11 / 34
第2章 親友の言葉、ラブホの夜、そして二人の変化
2.2.満員電車、密着する二人(3,818字)
しおりを挟む
夜に何があろうと、朝は変わらずにやってくる。葛西課長のことが心にわだかまりとして残ったまま、沙月は素知らぬふりをして、仕事をこなした。
そして夕方。取引先からの帰路、ラッシュの電車は、すでに身動きが取れないほど混み合っていた。
沙月と絢斗は、狭い車内の中央あたりで、身を寄せ合うように立っていた。
沙月のブラウスは背中に滲んだ汗でしっとりと張りつき、革バッグのストラップが肩口に食い込む。乾ききらない唇を舌で噛み、倒れないように両脚に力を入れる。
隣に立つ絢斗はジャケットを腕にかけ、開いた第一ボタンの隙間から淡い石鹸の匂いを漂わせている。
――ガタンッ。
突然の急制動。吊革の鎖が揺れ、車内アナウンスが事故による運転見合わせを告げた。沙月の身体は支えを失い、反射的に絢斗の胸に倒れ込む。分厚い胸筋越しに伝わる鼓動が、耳元で重く規則的に響いた。
「大丈夫ですか?」
「ええ。……支えてくれて、ありがとう」
低いささやきが髪に触れ、彼の腕がそっと二の腕を支える。呼吸のたびに感じる体温が、湿った車内でひときわ熱を帯びていた。
「それにしても、復旧はまだかしら?」
停車は長期戦となり、酸素の薄い空気と他人の苛立ちが車両にじっとり張りつく。沙月はバッグの角を握り込み、冷えた革の硬さで意識を保とうとするが、絢斗の体温と心拍が否応なく五感を侵食し、脈拍は上がる一方だった。
(困ったわ……こんなに近くに、絢斗くんがいるだなんて……)
*
三時間後、ようやく解放された二人が会社の最寄り駅のホームに降り立つ頃には、夜も深く、足取りには鉛が入っていた。
「この時間から帰宅は、キツいですね」
すでに沙月は数時間前に、スマホで会社に直帰の報告を送っている。それでも会社の最寄り駅まで戻ってきたのは、ここが二人の自宅をつなぐ共通の駅だったからだ。
「そうね。……私の方は、乗り継ぎを工夫すれば終電はまだあるけれど、絢斗くんは遠いでしょう」
溜め息をこぼすと、絢斗が前髪をかき上げながら苦笑した。
「いっそ泊まりましょうか。俺、もう体力ゼロっす」
「そう? ちょっと待ってね。出張でよく使う、ホテル検索サービスを見てみるわ」
急きょ宿を探すも、周辺のビジネスホテルは軒並み満室だ。
「駄目ね。もともとこの近辺って、需要のわりにビジネスホテルが少ないから……」
「じゃあ、飛び込みで泊まれる旅館とか民泊とか探しません? もしくは、ネットカフェなら空いてませんかね? 大きめのとこならシャワーもありますし。まぁ最悪、俺はカラオケでもオッケーです」
「えええ? 若いなあ、絢斗くん……」
素に戻って苦笑すると、絢斗が無邪気な笑顔を咲かせた。
「だって俺、こういうシチュエーション好きですよ! なんかちょっと冒険みたいでワクワクしません? じゃあ、行きましょうよ、沙月さん」
はりきる絢斗に、呆れ半分、羨望半分で、沙月はついていくことにした。
だが、どこを探しても二人が身を寄せる場所はなかった。ネットカフェやカラオケが、数年前のパンデミックにより軒並み閉店してしまった影響は否めない。
かつてネットカフェやカラオケだったテナントは、みな会員制のジムなどに様変わりしていた。
(そうだ、この街も、ここ数年でだいぶ変わってしまったのよね)
