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第4章 彼の成長、暴かれる秘密
4.5.絢斗の熱い告白(4,547字)
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沈黙が支配していた部屋の中で、ついに絢斗が動いた。こわばった表情のまま、おそるおそる口を開く。
「あの……俺からも、少し言わせてください」
全員の視線が彼に注がれる。絢斗は深く息を吸い、背筋を伸ばして沙月を見つめた。
(絢斗くん?)
その視線に込められた真剣さに、沙月の胸がぎゅっと締めつけられる。
「……たとえ最初のきっかけが、誰かの策だったとしても。踏み込んだのは俺自身。そして、俺の沙月さんへの気持ちに、嘘はひとつもないです」
その一言で、沙月の心がかすかに揺れる。
(そんなふうに……言ってくれるの? この状況で?)
絢斗は目を伏せ、記憶を辿るように語り始めた。
「入社して、営業部に配属されたとき。初めて会った沙月さんは、めちゃくちゃかっこよかったんすよ。凛としてて、誰にも媚びなくて、なのに俺には優しくて……」
その言葉には、どこまでもまっすぐな敬意が込められていた。
「厳しかったけど、それ以上にちゃんと見てくれていました。俺の努力とか、失敗とか……すべてに目に留めて、言葉にしてくれるのが、嬉しかったです」
(ああ……そんなふうに、思ってくれていたんだ)
絢斗の語る言葉のひとつひとつが、沙月の心に静かに染みていく。
「ある日、昼飯も食べてなさそうな沙月さんに、こっそりサンドイッチ差し入れたんす。そしたら、手放しで喜んでくれて……それだけで、俺、舞い上がっちゃって……。しかも、そのときもらったマスコット、沙月さん、ずっとポーチに付けてくれてたじゃないですか」
(あのマスコット……気づいてたんだ)
沙月の胸に、当時のささやかな記憶が蘇る。
「それを見たときに思ったんです。俺……この人を大切にしたいって。俺の中で確信に変わった……っていうんですかね。わかったんです、沙月さんが、俺にとって特別な人だって」
絢斗の声には、もう迷いはなかった。
緊張していた空気が、少しずつほぐれていく。
「展示会の準備で残業して……会議室で二人っきりになったときも、俺、ただ興奮してたんじゃない。沙月さんの仕事に向き合う姿がかっこよくて、誠実で、なのに時々見せる寂しげな横顔が……もう全部、愛しくなったんですよ」
(絢斗くん……私のことを、愛しいだなんて……)
沙月の目に、じんわりと涙が滲む。
「課長の策があったとしても、俺の気持ちは操られてなんかない。俺は、沙月さんに本気で恋して、本気で惚れて……今もその気持ちは、変わっていません」
その声は震えていた。でも、それは恐れの震えではなかった。
抑えきれない熱と、真実への誠意がこもった、勇気の音だった。
「たとえ、会議室でのことが、葛西課長の目論見通りだったとしても……俺にとっては遊びじゃありませんでした。俺のすべてで、これまでの時間を真剣に生きてきたんです。……俺、沙月さんに本気です」
(どうして……こんなにまっすぐなの……?)
