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本編
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まさに誓いの言葉そのものの和成さんの告白に、どんな反応をすればよいのか私はまたしても悩んだ。嬉しいと言って抱きつく、いや呆気に取られて妙に頭は冷静だし。主任さんに振られたからなのねと詰る、いや当たらずとも遠からずだったら拙いし、親に政略結婚を迫られていて…いや既に結婚しているし。
そうだ。私と和成さんはとっくに結婚しているではないか。なのに何故ここで再びプロポーズされるという現象が起きているのだろう。
「だから考えていることが丸わかりです」
全うな問にぶち当たってうんうん唸っていたら、和成さんはやはり肩を揺らしながら持っていた指輪をそっと私の手の平に乗せた。やっぱりエスパーだ。
「お願いします」
そして改めて自分の左手を差し出す。教会でもなければ参列者もいない、厳かな雰囲気とは無縁の自宅の夜の書斎で、私は促されるまま和成さんの薬指に指輪をはめた。
「夫婦みたいですね」
まだ違和感のある揃った二つの指輪を見比べていたら、和成さんがくすくすと声を上げた。
「夫婦でしょう」
そうでした。さっきそのことに考えが至ったばかりなのに。
「あなたが気づいてくれる日を、楽しみに待っていましたよ」
和成さんは机の引き出しを目一杯開けた。他に同様の物がないことを私に確認させて、リングボックスを元の場所に戻す。この中で大切に守られていたのは、主任さんのための婚約指輪だった筈だ。いつの間に変わっていたのだろう。
「いつからだと思います?」
私の心を読んだエスパーが悪戯っぽく口元を緩めた。
「先週ですか?」
例の指輪を見たのかと和成さんが急にせっついてきたのはそのあたりからだ。私に主任さんとの仲を認めさせるためだとしか思えなかったけれど、果たして本当に勘違いだったのだろうか。私の答えをどう受け取ったのか、和成さんは深く頭を下げた。
「まずは主任の話をしなかったことを謝らなくてはいけませんね」
上司として主任さんが赴任してくるという辞令が発表されたとき、和成さんが真っ先に危惧したのは私の誤解を招くことだったそうだ。自身の気持ちにはけりがついていたので、多少ぎくしゃくすることがあっても仕事に支障をきたさない自信はある。でも一度は主任に結婚を申し込もうとした自分を、現在私がどんなふうに捉えているのか分からない。しかも相手は離婚して独身。
元同僚から婉曲に情報を仕入れる前に、正直に事実を伝えるのが一番。けれど私のことだからわざわざ別の方向に想像を飛ばすかもしれない。ところがどう切り出そうか迷っているうちに主任さんは着任。島津さんのフォローも手伝って幸い円滑に進む仕事とは裏腹に、家で私と顔を合わせる度に和成さんの胃は悲鳴を上げ、うどんさえも避けねばならぬほどの事態に陥ってしまったらしい。
「案の定離婚の危機でしたけど。まさかまだ未練たらしく主任を想っていると勘違いされていたとは」
島津が嘘をついているのではないかと疑っていたのに、と和成さんは困ったように苦笑する。
「じゃあ夜放置されていたのは、主任さんに操を立てていたわけじゃなかったんですね」
「放置に操って…。やっぱり変な方に勘が働きますよね。真っ向否定します。体調不良だったのと、疚しいことはありませんが一応女性について隠し事をしていたので、ちょっと後ろめたくて」
そうして和成さんは表情を改めた。
「俺が好きなのは希さんだけです」
どうやら本当に私の勘違いだったようだ。それにしても和成さんはいつから私を好きになっていたのだろう。結婚当初から接し方にも態度にも変化はないけれど。
「正解がまだでしたね」
ふいに和成さんは私を眩しそうにみつめた。中断していた指輪の入れ替え時期についてだろうと頷くと、おそらくもう一つの疑問の答えにもなりますと言う。
「俺のことを好きになったときに貰う指輪は、今貰うより嬉しいと希さんが言ってくれた日です」
私はこれでもかというくらい目を瞬いた。
「一年も前ですよね?」
入籍したばかりの頃。主任さんへの想いを断ち切ろうとして、無理に婚約指輪を処分しようとした和成さんを止めるために、それが必要なくなったときに初めて結婚指輪を下さいと私がお願いした日。
「あのときには俺の気持ちは決まっていたんですよ」
壊れ物を扱うように遠慮がちに私を抱き締める和成さん。
「俺は希さんが愛しくて仕方ないんです」
あなたは? と耳元で囁かれる。私は温かなぬくもりの中からそっと左手を伸ばした。たぶんですけれどと前置きをして。
「嫌いじゃないですよ。この指輪を外したくないくらいには」
腕の力がぎゅっと音がするくらい強くなった。
「希、希」
ここに私がいることを実感するように、和成さんが掠れた声で繰り返し私の名前を呼ぶ。しかし自分も応えようと和成さんの背に腕を回しかけたところで、私の脳裏にこれまでの出来事と一緒にやけ食いという余計な台詞が蘇った。
「主任さんの指輪はどうしたんですか?」