そうして歩き回った二人が最後に辿り着いたのは、繁華街の裏通りだ。ネオンの洪水が視界を刺激し、ビル風がシャツの汗を一瞬で冷やした。
行き着いたのは、派手なライトで彩られたラブホテル。ピンクと紫の電飾が壁面を巡り、「空室あり」の文字だけが現実的に輝く。
「沙月さん……大変申し上げにくいのですが、今夜はここに、二人で泊まりましょう」
「ここに? 二人で?」
沙月の喉がひそかに上下し、頬に残る熱が再燃した。
「はい。もう仕方がないです。ここしか――ないですから」
絢斗は冗談めかす余裕もなく、静かに建物の重いドアを押し開く。
(まさか、こんな展開になるだなんて……どうしよう。でも、本音を言えば……嫌じゃない)
自分の気持ちをしっかり絢斗に表明するには、むしろ良い機会かもしれない。
二人の間に生まれつつあった絆がより深まるのか、それとも雲散霧消するのか……。
わからないが、沙月はこの機会を天啓だと思って、受けることにした。
営業部のエースとして、絢斗のメンターとしても、自分の立場をはっきりさせなければならない。
甘いフレグランスが漂うフロントは薄暗く、二人の影を艶やかに映す。受付でカードキーを受け取ると、プラスチックが爪にひやりと触れた。
(とはいえ……私たち、本当に二人で泊まるの、よね?)
心を決めたとはいえ、非日常の空間にいれば、気持ちは絶えず揺らぐ。
さらに、狭いエレベーターに乗り込めば、またしても絢斗との距離はなくなる。密閉空間にこだまする心拍が互いの鼓膜を揺らし、沙月は呼吸を整えようと唇を閉じた。
「沙月さん、ここです」
302号室。部屋のドアが開くと、鏡張りの壁と深紅のベッドカバーが一斉に視界へ飛び込む。天井のスポットライトが、ゆらりと揺れた気がした。
「……! ま、まぁ、ゴージャスな雰囲気ね」
上滑りするような言葉が、沙月の口から漏れる。沙月はラブホテルに来るのは初めてだ。部屋をなんと形容してよいものか、内心、頭を抱えていた。
おずおずベッドの端に腰を下ろせば、柔らかな反発に沈む背中へ疲労が溶けるのを感じる。
「疲れましたね。とりあえず、楽にしましょう」
絢斗がジャケットを椅子に掛ける仕草さえスローモーションのようで、袖口からのぞく腕の筋が静かな色気を帯びていた。
「……ええ」
いたずらに口を開けば緊張が露わになる――そう悟った彼女は、ただ息を呑む。
心臓は、電車で交わした鼓動の続きを刻むように早まっている。期待と不安が混ざった熱が、じわじわと身体の芯を熱くする。
緊張を収めるため、沙月は部屋の中をぐるりと見渡す。だが、思惑は逆の効果をもたらした。
そこは艶やかで扇情的な空間だ。二面の鏡張りの壁が歪んだ世界を映し出し、深紅のサテンカバーに包まれた巨大なベッドが、部屋の中心で妖しく光っている。天井の鏡には、沙月の白いブラウスと汗ばんだ肌がぼんやりと映り込み、どこか非現実的だった。
隅のハンガーには、ナース服やメイド服といったコスチュームが並び、薄暗い照明に揺れている。棚には奇抜な色と形の小箱が整然と並び、背後のテレビモニターではアダルト作品の案内が絶え間なく流れていた。
甘い香水の匂いが空気を満たし、ひときわ濃密な熱を肌にまとわりつかせる。
(どうしよう……激しく後悔してる、かも……)
沙月は無意識にスカートの裾をぎゅっと握った。化繊の感触が掌に食い込み、かすかな現実感を与える。
