空っぽの薬指

文月 青

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本編

ごりまこの憂鬱 1

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新庄希は二つ下の後輩だった。新卒で総務に配属されたとき、あまりのぽやっと加減に指導係の私は「はずれを引いた」と嘆いたものだが、いざ業務に入ってみれば一度教えたことはきっちり頭に叩き込んでくるし、分からないことは勝手に判断しないで必ず確認する。ミスをした際はちゃんと認めて謝罪をし、次に繰り返さないよう対策を取る。お茶くみや掃除といった作業も嫌がらない。

「はずれ」どころか「超大あたり」な新人だった。ただしそれが如何なく発揮されるのは仕事上だけで、普段はやっぱりねじが三つも四つも外れたようなぽやっとさん。しかも女子にしては珍しい大食漢。その辺が気取りがなくてうけるのか、希の周りはいつもほんわかした雰囲気が漂っていた。

まぁそんなところに絆されて、男性社員もちらほらと餌付けに現れる。当然希は全く気がつかないし、彼女を可愛がっている女子一同(もちろん私もその一人)は、そんじょそこらの男には渡せないと常に目を光らせている。実際恋愛に疎そうな希を、簡単に落とせるような気概のある男が身近にいるとも思えなかった。

それがあれよあれよという間に、あっさり花嫁になってしまったではないか。しかも相手は営業でチャラい島津さんと人気を二分するクール佐伯さん。私に隠れていつの間に愛を育んでいたんだと、歯軋りしたい気持ちを抑えて祝福したのに、結婚式も新婚旅行も指輪もないと聞いて大憤慨。

その上当の佐伯さんの不倫の噂。これ以上佐伯さんに希を任せられない。そう決心した矢先に知った結婚の真相。そして守るべき存在だと思っていた希の強さ。希を何よりも大切に想う佐伯さんの本心。

「結婚の形が様々なら、幸せの形も様々だよな」

あのチャラい島んちょ、失礼島津さんまで、離婚騒動が収まった後にしんみりと零していた。その後も佐伯さんの元カノ絡みのごたごたは続いているけれど、問題は山積みでも二人がそれでいいなら。私もそんなふうに考えられるようになった。

でもね、佐伯さんのあれはないと思うのよ。希を一途に想ってくれるのは嬉しいんだけれど、イメージとはかけ離れた溺愛っぷりに本気で砂吐きそう。会社では他の女子社員には、一切愛想を振り撒かないのに。クール佐伯はどこへ行った。

「俺もマジで驚いたわ。あいつ希ちゃんとつきあってもいなかったくせに、俺が冗談半分で飯に誘っただけで、独占欲丸出しで威嚇してきやがった。主任のときとは全然違う。希ちゃんに捨てられたら会社なんか破壊される」

初めはオーバーだと呆れていた島んちょ(面倒だからもういいよね?)の台詞も、今は諸手を上げて支持したい。

そもそも主任とのつきあいは、佐伯さんが彼女を崇拝するあまり、嫉妬も情熱も無縁な実に清々しいものだったらしい。
希がどんな威力を発揮したのかは謎だが、だからこそ佐伯さんの変わりように一番戸惑ったのは島んちょなのだ。

まして今回は主任からの直接の離婚勧告(?)の最中の妊娠発覚。喜んでいる反面、

「二人があんなことやこんなことしてるなんて、マジで想像できねぇ。しかもあの様子じゃ、佐伯の奴毎晩やってそうだ」

お下劣な発想はやめんか。と言いたいところだが、私も前半部分は同意見。むしろリアルに想像したくない。だって希も佐伯さんの熱い要求に応えているということになるではないか。あぁ、私の希が。

「でもさ、ちょっと羨ましくなんねぇ? あの二人」

希の妊娠を素直にお祝いして、佐伯家を辞した後の帰り道。日中よりは大分ましだけれど、むっとした空気が流れる夜道を、最寄駅に向かって歩きながら、島んちょが星一つない空を見上げる。

「恋も愛も絡まない、佐伯の失恋と主任のための婚約指輪で繋がっていただけの、要は偽物結婚だった筈なのに、根っこに深い信頼があるというか、見えない絆があるというか…。あー、何を言いたいのか分からなくなってきた」

いや、充分伝わってるよ、島んちょ。私もあの二人の間にあるものが一体何なのか分からない。少なくとも佐伯さんの希への愛情は溢れているし、おそらく希の方も好意は芽生えている。でもどこか曖昧な関係なのに、他人には入り込めない領域が確かにある。

そしてそれをほんの少し淋しく感じる自分も。きっと島んちょも一緒だ。

「正直ぶれない希の強さにも参ってる」

「お前も相当ぶれないぞ? 希ちゃんに関しては」

島んちょがくっと喉を鳴らした。

「当然よ。今でもあの娘が可愛いもの。だから嬉しいのよ。嬉しいんだけど、佐伯さんに取られてしまったみたいで、ちょっとだけ淋しいの。贅沢よね」

「うん、分かる。俺も同じだ」

いつぞや希が佐伯さんのことを「同志」と表現していたことがあったが、きっと今の私と島んちょもそうなのだろう。

「なぁ、ごりまこ」

最寄駅に着いたところで、各々の乗り場に別れようと、それじゃと手を振ろうとしたら、いきなり島んちょが呼び止めた。

「真子です」

先輩社員に「島んちょ」も大概だが、女に「ごり」はもっとない。

「俺ん家に来ないか?」

「だからごりはつけな…は?」

空耳が聞こえたような気がして、やけに真面目な表情の島んちょを訝しむ。

「これからうちに来い、ごりまこ」

さすがにもう突っ込むことはできなかった。

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