ムードぶち壊しでいきなり訊ねた私に、和成さんは一瞬きょとんとした。
「やっぱり希さんですね」
やれやれとため息をついてウインクを一つ。お茶目な一面があるなぁと眺めていたら、とっくにあなたと俺の胃の中ですよと笑った。
そうだ。私と和成さんはとっくに結婚しているではないか。なのに何故ここで再びプロポーズされるという現象が起きているのだろう。
「だから考えていることが丸わかりです」
全うな問にぶち当たってうんうん唸っていたら、和成さんはやはり肩を揺らしながら持っていた指輪をそっと私の手の平に乗せた。やっぱりエスパーだ。
「お願いします」
そして改めて自分の左手を差し出す。教会でもなければ参列者もいない、厳かな雰囲気とは無縁の自宅の夜の書斎で、私は促されるまま和成さんの薬指に指輪をはめた。
「夫婦みたいですね」
まだ違和感のある揃った二つの指輪を見比べていたら、和成さんがくすくすと声を上げた。
「夫婦でしょう」
そうでした。さっきそのことに考えが至ったばかりなのに。
「あなたが気づいてくれる日を、楽しみに待っていましたよ」
和成さんは机の引き出しを目一杯開けた。他に同様の物がないことを私に確認させて、リングボックスを元の場所に戻す。この中で大切に守られていたのは、主任さんのための婚約指輪だった筈だ。いつの間に変わっていたのだろう。
「いつからだと思います?」
私の心を読んだエスパーが悪戯っぽく口元を緩めた。
「先週ですか?」
例の指輪を見たのかと和成さんが急にせっついてきたのはそのあたりからだ。私に主任さんとの仲を認めさせるためだとしか思えなかったけれど、果たして本当に勘違いだったのだろうか。私の答えをどう受け取ったのか、和成さんは深く頭を下げた。
「まずは主任の話をしなかったことを謝らなくてはいけませんね」
上司として主任さんが赴任してくるという辞令が発表されたとき、和成さんが真っ先に危惧したのは私の誤解を招くことだったそうだ。自身の気持ちにはけりがついていたので、多少ぎくしゃくすることがあっても仕事に支障をきたさない自信はある。でも一度は主任に結婚を申し込もうとした自分を、現在私がどんなふうに捉えているのか分からない。しかも相手は離婚して独身。
元同僚から婉曲に情報を仕入れる前に、正直に事実を伝えるのが一番。けれど私のことだからわざわざ別の方向に想像を飛ばすかもしれない。ところがどう切り出そうか迷っているうちに主任さんは着任。島津さんのフォローも手伝って幸い円滑に進む仕事とは裏腹に、家で私と顔を合わせる度に和成さんの胃は悲鳴を上げ、うどんさえも避けねばならぬほどの事態に陥ってしまったらしい。
「案の定離婚の危機でしたけど。まさかまだ未練たらしく主任を想っていると勘違いされていたとは」
島津が嘘をついているのではないかと疑っていたのに、と和成さんは困ったように苦笑する。
「じゃあ夜放置されていたのは、主任さんに操を立てていたわけじゃなかったんですね」
「放置に操って…。やっぱり変な方に勘が働きますよね。真っ向否定します。体調不良だったのと、疚しいことはありませんが一応女性について隠し事をしていたので、ちょっと後ろめたくて」
そうして和成さんは表情を改めた。
「俺が好きなのは希さんだけです」
どうやら本当に私の勘違いだったようだ。それにしても和成さんはいつから私を好きになっていたのだろう。結婚当初から接し方にも態度にも変化はないけれど。
「正解がまだでしたね」
ふいに和成さんは私を眩しそうにみつめた。中断していた指輪の入れ替え時期についてだろうと頷くと、おそらくもう一つの疑問の答えにもなりますと言う。
「俺のことを好きになったときに貰う指輪は、今貰うより嬉しいと希さんが言ってくれた日です」
私はこれでもかというくらい目を瞬いた。
「一年も前ですよね?」
入籍したばかりの頃。主任さんへの想いを断ち切ろうとして、無理に婚約指輪を処分しようとした和成さんを止めるために、それが必要なくなったときに初めて結婚指輪を下さいと私がお願いした日。
「あのときには俺の気持ちは決まっていたんですよ」
壊れ物を扱うように遠慮がちに私を抱き締める和成さん。
「俺は希さんが愛しくて仕方ないんです」
あなたは? と耳元で囁かれる。私は温かなぬくもりの中からそっと左手を伸ばした。たぶんですけれどと前置きをして。
「嫌いじゃないですよ。この指輪を外したくないくらいには」
腕の力がぎゅっと音がするくらい強くなった。
「希、希」
ここに私がいることを実感するように、和成さんが掠れた声で繰り返し私の名前を呼ぶ。しかし自分も応えようと和成さんの背に腕を回しかけたところで、私の脳裏にこれまでの出来事と一緒にやけ食いという余計な台詞が蘇った。
「主任さんの指輪はどうしたんですか?」
ムードぶち壊しでいきなり訊ねた私に、和成さんは一瞬きょとんとした。
「やっぱり希さんですね」
やれやれとため息をついてウインクを一つ。お茶目な一面があるなぁと眺めていたら、とっくにあなたと俺の胃の中ですよと笑った。
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