だが、絢斗の方はそこまでの緊張はないようだ。もしかしたら、こうした場に慣れているのかもしれない。彼のこれまでの女性遍歴を勝手に想像すると、沙月の胸は、ちくりと痛む。
ジャケットを脱いだ絢斗は、汗にしっとりとしたストライプシャツの胸元を軽く引き直している。その仕草に、また鼓動が速まった。
「あ、沙月さん、お風呂、どうぞ」
控えめな絢斗の声に、沙月の思考が弾けた。
「え? ……い、一緒に?」
「はっ……ち、違います! 順番です! お先にどうぞ、って意味です」
「なっ……ごめんなさい。そうよね、恥ずかしい勘違いだわ」
慌てた絢斗の弁解に、沙月の頬がさらに熱を帯びる。思わず顔を背け、声を裏返しながら答えた。
「私、荷物を整理したいから……絢斗くんが、先に入って」
「そうですか? じゃ、お先に」
絢斗は苦笑しながらバスルームへ向かう。
室内に二人きりの空気が満ちたまま、沙月は取り残された。
(はぁ。……流れで来てしまったとはいえ……私には、ここは刺激的すぎるかも)
黒いパンプスが深いカーペットに沈み、柔らかな反発が足裏に広がる。ふと視線を上げれば、コスチュームのフリルが仄暗い中で揺れ、棚のカラフルなパッケージが嫌でも目に入る。
沙月の鼓動はどんどん速くなり、肌に滲んだ汗がブラウス越しにかすかな冷たさを運んでくる。
(電車で閉じ込められた疲れもあるし……ひどい顔してる)
壁の鏡に映る自分――汗ばみ、膝まで伸びるスカートの裾がかすかに揺れる姿――が、普段の理性的な沙月とはまるで違う、どこか危ういものに見えた。
そっとベッドに指を伸ばす。冷たく滑らかな感触が、掌にぬるく絡みつく。上を見上げれば、鏡に映った自分がまた、恥ずかしいほど赤らんでいた。
(絢斗くん……今、すぐそばでシャワーを浴びてるんだよね。信じられない)
バスルームから響くシャワー音。絢斗の存在を無意識に意識するたび、胸の奥で小さな火種がぱちぱちと音を立てて燃え上がる。
(まさか、ラブホで二人きりになるなんて。そして、これからシャワーを浴びた後の彼に対面するだなんて)
震える薄桃色の唇を噛みしめ、息を整えようとする。
けれど、バスルームのドアノブが回る音が遠くで響いた瞬間、沙月は息を呑んだ。
(絢斗くん……!)
絢斗が出てくる、その一瞬を思うだけで、熱い息が喉元から漏れそうになる。
夜の濃密な空気が、部屋を静かに支配していく中、沙月の胸は緊張と、わずかな甘い期待に包まれていた。
そして夕方。取引先からの帰路、ラッシュの電車は、すでに身動きが取れないほど混み合っていた。
沙月と絢斗は、狭い車内の中央あたりで、身を寄せ合うように立っていた。
沙月のブラウスは背中に滲んだ汗でしっとりと張りつき、革バッグのストラップが肩口に食い込む。乾ききらない唇を舌で噛み、倒れないように両脚に力を入れる。
隣に立つ絢斗はジャケットを腕にかけ、開いた第一ボタンの隙間から淡い石鹸の匂いを漂わせている。
――ガタンッ。
突然の急制動。吊革の鎖が揺れ、車内アナウンスが事故による運転見合わせを告げた。沙月の身体は支えを失い、反射的に絢斗の胸に倒れ込む。分厚い胸筋越しに伝わる鼓動が、耳元で重く規則的に響いた。
「大丈夫ですか?」
「ええ。……支えてくれて、ありがとう」
低いささやきが髪に触れ、彼の腕がそっと二の腕を支える。呼吸のたびに感じる体温が、湿った車内でひときわ熱を帯びていた。
「それにしても、復旧はまだかしら?」
