隣の他人

文月 青

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番外編

まだまだ他人? 1

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ずいぶんと遠回しなものではあったが、無事にプロポーズに応えてもらい、既に一緒に暮らしているのだから、とにかく入籍だけは邪魔が入る前に済ませてしまおう。そう思っていたのに、ここにきて斗田に長期出張の話が持ち上がった。

「半年程なんだけど、秋に立ち上げる新店の応援に呼ばれたの」

相変わらず微妙な斗田の作った晩飯を食べながら、俺は詳しい事情を説明されていた。

「軌道に乗ったら、また現在の店に戻るよ」

不景気の煽りを受けて厳しい状況が続くなか、巻き返しを図るための重要な店舗になるらしい。ちなみに俺達の住むアパートからは、車でも電車でも三時間はかかる地域。故にここからの通勤は不可能。

「自由がきく独身者ということで、白羽の矢が当たっちゃった」

もちろんそれだけじゃなく、実力を買われてのことだろう。ならば俺も我がことのように嬉しい。が、一つ気になる単語が。

「独身者?」

「そう。星よりも一足早く、四月半ばまでには赴任してほしいって」

あと三日もすれば四月ですが、月子さん。しかも星? それはもしやあの最高の相棒とやらの名前ですか?

「星は新店に移動するから、後任のマネージャーに引き継ぎがあるからね」

そんなことはどうでもいい。むしろ星が斗田の近くからいなくなるのは大歓迎。だが半年は俺の目の届かない所で二人きり。既婚者だと聞いていても心穏やかではいられない。

「奥さんも急な引っ越しじゃ大変だな」

平静を装って話を合わせてみれば、

「星の奥さん、今悪阻が酷いらしいの。何かあるといけないから、一旦実家に帰って様子を見て、体調が落ち着いたら引っ越してくるんだって。あいつ可哀想に、しばらくは単身赴任よ」

斗田は明るく笑いながらとどめを刺す。勘弁してくれ、この能天気女。星は仮にも昔の男だろうが。どの程度の仲だったのかは知らんが。知りたいけれど訊ける立場ではないが。

「表向き独身が前提じゃ、入籍するわけにはいかないよな」

食事を終えて箸を置いてからため息をついた。慣れは怖い。もともと本当に不味かったわけではないが、美味というほどでもなかった斗田の飯が、当たり前のように食べられてしまう。

「そうだね」

俺は正直かなり堪えているのに、斗田は他人事みたいに言っては食器を洗っている。決定事項ではないとはいえ、何の約束もなく俺と離れてもお前は平気なのか。

「浮気、しない?」

内心がっかりしていたところに、不安そうな目で問いかけてくるのはわざとか? わざとなのか? 俺は無言で立ち上がって洗い物を済ませた斗田を抱き上げた。

「瀬戸?」

「コーヒーはいらない。デザートを食べる」

口を尖らせて自室に向かうと、腕の中の斗田は恥ずかしそうに俺を見上げる。頼むから星にも他の男にもそれ絶対するなよ。これから浮気なんかしようがない証をしっかり立ててやるから。



翌日の夕方、仕事帰りにコーヒーショップで藤沢と落ち合った。スーツ姿の男二人で入るには抵抗のある店だが、お互いに飯は家で食べたいという希望が合致して、とりあえず手短に済ませる場所を選んだ。

「斗田が家を出るって?」

茜を通じて斗田の出張話を聞いたのだろう。コーヒーを一口飲むなり藤沢が切り出した。

「まだ決まってないが、半年程な」

「例の上司も一緒だって?」

そこまで知っているのか。隠しても仕方がないので俺も素直に頷いた。それにしてもコーヒーはそこそこ美味いのに、やはり斗田が淹れてくれたインスタントの方が恋しくなるのは何故だろう。相当斗田に毒されてんのかな、俺。

「茜が何度か会ったことがあるんだが、いい男らしいぞ、星マネージャー。外見も内面も」

俺は驚いて目を見開く。

「男に点が辛いあの茜が、唯一斗田の相手として認めてた」

よもや斗田のみならず、茜からも高評価の物件だったとは。くずだのろくでなしだのと罵倒されている自分とはえらい違いだ。

「しかも結婚しているとはいえ、信頼度は抜群。何せお前との関係に疲れた斗田とつきあって、やはりお前でないと駄目だと悟った斗田を、自分も想っていたのにあっさり手離すことができるくらいだから」

無意識のうちに体に力が入った。星が斗田を好きだった。その事実に打ちのめされる。つきあっていたのだから重々承知はしていたが、想像以上の斗田への好意の深さに俄かに焦りを感じる。

「もう結婚しているし、そこまで斗田を第一に考えられるのなら、万が一にも間違いは起こらないと思うが。籍は入れずに行くと聞いたから、ついお節介を焼きたくなってな」

よほど酷い顔をしていたのだろう。藤沢は少し砕けた口調になった。

「まぁ何年も待ったんだ。半年くらい大丈夫か」

「逆だ。全然大丈夫じゃない。何年も待った、待たせたからこそ、だ」

隣りでずっと泣かせてきたからこそ、もう一時も手離したくはない。取り返せない十年を埋めたい。幸せな記憶に塗り替えたい。

「それちゃんと斗田に伝えたのか?」

ゆっくり首を横に振る。

「どの面下げて言える」

昨夜の生き生きとした斗田が脳裏に蘇る。彼女にとってはステップアップのチャンスだ。俺の我儘で潰すことはできない。

「瀬戸…」

沈んだ藤沢の声にどうにもやり切れなくなって、俺は温くなったコーヒーを一気に飲み干した。




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