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7章
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しおりを挟む「若旦那? そうだね、アタシみたいな育ちの悪い人間でも雇ってくれる変な人、かな。お茶目って言えば聞こえは良いけど、何度あの人の大掛かりなイタズラに巻き込まれたもんか。いい歳してガキみたいなとこあるんだよね」
ユーグレイを案内してくれた彼女は戻って来た足で、アトリを小さな応接室に通した。
カンディードからのお客さんにお茶も出さないって訳にはいかないだろう、と言われてしまうとアトリとしても固辞はしにくい。
リューイ・フレンシッドはどんな人かというアトリの問いに答えながら、彼女はなみなみと紅茶が注がれたティーカップをテーブルの上に置く。
「まー、アタシも面白いことは嫌いじゃないから、あの人のそういうとこは気に入ってるんだけど。退屈しないよ? こーんな辺鄙なとこに引きこもっててもさ」
メイドらしからぬ調子でそう締め括った彼女は、テーブルを挟んでアトリの向かいのソファにすとんと腰を下ろした。
ふわりと漂う紅茶の香りには、どこか甘い花の匂いが混ざっている。
「んじゃ、結構元気なんだな。リューイさんは」
彼の婚約者はかつて人魚に攫われ、それが原因で心に傷を負ったと聞いていたが。
彼女の話では過去の暗い影はあまり窺うことが出来ない。
「元気も元気、うるさいくらいだね」
「うるさいって、一応雇い主なんじゃねぇの? 変なおねーさんだな」
いい加減その適当な言い草が可笑しくて、アトリは笑いながら言う。
彼女は長い脚を組んで、頬杖をついた。
やや鋭い眼が弓なりに細められる。
「アタシ、カレンっつーの。ほら、頑張って淹れたんだから冷める前に飲んでよ」
アトリは曖昧に頷いて、ティーカップを手元に寄せた。
随分と薄い色の紅茶は、淹れたてにも関わらず少しぬるそうだ。
文字通り頑張って淹れたのだろう。
「アンタは『アトリ』ってんだろ? その黒髪じゃ北部の方の出か。ふぅん、高値で売買されんのも納得だね」
「………………」
アトリは視線を上げて、カレンを見た。
彼女は微笑んだまま「悪い」と謝る。
「言ったろ? アタシは育ちが悪くてさ、若旦那に雇われる前はあちこちフラフラしてたんだよ。女子供が売られてくのも、何度も見てる。黒髪のやつは飛び抜けた素養持ちがいたりするって市場で随分と話題になってたけど、そうじゃなくてもアンタみたいなのは欲しくなるだろうね」
「……それは、どういう意図であれ気分の悪い評価だな」
「ああ、若旦那にもよく怒られるけど悪気はないんだって」
カレンはあっさりと首を振った。
明るい茶色の髪が、ゆらゆらと揺れる。
「お詫びと言っちゃなんだけど、どう? アタシと」
「どうって、何が」
彼女のペースについていけなくて混乱する。
ただ目の前の女性が得体の知れないものに思えて、アトリは僅かに身体を引いた。
カレンはアトリの反応に、可笑しそうに笑みを深める。
「こんなナリだけどアタシ結構上手いよ? 格好良いお友だちも悪くはないけど、アンタ何かそそるんだよね」
徐に伸ばされた指先を、アトリは黙って払い除けた。
彼女は全く気にした様子もなく「残念」と肩を竦める。
「育ち云々で済ませるには質の悪い冗談だな」
「そー、ついね。欲しいものは手に入れなくちゃ気が済まなくてさ」
押し殺したような笑い声。
彼女はそれからはたと気付いたように自身の頭を掻いた。
「あ、でも若旦那には黙っといてよ。ここを辞めさせられちゃうと困るからさ」
「……バレたらクビになるような振る舞いは避けとけよ。不良メイド」
旅先で変態に絡まれるのは何故だろうか。
本当に勘弁して欲しい。
若干の疲労を感じながらアトリは応接室の扉を見た。
ユーグレイは、ちゃんと話が出来ているだろうか。
「せめてお茶は飲んでくれると助かるな。残されると、お客さんが飲めないようなものを出したって叱られるからさ」
カレンに勧められて、アトリは仕方なくティーカップを持ち上げた。
予想通りぬるめの紅茶を少しだけ口に含む。
紅茶と言うよりはハーブティーに似た不思議な風味だ。
そして、甘い。
取り繕う余裕もなくアトリは眉を寄せる。
別に飲めないほどに不味い訳ではないはずだが、飲み込むまでにかなりの努力を要した。
「…………これ、紅茶?」
「ここの森で採れる花を乾燥させて風味づけに使ってる。あとほら、シロップね。甘いもんは美味しいだろ? 特別なお客さんだから多めにしといた」
甘ければ人は皆喜ぶだろうと言いたげな口振りである。
カレンは「飲み切っちゃってよ」と催促した。
急かされて再度口に含んだ液体を飲み込んだ。
いや、これ以上は、無理だ。
肌が粟立つような不快感。
たった一杯の紅茶なのに、それを摂取することを全身が拒否している。
「ごめ、ちょっと無理」
「そ? んー、まあいっか」
カレンは小さく掛け声をかけてソファから腰を上げた。
彼女は何か言いかけたが、聞こえて来た呼び声に口を噤んだ。
ユーグレイだ。
「アトリ!」
話は終わったのだろうか。
もう少しかかると思って、待っていると言った場所から離れたのは不味かったかもしれない。
ユーグレイの声には少しの焦りが感じられた。
「すぐそっち行く!」
アトリが返事をして立ち上がると、カレンは恭しく応接室の扉を開けた。
彼女は視線を部屋の外に向けて、薄い唇を舐める。
この人は、本当にメイドだろうか。
「お友だちはアンタのこと大切で仕方ないみたいだね。もうちょっとゆっくりしてって欲しかったけど、それはまたの機会にしよっか」
「またの機会があればな」
カレンの前を通り過ぎて応接室を出た。
ふと何故か追い立てられるような気分になって、アトリは足を早める。
油断をしたら急所を一噛みされて終わりだ。
逃げて、いや、ユーグレイを守らないと。
くるくると巡る思考は取りとめもなく、根拠のない恐怖に満ちている。
気持ちが悪い。
ふと振り返ったアトリに、彼女はにこやかに手を振ってみせた。
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