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第3章 揺れる心、秘密の会議室
3.1.親友の言葉(1,844字)
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翌朝からの二人は、あの夜をなかったことにするかのように、オフィスでメンターとメンティの関係に戻った。
午前中のオフィスには、キーボードをカタカタと叩く音や、資料を見ながら打ち合わせをするメンバーの声が重なり合い、いつもの喧騒が広がっている。
(あら、もう十一時半? もうすぐ敦子とのランチの時間じゃない。急がなきゃ)
同期で親友の敦子と、今日はコモレビカフェでランチの予定だった。昼の混雑を見越して、少し早めにお昼休憩に入る。それには、大急ぎで仕事を済ませなければならない。
沙月がデスクに座り、書類に目を通していると、ふと気配を感じた。
顔を上げると、絢斗が近づいてきていた。
以前なら、シャツの襟を乱し、軽い足取りでやって来た彼。
けれど今は、ネクタイをきっちり締め、髪もきれいに整えられている。
手にしたタブレットの画面には、営業資料が映し出され、彼の表情も引きしまっていた。
「沙月さん、これ、見てもらえますか?」
低く落ち着いた声。チャラさの影は、どこにもない。
沙月は資料を受け取り、ペンを走らせながらページをめくった。
フォントは統一され、グラフの色使いも控えめ。提案の流れも、論理的で無駄がない。
赤ペンを持ったものの、修正を加える箇所が見つからず、沙月は思わず目を細めた。
「……悪くないわ。提案も整理されてるし、これなら次回の打ち合わせに使える。クライアントの反応を見ながら、微調整すれば完璧ね」
穏やかな声に、自然と評価とアドバイスが滲む。
「了解っす! 沙月さん、今日もご指導、ありがとうございます」
絢斗はさっぱりとした表情で言う。
そして以前なら見せたかもしれない茶目っ気も封じ込め、真剣な目で彼女を見つめると、静かにデスクへ戻っていった。
その様子を、フロアの入り口から遠巻きに眺めていたのは――少し早く仕事を切り上げて沙月を迎えに来た敦子だった。
*
ランチタイム、オフィス近くにある〝コモレビカフェ〟。
パンの焼ける香ばしい匂いと、窓から差し込む春めいた陽光が、店内を優しく包んでいる。
ショートカットに丸眼鏡の敦子が、サンドイッチのランチセットを前に目を輝かせる。
沙月もまた、慌ただしい仕事を離れて、束の間、心を落ち着かせていた。
目の前には美味しそうなサーモンとクリームリーズのサンドイッチ。そしてサラダとスープ。
サラダのドレッシングの酸味が鼻をくすぐり、フォークが皿に触れるたび、軽やかな音が耳に届く。
「いやぁ、テニサーの副幹事長……もとい、千堂絢斗くんの変貌ぶり、すごいね! 入社したときは、いい加減なチャラ男そのものだったのに。今じゃ立派な社会人だよ。……メンターの沙月が優秀だからだね」
敦子がニコニコしながら言う。
沙月はカップを手に取り、立ち上るコーヒーの湯気を指先に感じながら、小さく首を振った。
「買い被りよ。彼が伸びたのは、彼自身に自覚が芽生えたから。私の影響なんて、せいぜい……その芽に気づかせてあげたくらい」
落ち着いた声。けれど、カップを口に運んだ瞬間、苦みの中にほんのわずか、甘さの気配が滲んだ。
敦子はフォークを止め、丸眼鏡の奥からじっと沙月を見つめる。
「ふーん。……沙月、最近、表情が明るいよね。彼のおかげだったりして」
わかっている、そんなふうに含み笑いを浮かべながら。
沙月の指先に力が入り、カップがわずかに揺れる。
心臓がドクンと跳ね、コーヒーの香りが強く鼻腔を満たす。
「な、何!? そんなわけないでしょ……」
慌てて否定した声は、どこか掠れて頼りない。
視線を逸らすと、敦子はくすくすと笑い、サラダをフォークでつつきながら、軽く続けた。
「そう? ……まぁ、波風は立たせたくないから、そういうことにしとくけど。沙月がそんな顔するなんて、珍しいもんね。……でもさぁ、彼、なかなかいい子じゃん? 悪くないかも……よ?」
軽やかな言葉の裏に、あたたかな気遣いが滲んでいる。
カフェの喧騒が耳に入り、パンの香ばしい匂い、コーヒーの苦み――。
すべてが沙月の感覚を敏感にしていた。
絢斗のきちんと締めたネクタイ、整った髪、真剣な眼差し。
そして――ラブホテルで見せた、あの熱い視線と、甘く支配する手つき。
