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番外編
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香さんの病室を後にして一人駐車場に向かうと、修司さんは自分の車に寄りかかって、まもなく梅雨を迎える空をぼんやり眺めていた。どこか淋しそうな風情に、でも人前では絶対そんなことを口にしないであろう姿に、痛い程胸が締めつけられる。
「富沢さん」
近づいて声をかけても返事がない。聞こえているのだろうに、もう一度繰り返してもやはり答えはない。
「……そろそろ、名前で呼んでくれてもいいだろ」
黙って隣に並び、同じように青空を見上げていると、修司さんがぽつりと呟いた。
「悟と同列にされているみたいで、少し、いや、かなり面白くない」
いつのまにか淋しげな様子は消え、代わりに拗ねた子供が顔を出す。
「先輩達まであんたのこと、名前で呼んでるし。俺の…なのに」
思わず両手で口元を覆った。さっきの雅治さんではないが、めちゃくちゃ可愛いことを言っている。おまけに私の耳が余計な変換をしたのでなければ、凄く嬉しい言葉が連なったような気がする。もう一体どうしちゃったんですか、今日の修司さんは。私自惚れますよ? 本気で自惚れますからね?
「あいつらは?」
ふと修司さんが周囲に視線を移した。富沢くんと咲さんのことを訊ねているのだろう。
「咲さんの妹さん、結衣さんでしたっけ? 病院を出ようとしたところで電話があって、ちょうど話している最中です」
それも嘘ではないが、実は富沢くんからしばらく二人きりにしてあげるから、修司さんのご機嫌を取っておいてと追い払われたのだ。
「なあ、なぎ」
「はい」
「あんた、本当にまだ俺のこと友人だと思ってんの」
双眸にこれまで見たことがないような切なさを湛えて、修司さんは真っすぐに私をみつめた。答えあぐねていると、今度は病院の建物に目を向ける。
「悪いな。俺、気持ちの解放の仕方がよく分かんなくてさ」
再び困ったように私を見た。
「あんたにとっては、きっと突拍子もないことやってんだろうな」
意味がよく呑み込めなくて首を傾げる私に、修司さんは自嘲気味に笑んだ。
「香姉とはどう頑張っても姉弟にしかなれないから、自分の気持ちがばれないようにするのに必死だった。間違っても好きだなんて勘づかれてはいけないって」
香さんに迷惑がかかるのを恐れて、その事実を友人や親しい同僚にも伏せていた修司さんは、好きな人がいないのに彼女を作ろうともしない、むしろ女性を遠ざけていることから、自然に女嫌いだと評されるようになった。だから会社の同期である洋子さんと結婚したときは、部署を上げて驚かれたのだという。
「離婚したら逆に納得された。やっぱりって」
ただ一度結婚したことで、それまで手をこまねいていた社内の女性陣が、自分もとばかりに積極的に行動に移し始めたらしく、私と知り合ったのは騙し討ちの合コンに辟易していた頃だった。
「つまり、何を言いたいかというと」
照れ臭そうに頭を掻く修司さん。
「どのくらい気持ちをぶつけていいのか、その加減みたいなのが分かんねーんだわ。暴走しそうで」
私ははっとして息を呑んだ。修司さんはずっと香さんへの想いを胸に秘めてきた。それこそ身近な人間にも悟られないくらい、ひたすらに隠し通して。
「俺はあんたのこと、友人だなんて思ってねーから。その、ちゃんと…」
何て馬鹿だったんだろう。自分の感情を抑えることに長けているこの人に、ここまで言わせてしまうなんて。
「修司さん」
心の中では何度も呼んだ名前を、初めて口に出して音にする。修司さんはびっくりしたように大きく目を見開いた。
「私も」
ようやく分かった。自信が無いことと、相手を信じることは別のものだと。
「そっか」
けれど嬉しそうにはにかんだ後、修司さんの頭上には幻の暗雲が立ち込めた。とっさに身を翻そうとした私の腕を、逃げられないようにがっちり掴んでいる。
「我慢の限界ってのは本当だからな」
いきなりその話題に触れるんですかー! 勘弁して下さいー!
「あっさり俺を部屋に入れるくせに、全く警戒してねーわ」
だって他の誰でもない修司さんですから。他人なら絶対部屋に入れません。当然。
「遅いからと席を立てば、おやすみなさいと呑気に見送るわ」
「え? 駄目ですか? 次の日も仕事ですし、あんまり遅くなったら」
「そこは引き止めろ、ど阿呆が」
恋愛らしい恋愛をしてこなかった私には、そのあたりの男心が今一つ理解できない。そもそも引き止めるということは、泊まってとお願いしていることになるのでは…。うわあそんなの恥ずかし過ぎます。今なら顔の熱でお風呂が沸きます。
「帰るなって、言って欲しいんだよ、俺は」
ああ、くそっとぼやきながら修司さんは、空いている方の手で顔を覆う。
「あんたと一緒にいたいんだよ」
初めての感覚が瞠目する私を襲った。体の内からも外からもじんわりとした痺れが広がり、幸せという温かな膜で包み込まれてゆく。そして膜の中に収まりきらない想いがどんどん溢れていってしまう。
「修司さん、どうしましょう」
「何が」
「修司さんを好きな気持ちが止まりません」
「また、あんたはそういうことを…!」
次の瞬間私は修司さんの腕の中で、自分と同じくらい高鳴る鼓動を聞いていた。
「富沢さん」
近づいて声をかけても返事がない。聞こえているのだろうに、もう一度繰り返してもやはり答えはない。
「……そろそろ、名前で呼んでくれてもいいだろ」
黙って隣に並び、同じように青空を見上げていると、修司さんがぽつりと呟いた。
「悟と同列にされているみたいで、少し、いや、かなり面白くない」
いつのまにか淋しげな様子は消え、代わりに拗ねた子供が顔を出す。
「先輩達まであんたのこと、名前で呼んでるし。俺の…なのに」
思わず両手で口元を覆った。さっきの雅治さんではないが、めちゃくちゃ可愛いことを言っている。おまけに私の耳が余計な変換をしたのでなければ、凄く嬉しい言葉が連なったような気がする。もう一体どうしちゃったんですか、今日の修司さんは。私自惚れますよ? 本気で自惚れますからね?