停車は長期戦となり、酸素の薄い空気と他人の苛立ちが車両にじっとり張りつく。沙月はバッグの角を握り込み、冷えた革の硬さで意識を保とうとするが、絢斗の体温と心拍が否応なく五感を侵食し、脈拍は上がる一方だった。
(困ったわ……こんなに近くに、絢斗くんがいるだなんて……)
*
三時間後、ようやく解放された二人が会社の最寄り駅のホームに降り立つ頃には、夜も深く、足取りには鉛が入っていた。
「この時間から帰宅は、キツいですね」
すでに沙月は数時間前に、スマホで会社に直帰の報告を送っている。それでも会社の最寄り駅まで戻ってきたのは、ここが二人の自宅をつなぐ共通の駅だったからだ。
「そうね。……私の方は、乗り継ぎを工夫すれば終電はまだあるけれど、絢斗くんは遠いでしょう」
溜め息をこぼすと、絢斗が前髪をかき上げながら苦笑した。
「いっそ泊まりましょうか。俺、もう体力ゼロっす」
「そう? ちょっと待ってね。出張でよく使う、ホテル検索サービスを見てみるわ」
急きょ宿を探すも、周辺のビジネスホテルは軒並み満室だ。
「駄目ね。もともとこの近辺って、需要のわりにビジネスホテルが少ないから……」
「じゃあ、飛び込みで泊まれる旅館とか民泊とか探しません? もしくは、ネットカフェなら空いてませんかね? 大きめのとこならシャワーもありますし。まぁ最悪、俺はカラオケでもオッケーです」
「えええ? 若いなあ、絢斗くん……」
素に戻って苦笑すると、絢斗が無邪気な笑顔を咲かせた。
「だって俺、こういうシチュエーション好きですよ! なんかちょっと冒険みたいでワクワクしません? じゃあ、行きましょうよ、沙月さん」
はりきる絢斗に、呆れ半分、羨望半分で、沙月はついていくことにした。
だが、どこを探しても二人が身を寄せる場所はなかった。ネットカフェやカラオケが、数年前のパンデミックにより軒並み閉店してしまった影響は否めない。
かつてネットカフェやカラオケだったテナントは、みな会員制のジムなどに様変わりしていた。
(そうだ、この街も、ここ数年でだいぶ変わってしまったのよね)
そうして歩き回った二人が最後に辿り着いたのは、繁華街の裏通りだ。ネオンの洪水が視界を刺激し、ビル風がシャツの汗を一瞬で冷やした。
行き着いたのは、派手なライトで彩られたラブホテル。ピンクと紫の電飾が壁面を巡り、「空室あり」の文字だけが現実的に輝く。
「沙月さん……大変申し上げにくいのですが、今夜はここに、二人で泊まりましょう」
「ここに? 二人で?」
沙月の喉がひそかに上下し、頬に残る熱が再燃した。
「はい。もう仕方がないです。ここしか――ないですから」
絢斗は冗談めかす余裕もなく、静かに建物の重いドアを押し開く。
(まさか、こんな展開になるだなんて……どうしよう。でも、本音を言えば……嫌じゃない)
自分の気持ちをしっかり絢斗に表明するには、むしろ良い機会かもしれない。
二人の間に生まれつつあった絆がより深まるのか、それとも雲散霧消するのか……。
わからないが、沙月はこの機会を天啓だと思って、受けることにした。
営業部のエースとして、絢斗のメンターとしても、自分の立場をはっきりさせなければならない。
甘いフレグランスが漂うフロントは薄暗く、二人の影を艶やかに映す。受付でカードキーを受け取ると、プラスチックが爪にひやりと触れた。
(とはいえ……私たち、本当に二人で泊まるの、よね?)
