを含むと冷たさが喉を滑り落ちる代わりに、胸の奥に熱が灯る。
   
「ええ、今はよく話します。覚えも早いし、意外と細かいところに気がつくんです」

 努めて平静を装った声。だがブラウスの奥で鼓動がひそかに速まるのを止められない。
 彼はフォークを置き、キャンドルの光を映した瞳でこちらをすうっと射抜いた。

「なるほど……。君にとって、もしかしたら彼は〝優秀な後輩〟以上の何か、なんじゃないのかな?」

「え? い、いや……相変わらず手のかかる後輩です。メンターとして、彼の成長を見守りたいとは思っていますが……」
   
 胸の奥で細い糸が弾ける音がした。返事を探す間にも、絢斗のいたずらな笑みや真剣な眼差しが次々によみがえる。ふいにグラスを握り直した指に冷たい水滴が伝い、掌に滲んだ汗と混ざった。
   
 課長は黙ったまま、沙月からの答え――おそらく、明確な否定の言葉――を待っている。卓上の炎が揺れ、じりじりと音を立てる。二人の間の緊迫感も高まった。
   
「私は……」

 喉の奥で言葉が途切れる。優しいはずのピアノの調べさえ、責めるように響いた。葛西課長との穏やかな関係――理想的で安全な未来図。その隣に、絢斗がもたらす予測不能な高揚が並び立ち、熱と冷えがせめぎ合う。

「ふむ。……沙月さん、僕の誤解ならいいんだ。すまなかったね」
   
 課長がワインをひと口含み、グラスを置く。その指先までもが落ち着き払っていて、余計に胸を締めつけた。

「いえ、課長、……その……」

 言葉は結局、形にならなかった。瞳を伏せた沙月の頬を、キャンドルの橙がかすかに染める。薄く開いた唇が震え、深呼吸とともにワインの渋みと罪悪感が混ざった息が漏れる。  

 ――葛西課長ではなく、絢斗が頭から離れない。
 けれど今はまだ、それを宣言する勇気がない。

 テーブルを隔てた静寂に、二人の温度差だけがはっきりと浮かび上がる。暖かな店内とは対照的に、沙月の心には冷たい夜風が吹き抜け、そして胸の奥では、小さな焔が消えずに揺れ続けていた。
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