顔がイイだけのチャラ男なんて、大嫌いです! 〜カタブツ営業職女子が、美貌の新入社員に堕ちるまで〜

冬島六花

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第2章 親友の言葉、ラブホの夜、そして二人の変化

2.2.満員電車、密着する二人(3,818字)

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 夜に何があろうと、朝は変わらずにやってくる。葛西課長のことが心にわだかまりとして残ったまま、沙月は素知らぬふりをして、仕事をこなした。

 そして夕方。取引先からの帰路、ラッシュの電車は、すでに身動きが取れないほど混み合っていた。
 沙月と絢斗は、狭い車内の中央あたりで、身を寄せ合うように立っていた。
 沙月のブラウスは背中に滲んだ汗でしっとりと張りつき、革バッグのストラップが肩口に食い込む。乾ききらない唇を舌で噛み、倒れないように両脚に力を入れる。
 隣に立つ絢斗はジャケットを腕にかけ、開いた第一ボタンの隙間から淡い石鹸の匂いを漂わせている。

 ――ガタンッ。

 突然の急制動。吊革の鎖が揺れ、車内アナウンスが事故による運転見合わせを告げた。沙月の身体は支えを失い、反射的に絢斗の胸に倒れ込む。分厚い胸筋越しに伝わる鼓動が、耳元で重く規則的に響いた。

「大丈夫ですか?」
「ええ。……支えてくれて、ありがとう」

 低いささやきが髪に触れ、彼の腕がそっと二の腕を支える。呼吸のたびに感じる体温が、湿った車内でひときわ熱を帯びていた。 

「それにしても、復旧はまだかしら?」

 停車は長期戦となり、酸素の薄い空気と他人の苛立ちが車両にじっとり張りつく。沙月はバッグの角を握り込み、冷えた革の硬さで意識を保とうとするが、絢斗の体温と心拍が否応なく五感を侵食し、脈拍は上がる一方だった。

(困ったわ……こんなに近くに、絢斗くんがいるだなんて……)

 *

 三時間後、ようやく解放された二人が会社の最寄り駅のホームに降り立つ頃には、夜も深く、足取りには鉛が入っていた。

「この時間から帰宅は、キツいですね」 

 すでに沙月は数時間前に、スマホで会社に直帰の報告を送っている。それでも会社の最寄り駅まで戻ってきたのは、ここが二人の自宅をつなぐ共通の駅だったからだ。

「そうね。……私の方は、乗り継ぎを工夫すれば終電はまだあるけれど、絢斗くんは遠いでしょう」

 溜め息をこぼすと、絢斗が前髪をかき上げながら苦笑した。 

「いっそ泊まりましょうか。俺、もう体力ゼロっす」

「そう? ちょっと待ってね。出張でよく使う、ホテル検索サービスを見てみるわ」

 急きょ宿を探すも、周辺のビジネスホテルは軒並み満室だ。

「駄目ね。もともとこの近辺って、需要のわりにビジネスホテルが少ないから……」

「じゃあ、飛び込みで泊まれる旅館とか民泊とか探しません? もしくは、ネットカフェなら空いてませんかね? 大きめのとこならシャワーもありますし。まぁ最悪、俺はカラオケでもオッケーです」

「えええ? 若いなあ、絢斗くん……」

 素に戻って苦笑すると、絢斗が無邪気な笑顔を咲かせた。

「だって俺、こういうシチュエーション好きですよ! なんかちょっと冒険みたいでワクワクしません? じゃあ、行きましょうよ、沙月さん」

 はりきる絢斗に、呆れ半分、羨望半分で、沙月はついていくことにした。
 だが、どこを探しても二人が身を寄せる場所はなかった。ネットカフェやカラオケが、数年前のパンデミックにより軒並み閉店してしまった影響は否めない。
 かつてネットカフェやカラオケだったテナントは、みな会員制のジムなどに様変わりしていた。

(そうだ、この街も、ここ数年でだいぶ変わってしまったのよね)

 そうして歩き回った二人が最後に辿り着いたのは、繁華街の裏通りだ。ネオンの洪水が視界を刺激し、ビル風がシャツの汗を一瞬で冷やした。

 行き着いたのは、派手なライトで彩られたラブホテル。ピンクと紫の電飾が壁面を巡り、「空室あり」の文字だけが現実的に輝く。

「沙月さん……大変申し上げにくいのですが、今夜はここに、二人で泊まりましょう」
「ここに? 二人で?」

 沙月の喉がひそかに上下し、頬に残る熱が再燃した。  

「はい。もう仕方がないです。ここしか――ないですから」  

 絢斗は冗談めかす余裕もなく、静かに建物の重いドアを押し開く。

(まさか、こんな展開になるだなんて……どうしよう。でも、本音を言えば……嫌じゃない)

 自分の気持ちをしっかり絢斗に表明するには、むしろ良い機会かもしれない。
 二人の間に生まれつつあった絆がより深まるのか、それとも雲散霧消するのか……。
 わからないが、沙月はこの機会を天啓だと思って、受けることにした。
 営業部のエースとして、絢斗のメンターとしても、自分の立場をはっきりさせなければならない。

 甘いフレグランスが漂うフロントは薄暗く、二人の影を艶やかに映す。受付でカードキーを受け取ると、プラスチックが爪にひやりと触れた。

(とはいえ……私たち、本当に二人で泊まるの、よね?)