心を決めたとはいえ、非日常の空間にいれば、気持ちは絶えず揺らぐ。
さらに、狭いエレベーターに乗り込めば、またしても絢斗との距離はなくなる。密閉空間にこだまする心拍が互いの鼓膜を揺らし、沙月は呼吸を整えようと唇を閉じた。
「沙月さん、ここです」
302号室。部屋のドアが開くと、鏡張りの壁と深紅のベッドカバーが一斉に視界へ飛び込む。天井のスポットライトが、ゆらりと揺れた気がした。
「……! ま、まぁ、ゴージャスな雰囲気ね」
上滑りするような言葉が、沙月の口から漏れる。沙月はラブホテルに来るのは初めてだ。部屋をなんと形容してよいものか、内心、頭を抱えていた。
おずおずベッドの端に腰を下ろせば、柔らかな反発に沈む背中へ疲労が溶けるのを感じる。
「疲れましたね。とりあえず、楽にしましょう」
絢斗がジャケットを椅子に掛ける仕草さえスローモーションのようで、袖口からのぞく腕の筋が静かな色気を帯びていた。
「……ええ」
いたずらに口を開けば緊張が露わになる――そう悟った彼女は、ただ息を呑む。
心臓は、電車で交わした鼓動の続きを刻むように早まっている。期待と不安が混ざった熱が、じわじわと身体の芯を熱くする。
緊張を収めるため、沙月は部屋の中をぐるりと見渡す。だが、思惑は逆の効果をもたらした。
そこは艶やかで扇情的な空間だ。二面の鏡張りの壁が歪んだ世界を映し出し、深紅のサテンカバーに包まれた巨大なベッドが、部屋の中心で妖しく光っている。天井の鏡には、沙月の白いブラウスと汗ばんだ肌がぼんやりと映り込み、どこか非現実的だった。
隅のハンガーには、ナース服やメイド服といったコスチュームが並び、薄暗い照明に揺れている。棚には奇抜な色と形の小箱が整然と並び、背後のテレビモニターではアダルト作品の案内が絶え間なく流れていた。
甘い香水の匂いが空気を満たし、ひときわ濃密な熱を肌にまとわりつかせる。
(どうしよう……激しく後悔してる、かも……)
沙月は無意識にスカートの裾をぎゅっと握った。化繊の感触が掌に食い込み、かすかな現実感を与える。
だが、絢斗の方はそこまでの緊張はないようだ。もしかしたら、こうした場に慣れているのかもしれない。彼のこれまでの女性遍歴を勝手に想像すると、沙月の胸は、ちくりと痛む。
ジャケットを脱いだ絢斗は、汗にしっとりとしたストライプシャツの胸元を軽く引き直している。その仕草に、また鼓動が速まった。
「あ、沙月さん、お風呂、どうぞ」
控えめな絢斗の声に、沙月の思考が弾けた。
「え? ……い、一緒に?」
「はっ……ち、違います! 順番です! お先にどうぞ、って意味です」
「なっ……ごめんなさい。そうよね、恥ずかしい勘違いだわ」
慌てた絢斗の弁解に、沙月の頬がさらに熱を帯びる。思わず顔を背け、声を裏返しながら答えた。
「私、荷物を整理したいから……絢斗くんが、先に入って」
「そうですか? じゃ、お先に」
絢斗は苦笑しながらバスルームへ向かう。
室内に二人きりの空気が満ちたまま、沙月は取り残された。
(はぁ。……流れで来てしまったとはいえ……私には、ここは刺激的すぎるかも)
黒いパンプスが深いカーペットに沈み、柔らかな反発が足裏に広がる。ふと視線を上げれば、コスチュームのフリルが仄暗い中で揺れ、棚のカラフルなパッケージが嫌でも目に入る。
沙月の鼓動はどんどん速くなり、肌に滲んだ汗がブラウス越しにかすかな冷たさを運んでくる。
(電車で閉じ込められた疲れもあるし……ひどい顔してる)
壁の鏡に映る自分――汗ばみ、膝まで伸びるスカートの裾がかすかに揺れる姿――が、普段の理性的な沙月とはまるで違う、どこか危ういものに見えた。
そっとベッドに指を伸ばす。冷たく滑らかな感触が、掌にぬるく絡みつく。上を見上げれば、鏡に映った自分がまた、恥ずかしいほど赤らんでいた。
(絢斗くん……今、すぐそばでシャワーを浴びてるんだよね。信じられない)
バスルームから響くシャワー音。絢斗の存在を無意識に意識するたび、胸の奥で小さな火種がぱちぱちと音を立てて燃え上がる。
(まさか、ラブホで二人きりになるなんて。そして、これからシャワーを浴びた後の彼に対面するだなんて)
震える薄桃色の唇を噛みしめ、息を整えようとする。
けれど、バスルームのドアノブが回る音が遠くで響いた瞬間、沙月は息を呑んだ。
(絢斗くん……!)