溢れそうな涙を堪えながら、沙月は土下座の姿勢からゆっくりと顔を上げた。
絢斗の目には、熱と涙が滲んでいた。
「絢斗くん……!」
声が詰まって、言葉にならない。
それでも彼の姿がまぶしくて、まっすぐで、痛いほど優しくて――涙が零れそうだった。
敦子は息を飲み、何も言わず絢斗を見つめていた。
葛西課長は無言のまま、腕を組んでソファに腰を沈めている。けれど、その視線はどこか、遠いものを見つめているようだった。
「……絢斗くん、ありがとう。私も、ほんっとうに最低な人間なんだけど……あなたを愛してる気持ちは本当です」
沙月はゆっくりと立ち上がり、彼の元へ歩み寄る。そして、そっと彼の手に自分の手を重ねた。
(許されるわけではないけれど、せめて、自分の気持ちは正直に言えたわ)
絢斗と沙月の行動が茶番に見えたのか、葛西課長が大きく溜め息をついた。
その音が、舞台の終幕を告げるように重く響く。
「はぁ……。やれやれ、君たちには完敗だ。……さぁて、どっこいしょっと」
膝に手を突き、大仰な仕草で立ち上がる。
その動作には芝居がかった軽さと、どこか哀れな疲労感が混ざっていた。
(葛西課長……あきれ果てているわよね)
沙月は無意識に、絢斗の手を強く握る。課長は一同を見回し、静かに口を開いた。
「実はね、東雲さんの言う通りさ。僕には〝寝取られ趣味〟……いや、正しくは〝寝取らせ趣味〟ってやつがある」
その告白に、空気が凍りつく。
(え……! 葛西課長、まさかの告白!?)
「沙月さんに交際を申し込んだのは、真面目な君は断れないだろうと踏んだからだ。強引な手段で、君にアプローチしたというわけさ。そして……半年ほど前かな、管理職級の会議で今年度の新入社員リストを見たとき、沙月さんと絢斗くんの組み合わせが、どうにもそそられてしまってね。人事の配置は部長の仕事だが、僕が〝さりげなく〟進言した。沙月さんを千堂くんのメンターにつけてくれってね」
(嘘でしょ……そんな理由で、私たち……)
沙月から、じわじわと力が抜けていく。課長の口元が、皮肉に歪む。
「その後の展開は……まさに理想的だった。君たちは次第に距離を縮め、会議室での淫らなオフィスラブを……最高の〝ご褒美〟として、僕に届けてくれた」
笑いながら告げるその言葉が、ナイフのように突き刺さる。
「葛西課長……本当に、全部あなたの計画通りだったってことですか?」
沙月の声が震える。本当だとしたら、最低最悪な恋のキューピッドだ。
口にするのも苦しい。けれど、聞かずにはいられなかった。
(信じてた。……葛西課長は私に愛があるんだって)
絢斗の手を握る力が、無意識に強くなる。
「ええっ! ってことは、マジで俺たち……課長に遊ばれてたってことですか?」
絢斗の呟きが、濁流のように落ちる。
葛西課長はジャケットの皺を伸ばしながら、平然と続けた。
「会議室でのたまらない交わり、沙月さんが焦って取り繕う姿、そして今この場で、映画みたいなロマンティックな愛を語る千堂くん……僕にとっては、どれも最高の〝贈り物〟だったよ」
その声は、まるで鼻歌を口ずさむような満足感に満ちていた。
まるで自分が演出家だとでも言いたげに、部屋の空気をねじ曲げる。
「葛西課長……そんな趣味のために、沙月を……!」
敦子が怒りを込めて声を上げる。
「傷つけたつもりはないよ。……むしろ楽しんでたじゃないか、沙月さん。あの夜の声……生涯の思い出になったよ」
「なっ……!」
沙月の顔がみるみる真っ赤に染まる。羞恥と怒りが同時に込み上げ、膝の上の拳が震え出す。
(許せない……でも、何も言い返せない……!)
それでも、課長は平然と、冷たく告げた。
「……もう、僕の用は済んだ。君たちの今後に興味はない」
そう言い放ち、コートを手にドアへ向かう。最後に振り返り、いつもの笑みを浮かべる。
「沙月さん、絢斗くん。仕事では……引き続き、期待してるよ。じゃあ、おやすみ」
静かにドアが閉まり、課長の姿が消える。その音が、まるで〝終幕の拍子木〟のように響いた。
沙月は絢斗の手を握ったまま、呆然とその場に立ち尽くす。
(これが……全部、現実……?)