 心を決めたとはいえ、非日常の空間にいれば、気持ちは絶えず揺らぐ。
 さらに、狭いエレベーターに乗り込めば、またしても絢斗との距離はなくなる。密閉空間にこだまする心拍が互いの鼓膜を揺らし、沙月は呼吸を整えようと唇を閉じた。

「沙月さん、ここです」

 302号室。部屋のドアが開くと、鏡張りの壁と深紅のベッドカバーが一斉に視界へ飛び込む。天井のスポットライトが、ゆらりと揺れた気がした。

「……! ま、まぁ、ゴージャスな雰囲気ね」

 上滑りするような言葉が、沙月の口から漏れる。沙月はラブホテルに来るのは初めてだ。部屋をなんと形容してよいものか、内心、頭を抱えていた。
 おずおずベッドの端に腰を下ろせば、柔らかな反発に沈む背中へ疲労が溶けるのを感じる。

「疲れましたね。とりあえず、楽にしましょう」

 絢斗がジャケットを椅子に掛ける仕草さえスローモーションのようで、袖口からのぞく腕の筋が静かな色気を帯びていた。

「……ええ」

 いたずらに口を開けば緊張が露わになる――そう悟った彼女は、ただ息を呑む。
 心臓は、電車で交わした鼓動の続きを刻むように早まっている。期待と不安が混ざった熱が、じわじわと身体の芯を熱くする。  

 緊張を収めるため、沙月は部屋の中をぐるりと見渡す。だが、思惑は逆の効果をもたらした。

 そこは艶やかで扇情的な空間だ。二面の鏡張りの壁が歪んだ世界を映し出し、深紅のサテンカバーに包まれた巨大なベッドが、部屋の中心で妖しく光っている。天井の鏡には、沙月の白いブラウスと汗ばんだ肌がぼんやりと映り込み、どこか非現実的だった。  

 隅のハンガーには、ナース服やメイド服といったコスチュームが並び、薄暗い照明に揺れている。棚には奇抜な色と形の小箱が整然と並び、背後のテレビモニターではアダルト作品の案内が絶え間なく流れていた。  
 甘い香水の匂いが空気を満たし、ひときわ濃密な熱を肌にまとわりつかせる。

(どうしよう……激しく後悔してる、かも……)

 沙月は無意識にスカートの裾をぎゅっと握った。化繊の感触が掌に食い込み、かすかな現実感を与える。

 だが、絢斗の方はそこまでの緊張はないようだ。もしかしたら、こうした場に慣れているのかもしれない。彼のこれまでの女性遍歴を勝手に想像すると、沙月の胸は、ちくりと痛む。

 ジャケットを脱いだ絢斗は、汗にしっとりとしたストライプシャツの胸元を軽く引き直している。その仕草に、また鼓動が速まった。  

「あ、沙月さん、お風呂、どうぞ」

 控えめな絢斗の声に、沙月の思考が弾けた。
  
「え? ……い、一緒に?」

「はっ……ち、違います! 順番です! お先にどうぞ、って意味です」

「なっ……ごめんなさい。そうよね、恥ずかしい勘違いだわ」

 慌てた絢斗の弁解に、沙月の頬がさらに熱を帯びる。思わず顔を背け、声を裏返しながら答えた。  

「私、荷物を整理したいから……絢斗くんが、先に入って」

「そうですか? じゃ、お先に」

 絢斗は苦笑しながらバスルームへ向かう。
 室内に二人きりの空気が満ちたまま、沙月は取り残された。

(はぁ。……流れで来てしまったとはいえ……私には、ここは刺激的すぎるかも)

 黒いパンプスが深いカーペットに沈み、柔らかな反発が足裏に広がる。ふと視線を上げれば、コスチュームのフリルが仄暗い中で揺れ、棚のカラフルなパッケージが嫌でも目に入る。  
 沙月の鼓動はどんどん速くなり、肌に滲んだ汗がブラウス越しにかすかな冷たさを運んでくる。  

(電車で閉じ込められた疲れもあるし……ひどい顔してる)

 壁の鏡に映る自分――汗ばみ、膝まで伸びるスカートの裾がかすかに揺れる姿――が、普段の理性的な沙月とはまるで違う、どこか危ういものに見えた。

 そっとベッドに指を伸ばす。冷たく滑らかな感触が、掌にぬるく絡みつく。上を見上げれば、鏡に映った自分がまた、恥ずかしいほど赤らんでいた。

(絢斗くん……今、すぐそばでシャワーを浴びてるんだよね。信じられない)

 バスルームから響くシャワー音。絢斗の存在を無意識に意識するたび、胸の奥で小さな火種がぱちぱちと音を立てて燃え上がる。  

(まさか、ラブホで二人きりになるなんて。そして、これからシャワーを浴びた後の彼に対面するだなんて)

 震える薄桃色の唇を噛みしめ、息を整えようとする。
 けれど、バスルームのドアノブが回る音が遠くで響いた瞬間、沙月は息を呑んだ。

(絢斗くん……!)

 絢斗が出てくる、その一瞬を思うだけで、熱い息が喉元から漏れそうになる。
 夜の濃密な空気が、部屋を静かに支配していく中、沙月の胸は緊張と、わずかな甘い期待に包まれていた。
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