バツイチの恋

文月 青

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連日の雨で桜屋の館内にも湿気が籠っていた。館外清掃も滞り気味で、軒下の蜘蛛の巣だけは何とか払っているが、伸び続ける雑草には手をこまねいている。裏手にある公園には紫陽花が歩道に沿って植えられ、こんな雨の日曜日でも綺麗に咲かせた花を眺めにくる人達がいた。

「修兄は今日は用事があって来れないって」

公園の東屋でのんびり羽を休めながら、帰り際に富沢くんに言われたことを思い出す。汗だくになって仕事を終え、従業員の通用口から揃って出たときのことだ。

「どうして私に?」

修司さんが日帰り入浴を利用してくれたときは、お言葉に甘えて車に乗せてもらっているが、私は元々バス通勤のうえに富沢くんのおまけ。わざわざ伝言をされるような関係ではない。

「だってデートの予定がキャンセルになったんでしょ?」

「何の話?」

目を瞬く私に富沢くんも驚く。

「修兄と一ノ瀬さん、つきあってるんじゃないの?」

「まさか」

最近の雑誌の付録は豪華だが、私は百均の玩具よりはるかに劣るおまけ。会社でも女性社員から好意を寄せられまくりの修司さんと、どうやったら釣り合うのか教えて欲しいものだ。第一。

「お兄さんには好きな人がいるって噂を聞いたけど」

先日綾江と食事した際に、彼女から寄せられた不確かな情報に、富沢くんはないないとあっさり首を振った。

「修兄に好きな人なんていないよ。正直結婚したときだって、相手を好きかどうか疑うくらい淡々としていてさ。とても生涯の伴侶を得た男には見えなかった。一ノ瀬さんといるときの方がよほど人間らしいよ」

結婚の事情は家族にも伏せているらしい。だから富沢くんは勘違いしているのだ。私といるときの方が、などと。

「飯、必ず奢れだそうだから」

念を押して富沢くんは自分の車を停めている駐車場まで、傘も差さずに走っていった。実際に修司さんと私がつきう確率はほぼ百パーセントないけれど、次の約束があることが思いの外嬉しくて、雨の中うきうきと公園まで足を伸ばした。




「しょうがないなあ、香姉かおりねえは」

バス時間が近づいて腰を上げようとしたとき、ふいに聞き慣れた声が耳に届いた。前方から現れた男女の二人連れに何気なく目をやると、そこにはいる筈のない修司さんと見知らぬ女性の姿があった。

「ちゃんと傘を差さないと濡れるよ?」

花を愛でながらあちこち歩く女性に、修司さんが自分の傘で雨を避けてあげている。その親しげな様子からは昨日今日のつきあいではないことが窺えた。

「だって雅治まさはるにお見合い写真を送り付けてくるなんて、いくら何でもやり過ぎよ。お陰で帰ってくる羽目になったじゃない。まあ修司に会えたのはラッキーだったけどね」

「俺もだよ。元気そうで安心した」

「こっちの台詞。実家に戻ったせいで、修司の顔をしばらく見てないのよ」

話の内容はよく分からないが、二人はお互いの背景についても詳しいようだ。もしかしたらこの人が修司さんの「心に秘めた人」なのだろうか。そういえば彼を取り巻く雰囲気が柔らかい。ついじーっと観察していると、間の悪いことに修司さんと目が合ってしまった。

「あれ? あんた」

ようやく私の存在に気づいた修司さんが、連れの女性を伴って東屋に入ってきた。傘を閉じて私とは反対側の席に座る。

「仕事終わったのか?」

「はい」

他に答えようが無くて短く返事をすると、ハンカチで腕や肩を拭っていた女性が、私と修司さんを見比べて瞳を輝かせた。

「もしかして修司の彼女?」

初対面の人からの富沢くんと同じ発言に泡を吹きそうになる。けれどその質問が飛び出すということは、この女性は修司さんの「心に秘めた人」とは別人なのだろうか。

「違うよ。この人は悟の職場の人」

動揺する私を余所に、修司さんは笑顔でやんわり否定した。

「何だ、そうなの」

「こら、失礼だよ」

一気にテンションが落ちた女性を窘め、苦笑しながら私に彼女を紹介する。微妙に言葉遣いまでがやんわりだ。

「こっちは旧姓田坂香たさかかおり。咲の姉だ」

それを聞いて親しい理由に思い当たった。こちらは結婚して子供もいるという、修司さん宅のお向かいの長女さん。種明かしをされてしまえば、確かにどことなく咲さんに似ていなくもない。

「初めまして。ねえ本当に彼女じゃないの?」

「初めまして。一ノ瀬と申します。違いますよ。私なんかに富沢さんは勿体ないです」

縋るように蒸し返された話題に、うっかりいつもの口癖で頷いてしまい、焦った私は拳骨を食らう前に修司さんに視線を移した。でも彼は無言で身動き一つしなかった。

「残念」

「そんな顔しないの。俺は一人の方が気楽なんだから」

くすっと笑み零す修司さん。肩を落とす女性ーー香さんをみつめる彼の双眸に、一瞬悲しみの色が映ったように見えたのは錯覚だろうか。




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