横から敦子がそっと声をかける。
「沙月……大丈夫?」
その声に返す言葉は見つからない。けれど、絢斗は変わらず、優しく真剣だった。
「すみません。ひどい夜になってしまいましたが……何度でも言います。俺の沙月さんへの気持ちは本物です」
沙月は、ゆっくりと彼の手を握り返す。
二人のやりとりを目の当たりにした敦子は、沙月と絢斗を交互に見つめて溜め息をついた。
「……まったく、あんたたちってほんっと、どうしようもないわねぇ」
そう言って、肩をすくめながらも、口元には優しい笑みが浮かんでいた。
(敦子……そうやって、いつも救ってくれるのね)
沙月は少し涙ぐんだ目で、親友の姿を見つめる。
「沙月、私は前から思ってたのよ。あなたたち、なんだかんだで超・お似合いのカップルだって。……今夜はたっぷり惚気を聞かされて、もう私はぐったり。そろそろ帰るわね。明日からも、よろしく頼んだわよ?」
そう言ってバッグを手に取り、玄関へ向かう敦子。
ドアノブに手をかけたところで、いたずらっぽく振り返る。
「絢斗くんに夢中で、仕事を疎かにしちゃダメよ? ……コンビニ袋の端に見えてたコンドームの箱、気づいてるんだからね?」
「ちょっ……!?」
沙月は顔を真っ赤に染め、思わず声を上げた。
(ま、まさか……バレてたなんて……!)
「当たり前よ! 仕事で成果を出すのが営業職としての使命なんだからっ!」
声がわずかに上ずり、絢斗も照れ笑いを浮かべる。
「マジですか!? 俺、ぜんぜん気づかなかったです」
敦子はクスッと笑い、二人を見つめて言葉を添えた。
「でも、そういう沙月だからこそ、絢斗くんも惚れたんでしょう? まったく、可愛い後輩に手ェ出すなんて、最高にスキャンダラスよ」
(……なんかもう、完敗ね)
敦子の瞳には、からかいの裏に、深い友情とあたたかい祝福の光が宿っていた。
「ねぇ沙月、聞いたことある? 相手の顔がきっかけで惚れた恋は、長続きするんだって。沙月は最初から千堂くんの顔にゾッコンだったもんね。きっと長続きするよ。……じゃあね、お二人さん。おやすみなさい」
軽く手を振り、敦子はドアを開けて出て行く。
足音が遠ざかれば、ふたたび静寂が部屋に戻ってきた。
沙月はリビングに戻ってソファに腰を下ろし、深呼吸する。
(嵐のような夜だったわね……でも)
「敦子さん、良い人ですね。なんか……ほっとしたっす」
絢斗が隣でぽつりと呟く。
沙月は彼を横目に見て、ふっと微笑んだ。
「そうね。彼女は同期でもあるけれど、大切な親友でもあるの。敦子には、いつも助けられてるわ。今夜も……私たちの味方でいてくれた」
ふと視界の端に映る、キッチンカウンターのレジ袋。その隅からのぞく小さな箱を見て、頬が自然とゆるむ。
(コンドームの箱にも、気づかれていたなんてね)
「沙月さん、俺がさっき言ったこと、全部全部、本音ですから。課長がどうとか、仕組まれたとか関係なくて、俺……本当に、沙月さんが好きなんすよ」
まっすぐに見つめてくる絢斗の瞳に、沙月はそっと手を伸ばし、彼の手を握った。
「私もよ、絢斗くん。でも敦子の言う通り、仕事を疎かにはできない。それが私のルールだから」
その声には、キャリアウーマンとしての毅然とした強さが宿っている。
「もちろん、了解です。俺も最強の社会人を目指してるんで、これからもビシバシ指導してください!」
絢斗が元気に頷き、二人の距離が、自然と近づいていく。
(絢斗くんを、そして自分の気持ちを、もう二度と裏切りたくない)
コンビニの袋から缶ビールとチューハイを取り出し、缶ビールを絢斗に手渡す。
「……展示会の成功と、これからの私たちに」
缶を開けながら沙月が声を上げると、絢斗がすかさず返す。
「乾杯!」
カチン、と小さな音が部屋に弾ける。その音は、緊迫した夜の幕引きに、ささやかな華を添えていた。
こうして寄り添い合えることが、今の沙月にとって何よりの救いだった。
仕事と愛情。両方を大切にしていきたい――沙月はそう願っていた。
「あの……俺からも、少し言わせてください」
全員の視線が彼に注がれる。絢斗は深く息を吸い、背筋を伸ばして沙月を見つめた。
(絢斗くん?)
