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奈央編
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うちの朝は早い。開店は10時でも店長とあやめさんは6時30分にはお店に向かうので、朝食の準備や後片付けは、私が一手に引き受けている。お菓子作りが苦手な私はお店にいても役に立たないが、家では少しだけれど重宝されている。
「どうして貴方がここにいるのでしょうか」
パジャマ代わりのスウェットに寝癖頭のまま、キッチンで三人分のお弁当を作っていた私は、店長やあやめさんと共に食卓に着いている茂木さんに訊ねた。昨日の今日ですっかり馴染んだ彼は、家族のように違和感なくご飯を食べている。
「湊くん帰りは仕事で遅くなるんですって」
口をもごもご動かしながら、あやめさんが我先にと答える。いつの間に名前呼びする仲になったんだ。
「すみません。今日はお店に行けそうにないので、朝のうちに顔だけでも見たくて」
私の出勤時間である9時に合わせようと思ったらしいのだが、あやめさん達の留守中に来るのは気が引けて、迷惑承知で訪ねてきたところをまんまと捕まった、と。家主が許可しているのだから別にいいけれど、人前でさらっと妙なことを宣うのはやめて。
「奈央さんのご飯美味しいです。毎日食べたいくらいです」
言ってる傍からどうして背中がぞわぞわするような台詞を吐くかな。恥ずかしくてやってられない。
「毎日いらっしゃいよ…って、あら奈央ちゃん真っ赤」
「お、珍しいな」
あやめさんと店長がにやにやしながら私の顔を覗き込む。
「これは風邪!」
むきになって否定したものの二人は全く聞く耳持たず。お弁当片手に席を立つと鼻歌混じりで玄関に向かった。
「さて行ってくる」
「湊くんは時間までゆっくりしていってね」
口調が完全に揶揄いを含んでいるのが悔しい。私は敗北感にまみれて茂木さんの隣に腰を下ろした。原因を作った張本人は、まだ食事の途中だというのに箸を置くと、
「ごちそうさまでした。俺も行きますね」
申し訳なさそうに小さく笑った。美味しいというのは社交辞令としても、残すほど不味かったのだろうか。
「もう仕事なんですか?」
「いえ、8時からなのでまだ大丈夫ですが」
「そんなに不味かったですか?」
畳み込むように問いかけて茂木さんのお皿を指す。彼は私の指先を目で追って慌てて首を振った。
「違いますよ! 本当は全部食べたいです。でもあんまり図々しいと奈央さんに嫌われるかと」
声が尻すぼみになっている。歯の浮くような言葉を平気で並べるくせに、つくづくおかしなところで弱気になる人だ。
「それなら大丈夫です。仕事にも障りますからしっかり食べて下さい」
「はい」
嬉しそうに頷いて茂木さんは再び箸を取った。体が資本の仕事柄か気持ちいいくらいぺろっと平らげてくれる。合間にこれは何ですか? これ大好きです! と挟んでくるものだから、大した物は作っていないのに私もつられていつもより食が進んでしまった。
「奈央さんは何時までの勤務なんですか?」
食べ終えて一旦食器をシンクに下げた後、二人分のコーヒーを淹れて戻ってきた私に、まったりとテレビを眺めていた茂木さんが訊ねた。
「一応19時までです」
コーヒーの湯気にほっと息をついて答えれば、茂木さんもゆっくりカップを傾ける。ただ私の場合はその日のお客様の入り次第で早めに上がるときもあれば、閉店後に念入りに清掃を済ませてから帰るときもある。
「茂木さんは変則シフトですか?」
さっき帰りが遅いという話をしていたのを思い出した。
「そうですね。状況に合わせて何パターンか組まれています。最近は日中だけでなく、夜間の配達も増えていますから」
仕事をしている人は昼間は大抵留守だから、必然的に夜間配達を頼まざるを得ない。うちも以前は自宅に荷物を届けてもらっても、誰もいなくて再配達をお願いしていたので、今では宛先を全て店舗に指定しているけれど、一般家庭でこの方法は取れない。
お客様の荷物を預かっているうえに、時間にも左右されるのだから、実はこれまで意識したことはなかったけれど、茂木さんの仕事は凄く大変なのかもしれない。もちろんどんな仕事も楽ではないけれど。
「奈央さんはスーツで働く人の方が好ましいですか?」
あれこれ考えを巡らせている私にどんな勘違いをしたのか、茂木さんは淋しげな表情でぽつりと零した。
「全く。そもそも私もスーツなんて着ていませんから」
意味が分からずに眉を顰めると、何故か茂木さんは安堵のため息をついて腕時計に目を落とした。
「じゃあ今度こそ本当に行きます。ご飯ごちそうさまでした。めちゃくちゃ美味しかったです」
名残惜しそうに立ち上がった茂木さんを見送るため、私も玄関まで後ろをぺたぺた着いてゆく。そして靴を履いて振り返った彼にお弁当を差し出した。
「俺…に? でも奈央さんの分じゃ…」
「私の分はすぐに用意できます。ただし残り物ばかりですからね?」
「ありがとうございます! 頂きます!」
お弁当を受け取った茂木さんは、まるで宝物のように大切に抱えている。あり合わせのおかずを詰めただけなのに、どうしてこんなに喜んでいるんだか。
「行ってきます」
好物を作ってもらった子供のような反応に、つい笑みが洩れてしまう。
「行ってらっしゃい」
当然のように応えたら茂木さんは目を瞬かせた。
「奈央さん」
「はい」
