最期の時まで、君のそばにいたいから

雨ノ川からもも

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💧Life2 蒼きジレンマ

――俺の根性なし

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 *

 校門を出て菊池と別れると、普段通りバスに揺られ、志賀兄弟の住むマンションまでやってきた。
 たった一日空いただけなのに、なんだか緊張してしまう。
 そわそわする気持ちを落ち着かせながら、いつもの部屋の前まで行って、封筒を取り出し、インターホンを鳴らした。
 しばらく待ってみたが、なんの反応もなければ、誰も出てこない。めずらしいこともあるものだ。
 鍵もかかっているだろうし、しかたないから玄関前のポストにでも入れておこうか。
 何気なくそう思ったとき、急に道が開けたような気分になった。
 そうだ。わざわざ律儀に手渡さなくても、ポストに預けておけばいい。そうしたら、毎日わだかまりを抱えて帰宅せずに済むじゃないか。
 そうだそうだ。そうしよう。
 善は急げと言う。さっそく行動に移すべく、ポストに封筒を放り込もうと手を伸ばす――と、鍵の開く音がした。
 ゆっくりとドアが開く。
 目の前に立っていたのは、
「丈……」
 パジャマ姿の彼だった。
「久しぶり」
 数週間前と変わらぬ気さくな笑みに、不覚にも鼻の奥がツンとなる。
「トイレ行ってたらたまたまチャイムが鳴ったから――」
「ちょっと、なにやってんの!?」
 あまねはのん気に喋り始めた丈を反射的に叱りつけると、とっさに手を引き、靴を脱ぎ捨てて共々中へ入る。
「ちょっ、あまねっ!」
 引っ張られながら何か言おうとする丈にも構わず、彼の部屋まで行くと、
「病人はおとなしく寝てればいいのっ!」
 そう言い放って、ベッドの端に座らせる。
「そんなにあわてなくても、あそこで倒れたりなんかしないよ。今日、わりと元気だし。ほら、冷えピタ貼ってないでしょ?」
 丈は苦笑しながら、言われた通りベッドに入り、上半身を起こす。表情は豊かでも、やはり顔色は優れなかった。

 *

「……純さんは?」
 久しく会った彼女は、戸惑いを隠せない様子で口を開いた。
「仕事。いつも午前中とか二時とかに帰ってくるんだけど、今日はどうしても抜けられなかったみたい」
 丈は苦笑したまま答える。
 丈の体調によっては休んでくれることもあるが、兄も完全に休職しているわけではない。
 手続きをすれば手当なども受けられるのかもしれないが、この小さすぎる家庭の中で充分な収入を得られるのは彼だけなのだから、二十四時間付き添ってもらっていては、いずれ生活が立ち行かなくなってしまう。
「そういえばさ、昨日、大丈夫だった?」
 ふと思い出して尋ねると、
「何が」
 返ってきた声はやけにぶっきらぼうだった。
「早退したって聞いたから。章に」
 昨日の夕方、予定を届けにきたのは、意外な人物だった。なんでも彼女は、具合が悪くて早退したらしい。
「なんとかね」
 相変わらず冷たい反応に、丈は眉をひそめた。
「――あのさ、なんか怒ってる?」
 ためらう気持ちもあったが、結局こらえきれずに踏み込む。
「別に?」
「いやいや、怒ってんじゃん」
 思わず食い下がると、彼女が口にしたのは、思いもよらない言葉だった。
「……菊池くんから聞いたよ。付き合ってたんだってね、武中さんと」
 一瞬思考が停止する。
「武中……? あぁ、莉麻のことか」
 最後の三ヶ月くらいは、せがまれて名前で呼んでいたからピンとこなかったけれど、そういえばそんな苗字だった気がする。
「へー。半年も続かなかったくせに、苗字も忘れちゃうくらい仲良しだったんだ?」
 だから何を怒っているんだ。
「さっきからどうしたんだよ。八つ当たりされたって分かんないって」
 たまらず語気を強めたら、あまねは己の過ちに気づいたようにはっと目を見開き、
「ごめん。たしかに八つ当たりだった……」
 力なく謝罪して、重々しいため息をついた。
「逆恨みされたのよ。武中さんに」
「逆恨み?」
 訊き返すと、あまねは長話をする合図のように、ベッド脇の椅子に深く腰かける。
「私たちがいつも一緒にいるから、付き合ってると思い込んでたらしいの。実はね、丈が休むようになったくらいから、ちょっとした嫌がらせみたいなのが始まっちゃって――」
 事の顛末を聞かされた丈は、その陰湿さと執拗さに震え上がった。
 女子って怖い。怖すぎる。
「違うって言いたかったけど、そうするとどうしても病気のことを説明しなきゃいけなくなるし。菊池くんがいなかったらどうなってたか……」
 たしかに莉麻との交際に関しては、付き合いだしてから別れに至るまで、すべてにおいて最低な関係性だったし、恨まれてもしかたないとは思う。
 だが相手が違う。逆恨みにも程がある。
「なんかごめん……」
「別にあんたが謝んなくても」
「でも、僕のせいでもあるから……」
 面目なくて肩をすくめたとき、
「やっぱ病気が原因で別れたの? 他に好きな人ができたって嘘までついて」
「えっ」
 またも変化球が飛んできて、しどろもどろになってしまう。
「あー……どうだったかなぁ。よく覚えてないや。もう一年以上も前だし」
 本当のことなんて、忘れるわけがないけれど、言えるわけもなかった。
「ふうん。まあいいけど」
 興味なさげにそう言ったかと思えば、
「ねぇ、丈」
 急に神妙な口調になるものだから、ついこちらも身構える。今日はなんだか、彼女に翻弄されてばかりだ。
「まだ、大丈夫なんだよね?」
 遠回しなようでいて端的なその質問に、曖昧に微笑むしかなかった。
 もうこの先ずっと、大丈夫な日なんてないのだ。本格的な治療を拒んで、こんな生活を続けていれば、なおのこと。
 言外に察したのか少し表情を曇らせ、何か言いかけた彼女だったが、思い直すように首を振ると、ひと息ついて立ち上がる。
「しょーがないから明日からは部屋まで顔出してあげる。生存確認したいし」
 口早に告げられたその言葉が、なぜだか妙に胸に沁みて、
「じゃ、私帰るね」
 ことさらに明るく言って立ち去ろうとする彼女を、
「あまね」
 とっさに呼び止めた。呼び止めてしまった。
「なに?」
 けれど、彼女が振り返って目が合った瞬間、怯んだ。
「……ううん。なんでもない」
 ――俺の根性なし。
「変なの」
 彼女はふっと含み笑いを漏らして、玄関へ向かっていった。
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