その視線に込められた真剣さに、沙月の胸がぎゅっと締めつけられる。
「……たとえ最初のきっかけが、誰かの策だったとしても。踏み込んだのは俺自身。そして、俺の沙月さんへの気持ちに、嘘はひとつもないです」
その一言で、沙月の心がかすかに揺れる。
(そんなふうに……言ってくれるの? この状況で?)
絢斗は目を伏せ、記憶を辿るように語り始めた。
「入社して、営業部に配属されたとき。初めて会った沙月さんは、めちゃくちゃかっこよかったんすよ。凛としてて、誰にも媚びなくて、なのに俺には優しくて……」
その言葉には、どこまでもまっすぐな敬意が込められていた。
「厳しかったけど、それ以上にちゃんと見てくれていました。俺の努力とか、失敗とか……すべてに目に留めて、言葉にしてくれるのが、嬉しかったです」
(ああ……そんなふうに、思ってくれていたんだ)
絢斗の語る言葉のひとつひとつが、沙月の心に静かに染みていく。
「ある日、昼飯も食べてなさそうな沙月さんに、こっそりサンドイッチ差し入れたんす。そしたら、手放しで喜んでくれて……それだけで、俺、舞い上がっちゃって……。しかも、そのときもらったマスコット、沙月さん、ずっとポーチに付けてくれてたじゃないですか」
(あのマスコット……気づいてたんだ)
沙月の胸に、当時のささやかな記憶が蘇る。
「それを見たときに思ったんです。俺……この人を大切にしたいって。俺の中で確信に変わった……っていうんですかね。わかったんです、沙月さんが、俺にとって特別な人だって」
絢斗の声には、もう迷いはなかった。
緊張していた空気が、少しずつほぐれていく。
「展示会の準備で残業して……会議室で二人っきりになったときも、俺、ただ興奮してたんじゃない。沙月さんの仕事に向き合う姿がかっこよくて、誠実で、なのに時々見せる寂しげな横顔が……もう全部、愛しくなったんですよ」
(絢斗くん……私のことを、愛しいだなんて……)
沙月の目に、じんわりと涙が滲む。
「課長の策があったとしても、俺の気持ちは操られてなんかない。俺は、沙月さんに本気で恋して、本気で惚れて……今もその気持ちは、変わっていません」
その声は震えていた。でも、それは恐れの震えではなかった。
抑えきれない熱と、真実への誠意がこもった、勇気の音だった。
「たとえ、会議室でのことが、葛西課長の目論見通りだったとしても……俺にとっては遊びじゃありませんでした。俺のすべてで、これまでの時間を真剣に生きてきたんです。……俺、沙月さんに本気です」
(どうして……こんなにまっすぐなの……?)
溢れそうな涙を堪えながら、沙月は土下座の姿勢からゆっくりと顔を上げた。
絢斗の目には、熱と涙が滲んでいた。
「絢斗くん……!」
声が詰まって、言葉にならない。
それでも彼の姿がまぶしくて、まっすぐで、痛いほど優しくて――涙が零れそうだった。
敦子は息を飲み、何も言わず絢斗を見つめていた。
葛西課長は無言のまま、腕を組んでソファに腰を沈めている。けれど、その視線はどこか、遠いものを見つめているようだった。
「……絢斗くん、ありがとう。私も、ほんっとうに最低な人間なんだけど……あなたを愛してる気持ちは本当です」
沙月はゆっくりと立ち上がり、彼の元へ歩み寄る。そして、そっと彼の手に自分の手を重ねた。
(許されるわけではないけれど、せめて、自分の気持ちは正直に言えたわ)
絢斗と沙月の行動が茶番に見えたのか、葛西課長が大きく溜め息をついた。
その音が、舞台の終幕を告げるように重く響く。
「はぁ……。やれやれ、君たちには完敗だ。……さぁて、どっこいしょっと」
膝に手を突き、大仰な仕草で立ち上がる。
その動作には芝居がかった軽さと、どこか哀れな疲労感が混ざっていた。
(葛西課長……あきれ果てているわよね)
沙月は無意識に、絢斗の手を強く握る。課長は一同を見回し、静かに口を開いた。
「実はね、東雲さんの言う通りさ。僕には〝寝取られ趣味〟……いや、正しくは〝寝取らせ趣味〟ってやつがある」
その告白に、空気が凍りつく。
(え……! 葛西課長、まさかの告白!?)
