最期の時まで、君のそばにいたいから

雨ノ川からもも

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💧Life2 蒼きジレンマ

「エゴかもしれないけど、普通のことよ」

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 *

「顔色悪っ! 大丈夫!?」
 出入り口から顔を覗かせた瞬間、里見が発した第一声は、養護教諭らしからぬものだった。
「大丈夫だったらこんなとこ来ません」
 投げやりに返しながら入室し、髪もほどかず一直線に奥のベッドへダイブする。いつも彼が寝ていたところ。
「どうしたのよ。風邪?」
「違います。月一のアレですよ」
 下腹部をさすりながら答えると、里見は納得したように「ふうん」と呟いて、布団をかけてくれた。
「いつもこんな感じなの?」
「いいえ? 予定日より一週間以上早いし、バカみたいに痛いし気持ち悪いし、こんなに重いの初めてで……」
 あの後、やけになりながらどうにか四時限目までは乗りきったが、昼休みに弁当の蓋を開けたら、匂いだけで吐きそうになったので、ギブアップを認めて保健室へ駆け込んだのだ。つわりじゃあるまいし、勘弁してほしい。
「あらまあ、ストレスかしらねぇ」
 不意打ちの一言にギクリとしたことは、バレていないと思う。
 すると里見は突然「あっ、分かったぁ」と物言いたげににやついた。
「カレシがいなくて寂しいんでしょ?」
 ……もはやため息も出ない。
「だから、付き合ってないんで」
 つれなく言って背を向ける。
 てっきり「またまたぁ」なんて具合でいじられるかと思ったが、里見は何も言わない。
 なんなんだ、まったく。調子が狂う。
「……寂しいですよ」
 ふて腐れたようにぼやく。
「学級委員だからって担任にこき使われて、毎日のように次の日の予定届けに家まで行ってるけど、全然顔合わせてないし」
 学校に行くことは諦めても、相変わらず入院は拒んでいるらしかった。
 会いたいけれど会いたくない。怖いのだ。衰弱した彼を見るのが。
 だから毎回、玄関先で純に渡すものだけ渡して、あの時間帯にはまだ仕事に行っているはずの純が出てくる意味にも気づかないふりをして、逃げるように自宅へ帰る。
「こんなふうになるまで考えたことなかったけど、カップルに間違われるくらいずっと、ずっと一緒にいたんだから、やっぱり寂しいですよ。悪いですか?」
 私はこの寂しさに、慣れなければいけないのかもしれないけれど。
 背後で優しい吐息が聞こえた。足音が遠ざかり、軽く乾いたタイヤ音に混じって何かが軋む。回転椅子に腰かけたのだろう。
「自殺がいけないのは、本人にそれだけの覚悟がないからよ」
「なんですか急に」
 茶化そうとしたが、里見は取り合わず続ける。
「広い目で見て深く考えず、一時の感情に流されて衝動的になってしまうから、たいていは後悔するのよ。きっと」
 でも……と呟いた里見の声は、遠い昔に思いを馳せるように、どこかぼんやりとしていた。
「あの子は違う」
 とたん、下腹部の痛みが強くなった気がして、あまねはぎゅっと顔をしかめる。
「命を粗末にしちゃいけないとか、遺される人の気持ちを考えなさいとか、そんな綺麗事よりも強くて確かな、意志がある。事情もある。だから、何も言えなくなっちゃうのよね」
 離れてみて、分かったことがある。
 最後に家まで送り届けたあの日、「百パーセントじゃない限り、誰かが地獄を見る」と彼は言った。
 ――今すぐに死にたいって言ってるわけじゃ、ありませんから。
 出会ったばかりの頃、純も言っていた。
 そう。自殺願望を抱いているわけじゃない。単に明るみに出ることを恐れたわけでも、逃げたわけでもない。
 彼はただ、死と向き合っているだけだ。
 勝つか負けるか分からない闘いに命を懸けるよりも、潔く受け入れた。
 残された時間を少しでも有意義に生きるための、選択。
 近いうちに終わりがくると分かっているからこそ、頑なに、今までと同じ環境で、同じ生活を送ることを望んだのだ。
「……それでも生きてほしいって思っちゃうのは、遺される側のエゴなんですかね?」
 また、立ち上がる音がして、近づいた。
「エゴかもしれないけど、普通のことよ」
 背後から、頭をわしわし撫でられる。
「あなた、今日はもう早退しなさいな」
「嫌です。帰ってもどうせひとりだし」
「なに言ってるのよ。お父さん、夜勤しかやってないんでしょ? この時間帯ならまだ出勤前じゃない」
 そんなこと、教えただろうか。もしかして丈? 彼にも話した記憶はないけれど。
「ひどーい。丈のことはなんだかんだ言って目こぼししてたのに」
 不服だが、誰かさんのように幼稚な食い下がり方はしたくないので、正当な抗議を申し立てる。
「だからよ。私をクビにするつもり?」
 むくれて掛布団に顔をうずめると、ほんの少しだけ、彼のにおいがする気がした。

 意識のどこかでかすかに感じていた振動がやみ、目を開けると、自宅の前だった。
 あぁ、そうか。父に車で迎えにきてもらったのだ。
 記憶と感覚がはっきりしてくるにつれ、つかの間忘れていた痛みが戻ってくる。
 眠気も強く、シートベルトを外す気力すら湧かずにただぐったりしていると、父が降り、後部座席までやってきて、ドアを開けた。背中と脚に手を回され、そのまま抱き上げられる。
 普段なら問答無用で拒絶するところだが、今はそんな余裕もない。
 連れていかれたのは、二階にある自室――ではなく、玄関を上がってすぐのリビングだった。
「えっ……?」
 驚いて床を見ると、一枚の布団が敷いてあることに気づき、さらに驚く。
「階段、きついだろ」
 ぶっきらぼうな一言に戸惑いながらうなずくと、その上に寝かされた。
 たしかにその通りだし、状況的にトイレとの距離もなるべく近いほうがありがたいのだが……妙なところで気が利くものだ。
「お前の母さん、生理んなるとぎゃあぎゃあうるさくてよ。痛すぎて動けなーい。階段のぼっておりるのもつらーいって」
 と思ったら自分から答えを言ってくれた。
 そういうことか。たしかに、あの母ならありえない話ではない。
「ま、今のお前のほうがよっぽど重症そうだが」
「……ごめん、なんか」
 今度はちゃんと髪をほどきながら、なんとなく気後れして謝る。
「なんだよ気持ちわりぃ。別に寝溜めしてただけだし。結局サボるけどな」
 まさか。仕事を休む気なのか。
「心配ご無用ですけど」
「サボりだっつってんだろ。てか、そんな死にそうなくらい蒼い顔して言われても説得力ねぇっての」
 言いたいことだけ言って去っていくのかと思ったら、数歩進んで立ち止まった。
「あまね」
 いかつい背中は、振り返らない。
「……大丈夫か? 最近」
 瞬間、息を呑む音が聞こえないことを願った。
「なんつーか、その……こういうのあんまないじゃん、お前」
 なんで。ほとんど顔も合わせないのに。男のくせに。
 しらを切るのは無理だと思った。
「……大したことじゃないから」
 これでも頑張ったほうだ。誰かに褒めてほしいくらい。
 父は「そうか」とだけ呟いて、ひっそりとリビングを出ていった。
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