バツイチの恋

文月 青

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鬱陶しい梅雨が明けた。これからはひたすら暑いだけの夏がやってくる。用事がない限り毎週日曜日、修司さんは変わらずに桜屋を利用していた。そうして仕事帰りの富沢くんと私を待って、あちらこちらに連れ出してくれる。

「あんたはどこに行っても楽しそうだな」

修司さんに苦笑されたことがある。この二年、家と仕事場の往復をするだけで、休日はほぼ閉じこもっていた私は、行き先が近所にある河原でも気持ちが弾んで仕方がない。

「けどつまらないときは遠慮しないで、ちゃんと文句言えよ」

つっけんどんながらも、必ず私を気遣ってくれる。たぶん修司さんと一緒だから、どこに行っても何をしても楽しいのだ。この年齢になって、デート前にうきうきしている女の子の心情が分かった。

そういえば修司さんは家では私のことを、「あの人」と呼んでいるのだそうだ。

「名前で呼べばいいのにさ。意外と純情だよね」

富沢くんと咲さんに揶揄われても、修司さんは全く相手にしない。私に向かってもいつも「あんた」なので、最初からそうだったせいか、特に気にもとめていなかったが、本人はいろいろ考えるところがあったらしい。

後で私と二人になったとき、バツが悪そうにぼそぼそと呟いた。

「ご主人の名字だから、呼ばれるのが嫌な可能性もあるかなって」

別れた夫に未練はない。でも好きで名乗っている名字ではないことを修司さんは知っている。この人は優しい人なんだと、こんなとき改めて感じる。

「富沢さんはちょっとだけ優しい人ですね」

「私なんか」に代わるように、口癖になった「ちょっとだけ」。修司さんは褒められたり感謝されるのが苦手なようで、できるだけ抑えめに嬉しい気持ちを伝えるのだけれど、

「煩い。俺が腹黒だって知ってんだろうが」

照れてわざと腹黒を連発し出す。本当に腹黒な人なら、お母さん達に便乗して、とっくに香さんを自分のものにしているだろうに。

「ではちょっとだけ可愛いです」

「かわっ…!」

言われ慣れていないのだろう。珍しく二の句が継げないでいる。普段無愛想なだけに新鮮な反応だ。

「年上ぶりやがって」

悔しそうに唇を噛む姿に、素の修司さんが垣間見え、少しずつ彼に近づけているようで嬉しくなる。

「年上ですから」

更にむくれる修司さん。どんな彼にも心がほんのり和らぐ私。

日曜日のこの時間は何にも代え難い宝物。どうかいつまでも、修司さんの車が桜屋の駐車場で待っていてくれますように。




「どうした? 浮かない顔して」

ドライブの途中で休憩に寄ったコーヒーショップで、アイスコーヒーを飲んでいた修司さんが私を窺った。ホットはブラックでも飲めるのに、アイスはミルクと砂糖が必要な私を笑ったのはついさっきだ。

「元夫が私に会いたいと…」

道路に照りつける陽射しを窓際の席からぼんやり眺める。富沢くんと咲さんは今日は映画を観るからと別行動だ。

「一ノ瀬さんがなぎさに会いたいと言ってるんだけど」

綾江からそんな電話があったのは昨夜遅くだった。離婚してから一度も接触して来なかった元夫は、先月偶然すれ違ったのをきっかけに、私と昔を懐かしみたくなったらしい。わざわざ友人の伝手を頼って、綾江に連絡を取ってきたのだそうだ。

「どうして今更…。私にとっては済んだことなのに」

「元気じゃなさそうだったから、心配とか何とか。私も今ひとつ分からないんだけど」

元夫の真意を測りかねているのか、綾江も歯切れが悪い。

「一ノ瀬さんに会ったとき、富沢さんと一緒だったんだよね? 最初になぎさが再婚したのか確認されたの」

「でも一ノ瀬さんも女性を連れていたのよ?」

並んで歩いているのがしっくりくる、彼の隣が似合う女性。とても知人や同僚には見えなかった。

「あちらも再婚はしてないんだって」

もしかしたら結婚していたときに、つきあい始めた女性かと思ったのだが、どうやら外れたらしい。

「どうする?」

元夫のことは嫌いではない。もちろん恨んでもいない。だけど私にとってはもう過去の人だ。

「会わない」

はっきり告げた私に、綾江はそのまま伝えておくねと電話を切った。

「会いたかったのか? それで後悔してる?」

向かいの席で腕組みをしていた修司さんが穏やかに問うてくる。私はすかさず否定した。

「絶対ないです」

好きになって欲しいなどと口にはできない。でも他に好きな人がいるなんて思われたくない。修司さんにはどうでもいいことでも、私にとってはとても大切なこと。

「なら堂々としてろ。ちゃんと断れたんだ」

柔らかく綻ばせた口元に胸が詰まりそうになる。

「富沢さんの力は凄いね」

昨夜電話を切る前に綾江にも似たようなことを言われた。

「何が?」

「少し前までのなぎさだったら、断ったら悪いからと、嫌でも会っていた筈だもの」

「あ…」

自分でも気づいていなかった。これまでなら私自身の意思はどうあれ、間違いなく相手に合わせることを優先していた。今日だってそうだ。私は修司さんと一緒にいるのに「浮かない顔」をしていたのだ。無理して笑顔を作ることなく。

「よかったな」

目の前で笑う修司さんに、涙ぐみそうになって慌てて俯いた。今一番嫌われたくない人なのに、馬鹿な自分を曝け出せてしまうだなんて、これは一体何の魔法なのだろう。



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