「沙月さんに交際を申し込んだのは、真面目な君は断れないだろうと踏んだからだ。強引な手段で、君にアプローチしたというわけさ。そして……半年ほど前かな、管理職級の会議で今年度の新入社員リストを見たとき、沙月さんと絢斗くんの組み合わせが、どうにもそそられてしまってね。人事の配置は部長の仕事だが、僕が〝さりげなく〟進言した。沙月さんを千堂くんのメンターにつけてくれってね」
(嘘でしょ……そんな理由で、私たち……)
沙月から、じわじわと力が抜けていく。課長の口元が、皮肉に歪む。
「その後の展開は……まさに理想的だった。君たちは次第に距離を縮め、会議室での淫らなオフィスラブを……最高の〝ご褒美〟として、僕に届けてくれた」
笑いながら告げるその言葉が、ナイフのように突き刺さる。
「葛西課長……本当に、全部あなたの計画通りだったってことですか?」
沙月の声が震える。本当だとしたら、最低最悪な恋のキューピッドだ。
口にするのも苦しい。けれど、聞かずにはいられなかった。
(信じてた。……葛西課長は私に愛があるんだって)
絢斗の手を握る力が、無意識に強くなる。
「ええっ! ってことは、マジで俺たち……課長に遊ばれてたってことですか?」
絢斗の呟きが、濁流のように落ちる。
葛西課長はジャケットの皺を伸ばしながら、平然と続けた。
「会議室でのたまらない交わり、沙月さんが焦って取り繕う姿、そして今この場で、映画みたいなロマンティックな愛を語る千堂くん……僕にとっては、どれも最高の〝贈り物〟だったよ」
その声は、まるで鼻歌を口ずさむような満足感に満ちていた。
まるで自分が演出家だとでも言いたげに、部屋の空気をねじ曲げる。
「葛西課長……そんな趣味のために、沙月を……!」
敦子が怒りを込めて声を上げる。
「傷つけたつもりはないよ。……むしろ楽しんでたじゃないか、沙月さん。あの夜の声……生涯の思い出になったよ」
「なっ……!」
沙月の顔がみるみる真っ赤に染まる。羞恥と怒りが同時に込み上げ、膝の上の拳が震え出す。
(許せない……でも、何も言い返せない……!)
それでも、課長は平然と、冷たく告げた。
「……もう、僕の用は済んだ。君たちの今後に興味はない」
そう言い放ち、コートを手にドアへ向かう。最後に振り返り、いつもの笑みを浮かべる。
「沙月さん、絢斗くん。仕事では……引き続き、期待してるよ。じゃあ、おやすみ」
静かにドアが閉まり、課長の姿が消える。その音が、まるで〝終幕の拍子木〟のように響いた。
沙月は絢斗の手を握ったまま、呆然とその場に立ち尽くす。
(これが……全部、現実……?)