「自分で分かってないでしょう? 絶対分かってませんよね? その笑顔反則ですから! 可愛いですから!」
あぁもうと髪を掻きむしりながら出かけていった茂木さん。ようやく冷めた熱がぶり返した私は、両手で口元を覆ったまましばらくその場から動けなかった。
「どうして貴方がここにいるのでしょうか」
パジャマ代わりのスウェットに寝癖頭のまま、キッチンで三人分のお弁当を作っていた私は、店長やあやめさんと共に食卓に着いている茂木さんに訊ねた。昨日の今日ですっかり馴染んだ彼は、家族のように違和感なくご飯を食べている。
「湊くん帰りは仕事で遅くなるんですって」
口をもごもご動かしながら、あやめさんが我先にと答える。いつの間に名前呼びする仲になったんだ。
「すみません。今日はお店に行けそうにないので、朝のうちに顔だけでも見たくて」
私の出勤時間である9時に合わせようと思ったらしいのだが、あやめさん達の留守中に来るのは気が引けて、迷惑承知で訪ねてきたところをまんまと捕まった、と。家主が許可しているのだから別にいいけれど、人前でさらっと妙なことを宣うのはやめて。
「奈央さんのご飯美味しいです。毎日食べたいくらいです」
言ってる傍からどうして背中がぞわぞわするような台詞を吐くかな。恥ずかしくてやってられない。
「毎日いらっしゃいよ…って、あら奈央ちゃん真っ赤」
「お、珍しいな」
あやめさんと店長がにやにやしながら私の顔を覗き込む。
「これは風邪!」
むきになって否定したものの二人は全く聞く耳持たず。お弁当片手に席を立つと鼻歌混じりで玄関に向かった。
「さて行ってくる」
「湊くんは時間までゆっくりしていってね」
口調が完全に揶揄いを含んでいるのが悔しい。私は敗北感にまみれて茂木さんの隣に腰を下ろした。原因を作った張本人は、まだ食事の途中だというのに箸を置くと、
「ごちそうさまでした。俺も行きますね」
申し訳なさそうに小さく笑った。美味しいというのは社交辞令としても、残すほど不味かったのだろうか。
「もう仕事なんですか?」
「いえ、8時からなのでまだ大丈夫ですが」
「そんなに不味かったですか?」
畳み込むように問いかけて茂木さんのお皿を指す。彼は私の指先を目で追って慌てて首を振った。
「違いますよ! 本当は全部食べたいです。でもあんまり図々しいと奈央さんに嫌われるかと」
声が尻すぼみになっている。歯の浮くような言葉を平気で並べるくせに、つくづくおかしなところで弱気になる人だ。
「それなら大丈夫です。仕事にも障りますからしっかり食べて下さい」
「はい」
嬉しそうに頷いて茂木さんは再び箸を取った。体が資本の仕事柄か気持ちいいくらいぺろっと平らげてくれる。合間にこれは何ですか? これ大好きです! と挟んでくるものだから、大した物は作っていないのに私もつられていつもより食が進んでしまった。
「奈央さんは何時までの勤務なんですか?」
食べ終えて一旦食器をシンクに下げた後、二人分のコーヒーを淹れて戻ってきた私に、まったりとテレビを眺めていた茂木さんが訊ねた。
「一応19時までです」
コーヒーの湯気にほっと息をついて答えれば、茂木さんもゆっくりカップを傾ける。ただ私の場合はその日のお客様の入り次第で早めに上がるときもあれば、閉店後に念入りに清掃を済ませてから帰るときもある。
「茂木さんは変則シフトですか?」
さっき帰りが遅いという話をしていたのを思い出した。
「そうですね。状況に合わせて何パターンか組まれています。最近は日中だけでなく、夜間の配達も増えていますから」
仕事をしている人は昼間は大抵留守だから、必然的に夜間配達を頼まざるを得ない。うちも以前は自宅に荷物を届けてもらっても、誰もいなくて再配達をお願いしていたので、今では宛先を全て店舗に指定しているけれど、一般家庭でこの方法は取れない。
お客様の荷物を預かっているうえに、時間にも左右されるのだから、実はこれまで意識したことはなかったけれど、茂木さんの仕事は凄く大変なのかもしれない。もちろんどんな仕事も楽ではないけれど。
「奈央さんはスーツで働く人の方が好ましいですか?」
あれこれ考えを巡らせている私にどんな勘違いをしたのか、茂木さんは淋しげな表情でぽつりと零した。
「全く。そもそも私もスーツなんて着ていませんから」
意味が分からずに眉を顰めると、何故か茂木さんは安堵のため息をついて腕時計に目を落とした。
「じゃあ今度こそ本当に行きます。ご飯ごちそうさまでした。めちゃくちゃ美味しかったです」
名残惜しそうに立ち上がった茂木さんを見送るため、私も玄関まで後ろをぺたぺた着いてゆく。そして靴を履いて振り返った彼にお弁当を差し出した。
「俺…に? でも奈央さんの分じゃ…」
「私の分はすぐに用意できます。ただし残り物ばかりですからね?」
「ありがとうございます! 頂きます!」
お弁当を受け取った茂木さんは、まるで宝物のように大切に抱えている。あり合わせのおかずを詰めただけなのに、どうしてこんなに喜んでいるんだか。
「行ってきます」
好物を作ってもらった子供のような反応に、つい笑みが洩れてしまう。
「行ってらっしゃい」
当然のように応えたら茂木さんは目を瞬かせた。
「奈央さん」
「はい」
「自分で分かってないでしょう? 絶対分かってませんよね? その笑顔反則ですから! 可愛いですから!」
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