バツイチの恋

文月 青

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まだまだ暑い日が続いているけれど、既に九月も半ばを過ぎた。紅葉の季節まで間があるせいか、桜屋のお客の入りは比較的落ち着いた感じで、私達従業員にも少しゆとりができた。

「お疲れ様でした」

仕事を終えて通用口から出る。駐車場で我知らず足を止めた。日曜日でもないのに習慣で白い車がないか探してしまう。

「ありがとな」

この言葉をもらった日を最後に、修司さんは桜屋に訪れなくなった。富沢くんの話では仕事が忙しいらしく、出張等で家にあまりいないのだという。

「香姉のところも危機は去ったよ。修兄が母さん達に謝らせた」

思い出すだけで腹が痛いと言いながら、富沢くんは騒動の顛末を口にする。

「俺が好きなのは香姉の旦那さんだ。だから二人を離婚に追い込んでも、俺が香姉と一緒になることはない。諦めろ。いきなりそう切り込んだ後、呆然とする母さん達を香姉の家に引きずっていって、旦那さんのご両親に頭を下げさせたんだよ」

「好きなのは旦那さん…」

ぽろりと零れた台詞に富沢くんの笑いが大きくなった。

「傑作だよね。母さん達はなまじ漫画脳だから今も信じてるよ、修兄のゲイ説」

もっともそのお陰で香さんのご主人のご両親も、渋々とはいえ次はないとしっかり釘を刺してから、怒りの矛先を収めてくれた。今後別の騒動が持ち上がるかもしれないが、修司さんはちゃんと香さんの家庭を守ったのだ。願い通りに。

「富沢さんと香さんはどうしてるの?」

さり気なさを装って、一番気にかかっていたことを訊ねる。二人の関係は修復できたのだろうか。

「特にどうも。いつもと変わらず時々電話でやり取りしてるみたいだよ」

秘かに胸を撫で下ろした。よかった。元通りになれたんだ。これで修司さんの笑顔が翳ることはない。

「でも修兄、ちょっと変なんだよね」

それまで表情が崩れっ放しだった富沢くんが、ふいに眉間に皺を寄せた。

「ふらっといなくなった日、どこにいたのか訊いても全然教えてくれないし、この間なんてじっと手の平に視線を落として考え込んでるしさ」

手の平の一言に無意識のうちに右手を握り締める。あれから私も同じことをしていた。自らの手と繋がれていた左手を思い出して。それは幸せの余韻なのか苦しい記憶なのか。修司さんの気持ちは分からないが、桜屋に来なくなったことが答えなのかもしれない。

淋しくないと言ったら嘘になるけれど、あの人が元気でいてくれたらそれでいい。私は背筋を伸ばしてバス停までの道程を歩き始めた。




「驚きました」

十月初めの日曜日。窓掃除を済ませるために残業した私は、勤務終了後にお風呂に入っていた富沢くんと佐藤くんの二人と、ちょうど帰りがけに通用口の前で顔を合わせた。

「一ノ瀬さん、断れるんですね」

さっきから感心したように佐藤くんが呟く。ついさっき休日出勤を依頼してきた主任に、その場で断った場面を目撃したからだろう。

四月にパートさんが辞めてから従業員の補充はない。求人募集をかけてもなかなか希望の申し込みがないのと、採用しても仕事のきつさに一週間と持たないのが現状。先月末に入った人は一日で来なくなった。一体どんな職場だ。

「無理をしても誰にもいいことがないと分かったから」

私は苦笑した。人間そう簡単には変われない。主任に休日出勤を頼まれている三回に二回は、仕方がないと割り切って承諾していた。いくら人手不足でも、やはり汚い館内にお客様を迎えるわけにはいかない。その分用事があるときや体調が優れないときは、正直に伝えて出勤を断ることにしたのだ。

最初は佐藤くん同様驚いていた主任も、部下の態度に考えを改めたらしい。私を出勤させて穴埋めするのを控え、人員配置に頭を捻るようになった。たぶんこれまでも工夫して人のやり繰りをすることはできたのだ。安易に出勤していた私のせいで悪循環を招いていたのは否めない。

「修兄にずいぶん怒られてたもんね」

通用口のドアを開けて富沢くんが言った。どことなく秋めいた陽射しが降りてくる。

「本当よね。いきなりでびっくりしたもの。そもそも上司でもない人に何で怒られてるのって」

「確かに。自分のことみたいに腹を立ててたっけ」

私達の会話を聞いていた佐藤くんが再び目を丸くする。

「あの飄々としている修司さんが怒ったの? 珍しい」

「だろ? 凄く面白かったんだぞ」

「私は面白くない」

ぶすっとして口を尖らせたとき、駐車場に白い車が停まっているのが目に入った。けれど一瞬過ぎった期待はすぐに萎んだ。微妙に似ているがあれは修司さんの車ではない。運転席から手を振ってくれる人はいない。二人に気づかれないようにそっと息を吐き出して、私は車の横を通り過ぎようとした。

「なぎさ」

自分の名前を呼ぶ声と共に運転席のドアが開く。揃って足を止めた私達の前に姿を見せたのは、待ち焦がれていた人ではなく、会おうとすら思わなかった別れた夫だった。




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