とらぶるチョコレート

文月 青

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奈央編

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可愛いなんて言われたのはいつ以来だろう。しかも量販店で買った無地のグレーのスウェット、ぼさぼさの寝癖、極めつきがすっぴん。幻滅するならいざ知らず、この状態の年上女に対する反応ではないぞ、あれは。あぁもうとぼやきたいのはむしろ私だ。

誰かを想い、想われる。忘れかけていた感覚が、茂木さんによって揺り起こされているような気がした。楽しくて切なくて、そして付随する苦い記憶まで。

「いらっしゃいませ」

カウベルの音と共にあやめさんの声が耳に届いた。バックルームでタオルを洗っていた私は、流しっ放しの水道を慌てて止める。いかんいかん茂木さんに毒されている。

「すみません、今日は若い女性の店員さんはお休みですか?」

タオルを干して手を消毒していると、店内から遠慮がちな質問が聞こえた。あやめさんには悪いが私のことだろうと、呼びに来た彼女と入れ替わるように出ていくなり、

「お姉ちゃん!」

目線の下方から小さな女の子が飛びついてきた。

「失礼よ」

4、5歳といったあたりだろうか。ピンクのふわふわのコートに身を包んだ女の子は、たぶん私と年齢がそう変わらない、母親らしき綺麗な女性に窘められている。

「いらっしゃいませ」

お辞儀をしてから満面の笑みを浮かべる二人を見比べる。どこかでお目にかかったことがあっただろうか。私に張り付いている女の子を引きはがし、当時の出来事を話し出すお母さん。あやめさんはさり気なくバックルームに下がった。

「半年ほど前になりますので、憶えていらっしゃらないかもしれませんね」

それは八月のとても暑かった日。できたばかりの小さなチョコレート専門店でのこと。併設されていたカフェで家族でチョコを食していたとき、女の子が隣の席の人に突然トリュフを差し出したのだという。

「どうぞ召し上がれ」

当時読んでいた絵本の影響でおすそ分けの精神を発揮した女の子を、当然お母さんは頭ごなしに叱りつけた。しかも素手ではないとはいえ、手に持っていたためにチョコの表面は溶けかかっていて、お世辞にも誰かにあげられる状態ではない。

「それ美味しそう。ありがとう」

ところがすみませんとお詫びを口にしかけたお母さんの前で、相手は女の子からチョコを受け取ってその場で味わったのだという。

そこまで聞いて私はやっと思い出した。確か敵情視察だとか何とか格好いいこと言って、実はチョコレートを買ってきて欲しかった店長に追いやられ、勤務中なのに渋々その専門店に一人で訪れた日。どうして夏に開店するのだとぶつくさ文句を垂れながらも、せっかくだからお茶して帰ろうとカフェでさぼっていたのだ。

隣の女の子からチョコを勧められたのには驚いたけれど、ちょうどカカオをふんだんに使ったドリンクのみを飲んでいた私は、トリュフの誘惑に負けてありがたく頂戴した。その行動にお母さんはもちろん家族も唖然としたらしい。

「怒られても仕方がありませんでしたのに、子供の気持ちを無にせずに頂いてとても嬉しかったんです」

我に返ったときには私が店を出ていってしまったので、お礼を伝えられなかったお母さんはずっと心残りだった。二日前にこの店の前で偶然似ている人を見かけ、駄目もとで寒い中女の子と一緒に足を運んでくれたのだそうだ。

「あのときは本当にありがとうございました」

「ありがとうお姉ちゃん」

二人には申し訳ないが私は困ってほっぺたをぽりぽり掻いた。単純に食べたかったから貰っただけで、女の子の気持ちを考慮したなんてことは全く無いのだ。その証拠に女の子のことをすっかり忘れていたし。

「いえ、あの、美化されているようですが、私はただ意地汚いだけなんです」

恐縮して両手を振ったものの、逆に家族も喜んでいたとつけ加えられてしまっては、もはやどうしていいのか分からない。結局二人はわざわざケーキやプリンまで購入して、肩の荷を下ろしたようにすっきりした表情で帰っていった。

「可愛いお子さんね」

いつの間にか店内に戻っていたあやめさんが、お母さんと手を繋いで歩く女の子を窓越しに眺めて呟く。あやめさんだってもう孫がいてもおかしくない年齢だ。現に私の母には姉が産んだ孫が二人いる。最初はおばあちゃんなんて呼ばせないと頑張っていたのに、今では自分からばーばだよと笑ってすり寄っていくから不思議だ。

「奈央ちゃんも湊くんと結婚したら、あんな可愛い子のママになれるかも」

淋しさを微塵も感じさせずにあやめさんが茶化した。

「くどいようだけどおつきあいしてないからね?」

「湊くんいい人じゃない。奈央ちゃんに一途だし。きっと余所見なんてしないわよ」

まだ知り合って数日だけれど、私も茂木さんは自分を裏切ったりするような人ではないと思う。朝のお弁当のことだけでも、たぶんつきあったらすごく大切にしてくれそうな気がする。だけどだからこそ。

「ねぇあやめさん、プラトニックじゃ無理なのかな」

ひとりでに零れた言葉を聞き逃したあやめさんが問い返す。

「え? なぁに?」

「何でもなーい」

見上げた空にはどんよりとした雲。この雲の如く私の内で黒く蟠っているものが、チョコレートみたいに跡形もなく溶けてくれたならいいのに。





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