降ってきた結婚

文月 青

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蝉の鳴き声が煩かった。田舎が涼しいと言われていたのは一体いつの時代だろう。長閑な田園風景が広がる山間の町は、陽炎が揺らめきそうなほどの暑さだ。しかし私はそんな自然現象の変化よりも、今目の前にいる伯父さんが発した言葉に目眩がしそうだった。

「あの、もう一度お願いします」

それは私の隣に座る黒い服の母も同様だったのだろう。悲しみはどこへやら、ぽかんとした顔で自分の兄に再びの説明を試みる。

「母さんの遺言により、野田詩乃のだしの大場拓海おおばたくみの婚儀を一年後に取り行うこととする」

喋っている伯父も訳が分からないのだろう。しきりに首を傾げている。当然だ。現在仏壇の前に集まっている親戚一同は、多忙を極める中亡くなった祖母の遺言公開に呼ばれたのだ。なのに揉めることなく終えた財産分与の話の最後に、外孫の婚姻話がおまけされていては肩透かしも食うだろう。

「ところで大場拓海さんと仰るのはどちらの?」

母よりは冷静な父が義兄に問う。伯父は汗を拭いつつ、広大な土地を持つ隣家に視線を投げた。

「隣の三船みふねさんの、お嫁に行った娘さんの息子だ。あちらも外孫なので私も子供の頃に会ったきりだ。つまりよく知らない」

仏間に一斉にため息が洩れる。

母方の祖母が亡くなったのは八月の初めだった。特に大きな病気を抱えていたのではないが、本格的な夏を前に高温の日が続き、体が着いていかなかったのだろうという話だった。田んぼや畑で元気に働く半面、お手玉や飼い猫をこよなく愛する可愛い人だった。

小学生のうちは母の帰省にくっついて、私も毎年お盆に遊びに来ていたものだが、中学生になったあたりから勉強や部活で忙しくなり、薄情なことに現在までとんとご無沙汰だった。そのお盆の最中に故人を偲ぶどころかとんでもない爆弾を放り込まれて、当事者の私は驚くに驚けない。

「ちょっと頭を整理してきます」

親戚の皆々様に一礼して私は仏間を出た。襖を取り払った三部屋ほど連なる座敷を過ぎ、台所を抜けて勝手口からサンダルを履いて裏の畑を目指す。大きな胡桃の木と柿の木、梅の木が出迎え、その下に茄子やトマトや枝豆がたくさん植えられていた。

母の実家である二瓶にへい家と三船家は、祖母同士が親しかった縁でつきあいが深いと聞いている。私も帰省した際は隣家の子供と遊んだ記憶がある。しかし現在二瓶家の跡を継いでいるのは伯父だ。その伯父の娘ならいざ知らず、何故外孫の私が指名されたのだろう。しかも向こうも外孫ではお互いに面識があるかどうかも怪しい。

「薄情な孫を怒ってるのかな、お祖母ちゃん」

ぽつりと呟いたとき、頭上の柿の枝の葉っぱががさっと揺れた。振り仰ぐ間もなく私の前に何かが飛び降りる。そこにはえらく無愛想な男の人が一名立っていた。

「お前が、二瓶の孫か」




何故か胡桃の木を背に、二人並んでパピコのチョココーヒー味を食べていた。胡桃の木は木陰ができる程わさわさ葉っぱがついていないので、決して涼しくはないのだが、葉擦れの音が少し気分を楽にしてくれる。

「あなたはどちらの?」

名乗りもせずにいきなり不躾な質問をした男に、とりあえず似たような質問を返したところ、彼はにこりともせずにパピコの半分を差し出してきたのだ。

「遺言のこと、聞いたか?」

子供みたいにチューチューやっていた男が、仏頂面のまま改まって訊ねてきた。どうでもいいけれどパピコとのギャップが大きすぎる。

「ということは、あなたは三船さん家のお孫さんですか」

「ああ。大場拓海だ」

さすがに目を瞬く。うちの畑にいる時点で、ご近所さんだろうと当たりはつけていたが、紹介される前にご本人の登場だ。私はまじまじと彼を眺めた。背が高くて逞しいけれど筋肉むきむきでもなく、何の変哲もない白いTシャツとジーンズが様になっている。

年齢は二十四歳の私よりは上だろうか。怒っているわけではなさそうなのに、目も口も笑っていない上に歩み寄ろうという気持ちが全く見えないせいか、会社の煩い上司と被って秘かにテンションが下がった。

「お前が野田詩乃だろう?」

ところがげんなりする私を余所に、パピコ王子はあっさりこちらの正体を見破った。

「うちの祖母さんに写真を渡されている。で、どうする?」

訊ねる前に手の内を暴露され、納得する暇もなく畳みかけられる。

「どうする、とは?」

「馬鹿なのか? 遺言通り俺と結婚する意志があるのか確認している」

まるで遺言を受け入れているような発言に私は目を剥いた。いやいやいやちょっと待って。書類にハンコでも貰うようなノリで話を進めないで下さい。一生の問題じゃないですか。

「男がいるのか?」

呆気に取られて声も出せずにいる私を、何を勘違いしているのか大場さんは片眉を上げて凝視する。蛇に睨まれた蛙とは正にこのことだ。

「いませんけど。でもあなたはいいんですか? たった今会ったばかりの相手と結婚なんて……」

三船家にしても私の存在は初耳に近いものであろうに、何故目の前の御仁はこうも冷静なのか。お祖母ちゃん達の意図していることは分からないが、二つ返事で頷ける方がおかしい。

「別に構わん。遊ぶ女はそれなりにいるが、特定の女はいないしな」

ところが顔色一つ変えずに大場さんは宣う。結婚する前から浮気を表明されたような、妙な敗北感が漂うのは何故だろう。

「というわけで商談成立だ」

甘さなど欠片もない三船のお孫さんは、商談に準えて話しを纏めてしまうつもりのようだが、ちなみに私にはどんなメリットがあるのか甚だ疑問だ。



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