「あいつらは?」
ふと修司さんが周囲に視線を移した。富沢くんと咲さんのことを訊ねているのだろう。
「咲さんの妹さん、結衣さんでしたっけ? 病院を出ようとしたところで電話があって、ちょうど話している最中です」
それも嘘ではないが、実は富沢くんからしばらく二人きりにしてあげるから、修司さんのご機嫌を取っておいてと追い払われたのだ。
「なあ、なぎ」
「はい」
「あんた、本当にまだ俺のこと友人だと思ってんの」
双眸にこれまで見たことがないような切なさを湛えて、修司さんは真っすぐに私をみつめた。答えあぐねていると、今度は病院の建物に目を向ける。
「悪いな。俺、気持ちの解放の仕方がよく分かんなくてさ」
再び困ったように私を見た。
「あんたにとっては、きっと突拍子もないことやってんだろうな」
意味がよく呑み込めなくて首を傾げる私に、修司さんは自嘲気味に笑んだ。
「香姉とはどう頑張っても姉弟にしかなれないから、自分の気持ちがばれないようにするのに必死だった。間違っても好きだなんて勘づかれてはいけないって」
香さんに迷惑がかかるのを恐れて、その事実を友人や親しい同僚にも伏せていた修司さんは、好きな人がいないのに彼女を作ろうともしない、むしろ女性を遠ざけていることから、自然に女嫌いだと評されるようになった。だから会社の同期である洋子さんと結婚したときは、部署を上げて驚かれたのだという。
「離婚したら逆に納得された。やっぱりって」
ただ一度結婚したことで、それまで手をこまねいていた社内の女性陣が、自分もとばかりに積極的に行動に移し始めたらしく、私と知り合ったのは騙し討ちの合コンに辟易していた頃だった。
「つまり、何を言いたいかというと」
照れ臭そうに頭を掻く修司さん。
「どのくらい気持ちをぶつけていいのか、その加減みたいなのが分かんねーんだわ。暴走しそうで」
私ははっとして息を呑んだ。修司さんはずっと香さんへの想いを胸に秘めてきた。それこそ身近な人間にも悟られないくらい、ひたすらに隠し通して。
「俺はあんたのこと、友人だなんて思ってねーから。その、ちゃんと…」
何て馬鹿だったんだろう。自分の感情を抑えることに長けているこの人に、ここまで言わせてしまうなんて。
「修司さん」
心の中では何度も呼んだ名前を、初めて口に出して音にする。修司さんはびっくりしたように大きく目を見開いた。
「私も」
ようやく分かった。自信が無いことと、相手を信じることは別のものだと。
「そっか」
けれど嬉しそうにはにかんだ後、修司さんの頭上には幻の暗雲が立ち込めた。とっさに身を翻そうとした私の腕を、逃げられないようにがっちり掴んでいる。
「我慢の限界ってのは本当だからな」
いきなりその話題に触れるんですかー! 勘弁して下さいー!
「あっさり俺を部屋に入れるくせに、全く警戒してねーわ」
だって他の誰でもない修司さんですから。他人なら絶対部屋に入れません。当然。
「遅いからと席を立てば、おやすみなさいと呑気に見送るわ」
「え? 駄目ですか? 次の日も仕事ですし、あんまり遅くなったら」
「そこは引き止めろ、ど阿呆が」
恋愛らしい恋愛をしてこなかった私には、そのあたりの男心が今一つ理解できない。そもそも引き止めるということは、泊まってとお願いしていることになるのでは…。うわあそんなの恥ずかし過ぎます。今なら顔の熱でお風呂が沸きます。
「帰るなって、言って欲しいんだよ、俺は」
ああ、くそっとぼやきながら修司さんは、空いている方の手で顔を覆う。
「あんたと一緒にいたいんだよ」
初めての感覚が瞠目する私を襲った。体の内からも外からもじんわりとした痺れが広がり、幸せという温かな膜で包み込まれてゆく。そして膜の中に収まりきらない想いがどんどん溢れていってしまう。
「修司さん、どうしましょう」
「何が」
「修司さんを好きな気持ちが止まりません」
「また、あんたはそういうことを…!」
次の瞬間私は修司さんの腕の中で、自分と同じくらい高鳴る鼓動を聞いていた。
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