横から敦子がそっと声をかける。
「沙月……大丈夫?」
その声に返す言葉は見つからない。けれど、絢斗は変わらず、優しく真剣だった。
「すみません。ひどい夜になってしまいましたが……何度でも言います。俺の沙月さんへの気持ちは本物です」
沙月は、ゆっくりと彼の手を握り返す。
二人のやりとりを目の当たりにした敦子は、沙月と絢斗を交互に見つめて溜め息をついた。
「……まったく、あんたたちってほんっと、どうしようもないわねぇ」
そう言って、肩をすくめながらも、口元には優しい笑みが浮かんでいた。
(敦子……そうやって、いつも救ってくれるのね)
沙月は少し涙ぐんだ目で、親友の姿を見つめる。
「沙月、私は前から思ってたのよ。あなたたち、なんだかんだで超・お似合いのカップルだって。……今夜はたっぷり惚気を聞かされて、もう私はぐったり。そろそろ帰るわね。明日からも、よろしく頼んだわよ?」
そう言ってバッグを手に取り、玄関へ向かう敦子。
ドアノブに手をかけたところで、いたずらっぽく振り返る。
「絢斗くんに夢中で、仕事を疎かにしちゃダメよ? ……コンビニ袋の端に見えてたコンドームの箱、気づいてるんだからね?」
「ちょっ……!?」
沙月は顔を真っ赤に染め、思わず声を上げた。
(ま、まさか……バレてたなんて……!)
「当たり前よ! 仕事で成果を出すのが営業職としての使命なんだからっ!」
声がわずかに上ずり、絢斗も照れ笑いを浮かべる。
「マジですか!? 俺、ぜんぜん気づかなかったです」
敦子はクスッと笑い、二人を見つめて言葉を添えた。
「でも、そういう沙月だからこそ、絢斗くんも惚れたんでしょう? まったく、可愛い後輩に手ェ出すなんて、最高にスキャンダラスよ」
(……なんかもう、完敗ね)
敦子の瞳には、からかいの裏に、深い友情とあたたかい祝福の光が宿っていた。
「ねぇ沙月、聞いたことある? 相手の顔がきっかけで惚れた恋は、長続きするんだって。沙月は最初から千堂くんの顔にゾッコンだったもんね。きっと長続きするよ。……じゃあね、お二人さん。おやすみなさい」
軽く手を振り、敦子はドアを開けて出て行く。
足音が遠ざかれば、ふたたび静寂が部屋に戻ってきた。
沙月はリビングに戻ってソファに腰を下ろし、深呼吸する。
(嵐のような夜だったわね……でも)
「敦子さん、良い人ですね。なんか……ほっとしたっす」
絢斗が隣でぽつりと呟く。
沙月は彼を横目に見て、ふっと微笑んだ。
「そうね。彼女は同期でもあるけれど、大切な親友でもあるの。敦子には、いつも助けられてるわ。今夜も……私たちの味方でいてくれた」
ふと視界の端に映る、キッチンカウンターのレジ袋。その隅からのぞく小さな箱を見て、頬が自然とゆるむ。
(コンドームの箱にも、気づかれていたなんてね)
「沙月さん、俺がさっき言ったこと、全部全部、本音ですから。課長がどうとか、仕組まれたとか関係なくて、俺……本当に、沙月さんが好きなんすよ」
まっすぐに見つめてくる絢斗の瞳に、沙月はそっと手を伸ばし、彼の手を握った。
「私もよ、絢斗くん。でも敦子の言う通り、仕事を疎かにはできない。それが私のルールだから」
その声には、キャリアウーマンとしての毅然とした強さが宿っている。
「もちろん、了解です。俺も最強の社会人を目指してるんで、これからもビシバシ指導してください!」
絢斗が元気に頷き、二人の距離が、自然と近づいていく。
(絢斗くんを、そして自分の気持ちを、もう二度と裏切りたくない)
コンビニの袋から缶ビールとチューハイを取り出し、缶ビールを絢斗に手渡す。
「……展示会の成功と、これからの私たちに」
缶を開けながら沙月が声を上げると、絢斗がすかさず返す。
「乾杯!」
カチン、と小さな音が部屋に弾ける。その音は、緊迫した夜の幕引きに、ささやかな華を添えていた。
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数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
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