ふいに胸がきゅっと疼き、息をついた。
絢斗の成長と、自分自身の変化。
それらがたしかにつながっていることを、沙月は、もう否定できなかった。
午前中のオフィスには、キーボードをカタカタと叩く音や、資料を見ながら打ち合わせをするメンバーの声が重なり合い、いつもの喧騒が広がっている。
(あら、もう十一時半? もうすぐ敦子とのランチの時間じゃない。急がなきゃ)
同期で親友の敦子と、今日はコモレビカフェでランチの予定だった。昼の混雑を見越して、少し早めにお昼休憩に入る。それには、大急ぎで仕事を済ませなければならない。
沙月がデスクに座り、書類に目を通していると、ふと気配を感じた。
顔を上げると、絢斗が近づいてきていた。
以前なら、シャツの襟を乱し、軽い足取りでやって来た彼。
けれど今は、ネクタイをきっちり締め、髪もきれいに整えられている。
手にしたタブレットの画面には、営業資料が映し出され、彼の表情も引きしまっていた。
「沙月さん、これ、見てもらえますか?」
低く落ち着いた声。チャラさの影は、どこにもない。
沙月は資料を受け取り、ペンを走らせながらページをめくった。
フォントは統一され、グラフの色使いも控えめ。提案の流れも、論理的で無駄がない。
赤ペンを持ったものの、修正を加える箇所が見つからず、沙月は思わず目を細めた。
「……悪くないわ。提案も整理されてるし、これなら次回の打ち合わせに使える。クライアントの反応を見ながら、微調整すれば完璧ね」
穏やかな声に、自然と評価とアドバイスが滲む。
「了解っす! 沙月さん、今日もご指導、ありがとうございます」
絢斗はさっぱりとした表情で言う。
そして以前なら見せたかもしれない茶目っ気も封じ込め、真剣な目で彼女を見つめると、静かにデスクへ戻っていった。
その様子を、フロアの入り口から遠巻きに眺めていたのは――少し早く仕事を切り上げて沙月を迎えに来た敦子だった。
*
ランチタイム、オフィス近くにある〝コモレビカフェ〟。
パンの焼ける香ばしい匂いと、窓から差し込む春めいた陽光が、店内を優しく包んでいる。
ショートカットに丸眼鏡の敦子が、サンドイッチのランチセットを前に目を輝かせる。
沙月もまた、慌ただしい仕事を離れて、束の間、心を落ち着かせていた。
目の前には美味しそうなサーモンとクリームリーズのサンドイッチ。そしてサラダとスープ。
サラダのドレッシングの酸味が鼻をくすぐり、フォークが皿に触れるたび、軽やかな音が耳に届く。
「いやぁ、テニサーの副幹事長……もとい、千堂絢斗くんの変貌ぶり、すごいね! 入社したときは、いい加減なチャラ男そのものだったのに。今じゃ立派な社会人だよ。……メンターの沙月が優秀だからだね」
敦子がニコニコしながら言う。
沙月はカップを手に取り、立ち上るコーヒーの湯気を指先に感じながら、小さく首を振った。
「買い被りよ。彼が伸びたのは、彼自身に自覚が芽生えたから。私の影響なんて、せいぜい……その芽に気づかせてあげたくらい」
落ち着いた声。けれど、カップを口に運んだ瞬間、苦みの中にほんのわずか、甘さの気配が滲んだ。
敦子はフォークを止め、丸眼鏡の奥からじっと沙月を見つめる。
「ふーん。……沙月、最近、表情が明るいよね。彼のおかげだったりして」
わかっている、そんなふうに含み笑いを浮かべながら。
沙月の指先に力が入り、カップがわずかに揺れる。
心臓がドクンと跳ね、コーヒーの香りが強く鼻腔を満たす。
「な、何!? そんなわけないでしょ……」
慌てて否定した声は、どこか掠れて頼りない。
視線を逸らすと、敦子はくすくすと笑い、サラダをフォークでつつきながら、軽く続けた。
「そう? ……まぁ、波風は立たせたくないから、そういうことにしとくけど。沙月がそんな顔するなんて、珍しいもんね。……でもさぁ、彼、なかなかいい子じゃん? 悪くないかも……よ?」
軽やかな言葉の裏に、あたたかな気遣いが滲んでいる。
カフェの喧騒が耳に入り、パンの香ばしい匂い、コーヒーの苦み――。
すべてが沙月の感覚を敏感にしていた。
絢斗のきちんと締めたネクタイ、整った髪、真剣な眼差し。
そして――ラブホテルで見せた、あの熱い視線と、甘く支配する手つき。
ふいに胸がきゅっと疼き、息をついた。
絢斗の成長と、自分自身の変化。
それらがたしかにつながっていることを、沙月は、もう否定できなかった。
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