絢斗が出てくる、その一瞬を思うだけで、熱い息が喉元から漏れそうになる。
夜の濃密な空気が、部屋を静かに支配していく中、沙月の胸は緊張と、わずかな甘い期待に包まれていた。
0
あなたにおすすめの小説
契約妻のはずが豹変した夫の激愛に浸されています
結祈みのり
恋愛
両親の不仲の影響で、恋愛や結婚に夢のない春華は、約二年前、実家のしがらみから逃れるために大手企業の御曹司・聡と結婚した。親からの結婚の催促にうんざりしていた彼は、同じく自由を求める春華に契約夫婦になろうと提案してきたのだ。お互いを縛らず、周囲に結婚相手を明らかにしない単なる同居人。そんな関係が続いていたある日、ひょんなことから後輩に告白された春華。それを知っても夫の態度はいつも通り――と思っていたら、なんだか独占欲めいたものに変わっていって……!?
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
エリート御曹司は傷心の彼女に溢れる深愛を甘く刻み込む
松本ユミ
恋愛
旧題:君に捧げる一途な愛~御曹司は傷ついた彼女を守りたい~
木下志乃は付き合っていた彼氏を妹に奪われた過去があり、恋愛に消極的になっていた。
ある日、志乃と同じ会社で働いている無口で堅物と言われている経理部課長の小笠原政宗と知り合う。
いろんな偶然が重なり、一緒に過ごす機会が増えた志乃と政宗。
次第に政宗のことが気になり始めるけど、元カレの裏切り行為に心に傷を負った志乃はどうしても一歩踏み出せずにいた。
そんな志乃を「誰よりも大切にする」と言って政宗は一途な愛で包み込み、二人の距離は縮まっていく。
だけど、ひょんなことから政宗がとある会社の御曹司だと知った志乃。
政宗本人からそのことを聞かされていない志乃はショックを受けてーーー。
大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。
菊池まりな
恋愛
25歳の朱里は、同じ部署の先輩・嵩にずっと片想いをしていた。けれども不器用な朱里は、素直に「好き」と言えず、口から出るのはいつも「大嫌い」。彼女のツンデレな態度に最初は笑って受け流していた嵩も、次第に本気で嫌われていると思い込み、距離を置き始める。
そんな中、後輩の瑠奈が嵩に好意を寄せ、オープンに想いを伝えていく。朱里は心の奥で「私は本当は死ぬほど好きなのに」と叫びながらも、意地とプライドが邪魔をして一歩踏み出せない。
しかし、嵩の転勤が決まり、別れが迫ったとき、朱里はついに「大嫌い」と100回も繰り返した心の裏にある“本音”を告白する決意をする――。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
不遇な令嬢は次期組長の秘めたる溺愛に絡め取られる。
翼 うみ
恋愛
父の会社を立て直す交換条件のため、ほぼ家族に身売りされた形で関東最大級の極道・桜花組の次期組長に嫁入りしたジェシカ。しかし母を亡くして以降、義母と義妹に虐げられていたジェシカは実家を出られるなら、と前向きだった。夫となる和仁には「君を愛することはない」と冷たく突き放される。それでもジェシカは傷つくことはなく、自分にできることを探して楽しんでいた。
和仁には辛い過去がありそれ故に誰のことも愛さないと決めていたが、純真で健気なジェシカに段々と惹かれてゆき――。
政略結婚から始まる溺愛シンデレラストーリー。
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる