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茂木編 カタツムリの恋
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暗闇で表情は見えなかったけれど、奈央さんは怒っているわけではなさそうだった。お菓子の袋を手渡してくれた後も、この場から動こうとしないところから察するに、事情説明を求めているに違いない。寒い中での立ち話もなんだから、俺は一旦車に乗ることを勧めた。
「奈央さんの家まで送りましょうか?」
おそらくこれから夕食の準備に取りかかる筈だ。詳細を車の中で話せれば時間も無駄にしないで済むだろう。
「先にここで、その、さっきのことを訊いては、駄目ですか?」
助手席の奈央さんは珍しく歯切れが悪い。俺としては誤解を早く解きたいので歓迎だが、春とはいえ夜はまだ冷える。駐車場でのエンジンかけっ放しも良くない。ついでに店長とあやめさんが現れそうな気もする。
「走りながら話しましょう」
俺は勝手に車をスタートさせた。そしてここ数日のえりか絡みの出来事と、ついさっき片が付いたことを報告する。奈央さんは真っすぐ前を向いたまま、特に相槌も打たずに黙って耳を傾けていた。と思う。
「最初にちゃんと話さなくて、結局巻き込んでしまってすみませんでした」
えりかに悪意がなかったので事なきを得たが、奈央さんの元まで行って嫌な思いをさせたのは事実。ただ奈央さんの反応が薄いというか、ない。怒っている感じではなさそうなのに。
「茂木さんの砕けた口調、初めて聞きました」
やがてぼそっと呟く。声のトーンが低い。確かに奈央さん始め、店長もあやめさんも橋本さんも、周囲の人は殆ど年上なので自然に言葉は丁寧になっているかもしれない。
「彼女とはあんなふうに話すんですね」
ちょっとだけカチンときた。だから彼女は奈央さんじゃないんですか?
「それなら奈央さんだって同じですよ? 橋本さんとはタメ口で会話も弾んでて、向こうの方が彼氏に見えます」
うっかり口を滑らせてから赤信号で車を止める。隣を振り返ったら奈央さんがかなり不機嫌な表情で睨んでいた。
「どうしてここで鬼畜が出てくるんですか。茂木さんこそ彼がいるときは口数が減るから、私が話す羽目になるんでしょ」
「好きで黙っているんじゃありません。間に入る隙が無いんです。二人の呼吸が阿吽で」
「そもそも鬼畜は私を好きなわけじゃありません。えりかさんとは根本的に立ち位置が違います」
鬼畜は私を好きじゃない。この一言が胸に堪えた。橋本さんがどうこうではなくて、そこに俺の名前も加わりそうで。もしかしてつきあっていると思っていたのは俺だけですか。
「奈央さん。俺のこと、やっぱり好きにはなれませんか?」
奈央さんはショックを受けたように口を噤んだ。信号がちょうど変わったのでアクセルを踏む。
俺に嫌われるのは嫌だと言ってくれた奈央さん。この精一杯の気持ちだけでも充分嬉しい。少しずつでも俺のことを好きになってくれたらと願っていたけれど、この先俺の望む好きが増える可能性はあるのだろうか。駄目だな。傍にいられるだけで嬉しかった筈なのに、どんどん自分が贅沢になってゆく。
店長宅に到着するまで、奈央さんも俺もずっと無言のままだった。せっかくえりかの件が終わったのに、何故こんなことになってしまったんだろう。
タイミングが良いのか悪いのか、奈央さんと気まずく別れた翌日から俺は遅番のシフトに入った。あの日は結局奈央さんを送ってそのまま帰宅した。これで早朝に店長宅を訪ねない限り、しばらく奈央さんには会えない。というか既に三日も彼女の顔を見ていない。
「三日で萎れるな」
早番で上がる橋本さんが、休憩室のテーブルに張り付く俺の頭をべしっと叩いた。三日も、ですよ。明日だってせっかく店休日なのに俺は仕事。つくづく毎日のように会いに行ってたんだな、俺。うざがられても仕方ないかも。
「えりかが大人しく消えたのに揉めるなんて、お前ら本当に何やってんの」
呆れる橋本さん。もっともです。子供成分が一気に出てしまいました。あれは駄々です。ついでに原因の一端はあなたにもあるんですが。
「でもいいんじゃねーの? お前ら一線引き過ぎてっから、少しはいちゃいちゃしやすくなんだろ」
俺が一線引いているのは、その暴走をしないためなんですけれど。
「それ以前の問題です。俺はまだ友達だったみたいです」
「そっから? うわ、馬鹿馬鹿しくてつきあいきれねー」
しっしっと追い払うように手を振って橋本さんは帰っていった。俺もため息をついて次の配達の準備に取りかかる。奈央さんは今頃何をしているかな。少しは俺のことを考えてくれているかな。
「奈央さんの家まで送りましょうか?」
おそらくこれから夕食の準備に取りかかる筈だ。詳細を車の中で話せれば時間も無駄にしないで済むだろう。
「先にここで、その、さっきのことを訊いては、駄目ですか?」
助手席の奈央さんは珍しく歯切れが悪い。俺としては誤解を早く解きたいので歓迎だが、春とはいえ夜はまだ冷える。駐車場でのエンジンかけっ放しも良くない。ついでに店長とあやめさんが現れそうな気もする。
「走りながら話しましょう」
俺は勝手に車をスタートさせた。そしてここ数日のえりか絡みの出来事と、ついさっき片が付いたことを報告する。奈央さんは真っすぐ前を向いたまま、特に相槌も打たずに黙って耳を傾けていた。と思う。
「最初にちゃんと話さなくて、結局巻き込んでしまってすみませんでした」
えりかに悪意がなかったので事なきを得たが、奈央さんの元まで行って嫌な思いをさせたのは事実。ただ奈央さんの反応が薄いというか、ない。怒っている感じではなさそうなのに。
「茂木さんの砕けた口調、初めて聞きました」
やがてぼそっと呟く。声のトーンが低い。確かに奈央さん始め、店長もあやめさんも橋本さんも、周囲の人は殆ど年上なので自然に言葉は丁寧になっているかもしれない。
「彼女とはあんなふうに話すんですね」
ちょっとだけカチンときた。だから彼女は奈央さんじゃないんですか?
「それなら奈央さんだって同じですよ? 橋本さんとはタメ口で会話も弾んでて、向こうの方が彼氏に見えます」
うっかり口を滑らせてから赤信号で車を止める。隣を振り返ったら奈央さんがかなり不機嫌な表情で睨んでいた。
「どうしてここで鬼畜が出てくるんですか。茂木さんこそ彼がいるときは口数が減るから、私が話す羽目になるんでしょ」
「好きで黙っているんじゃありません。間に入る隙が無いんです。二人の呼吸が阿吽で」
「そもそも鬼畜は私を好きなわけじゃありません。えりかさんとは根本的に立ち位置が違います」
鬼畜は私を好きじゃない。この一言が胸に堪えた。橋本さんがどうこうではなくて、そこに俺の名前も加わりそうで。もしかしてつきあっていると思っていたのは俺だけですか。
「奈央さん。俺のこと、やっぱり好きにはなれませんか?」
奈央さんはショックを受けたように口を噤んだ。信号がちょうど変わったのでアクセルを踏む。
俺に嫌われるのは嫌だと言ってくれた奈央さん。この精一杯の気持ちだけでも充分嬉しい。少しずつでも俺のことを好きになってくれたらと願っていたけれど、この先俺の望む好きが増える可能性はあるのだろうか。駄目だな。傍にいられるだけで嬉しかった筈なのに、どんどん自分が贅沢になってゆく。
店長宅に到着するまで、奈央さんも俺もずっと無言のままだった。せっかくえりかの件が終わったのに、何故こんなことになってしまったんだろう。
タイミングが良いのか悪いのか、奈央さんと気まずく別れた翌日から俺は遅番のシフトに入った。あの日は結局奈央さんを送ってそのまま帰宅した。これで早朝に店長宅を訪ねない限り、しばらく奈央さんには会えない。というか既に三日も彼女の顔を見ていない。
「三日で萎れるな」
早番で上がる橋本さんが、休憩室のテーブルに張り付く俺の頭をべしっと叩いた。三日も、ですよ。明日だってせっかく店休日なのに俺は仕事。つくづく毎日のように会いに行ってたんだな、俺。うざがられても仕方ないかも。
「えりかが大人しく消えたのに揉めるなんて、お前ら本当に何やってんの」
呆れる橋本さん。もっともです。子供成分が一気に出てしまいました。あれは駄々です。ついでに原因の一端はあなたにもあるんですが。
「でもいいんじゃねーの? お前ら一線引き過ぎてっから、少しはいちゃいちゃしやすくなんだろ」
俺が一線引いているのは、その暴走をしないためなんですけれど。
「それ以前の問題です。俺はまだ友達だったみたいです」
「そっから? うわ、馬鹿馬鹿しくてつきあいきれねー」
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