Arrive 0

黒文鳥

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8章

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 ソファから腰を上げたニールは、カウンターの奥から丁寧に折り畳まれた衣服を手に戻って来る。
 彼は何か言おうとして結局何を言ったら良いのかわからなかったらしく、無言でアトリたちの前にそれを置いた。
 
「あー、わかった。うん、わかったけどさぁ」
 
 アトリは額を押さえて呻いた。
 淡いグレーのコートに黒のロングスカート。
 白いストールと帽子。
 ご丁寧に焦茶色のウィッグまで揃っていれば、敢えて問わなくてもこれが何なのか理解が出来る。
 顔がバレているのなら変装しよう、という発想自体はごもっともな訳だが。
 ユーグレイは無感動にそれを眺めて、「女装というのは考えなかったな」と呟いた。
 うん、考えなくて良いんだよそんなこと。

「誰だよ、こんなの用意したやつ」

「……調査員さん」

 ニールが視線を彷徨わせながら小さく答えた。
 瓶の炭酸水を一気に呷ったカグが、ソファにふんぞり返ったまま続ける。

「男二人組って目星つけられてんなら、そこを誤魔化せばいいだろって話。わかんねー?」

「わかったっつってんだろ……。いや、んじゃこれ着た訳? どっちが?」

 さっと顔を上げて二人を見ると、ニールが気まずい顔で静かに手を上げる。
 まあ、カグがこれを着るというのは色々と無理があるが。
 
「でも、その、ぼくが着ると違和感がすごくて。カグくんにも調査員さんにも爆笑されちゃった」

「……それ怒って良いやつだって」

 ニールが面白半分立候補したのならともかく、状況的にはやむを得ずというところだろう。
 可哀想に。
 肝心の彼のペアは、思い出し笑いを堪えるように口元を隠してさりげなくそっぽを向いている。
 流石に悪いとは思っているらしい。
 いや、そもそも元凶は調査員か。
 現実的な打開案ではあるが、若干悪ノリの気配がするのも気になる。
 
「それで、これをアトリが着るのか」

「ユーグが着てくれても構わないけどぉ?」
 
 何でもう決まったことのように言っているのだろうか。
 間髪入れずに言い返すと、ユーグレイは真っ白い帽子を手に取って嫌そうな顔もせずにアトリを見返した。
 
「変装という趣旨に副うのであれば別に構わないが。恐らくは僕も彼と同じで違和感が強いだろうな。逆に人目を引くことになるのであれば、本末転倒だ」

「お前それ、俺が女装しても違和感ねぇって言ってんのと同じだからな?」

「そういうつもりはないが、君」

 ドレスを着ただろう、と言いかけるユーグレイの腕を叩いて黙らせる。
 あれはあくまで「クレハ」が着たのであって、アトリ自身に抵抗がないと思われるのは心外だ。
 とはいえ、「嫌だから」で拒否するには状況が悪い。
 アトリは渋々床に置かれたコートを広げた。
 ソファに座ったままのカグとニールも、アトリの挙動をじっと見つめている。
 
「やっぱ俺がやんの? それはもう決まってんの? ……何で?」

「この人員の中で最も成功率が高そうなのは君だと思うが、アトリ。別に君が女性的だという話ではない。用意されているものを見る限り、男性的な特徴が出やすい首や肩などの部位は隠しようがある。単純に、君がこの中で一番背が低く細身だというだけだ」

「誤差の範囲だろーが! フォローすると見せかけて突き放すのやめろ、お前は!」

 自棄になってユーグレイに言い返しながら、アトリは重い腰を上げた。
 適当に羽織っていた自身の上着を放って、柔らかなグレーのコートに袖を通す。
 潔いじゃねーの、とカグが揶揄うように口笛を吹いた。
 別に露出のあるドレスではないし、多少の気恥ずかしさがあるだけだ。
 進んでやりたいとは思わないが、やれば有利だというのなら試してみるしかないことくらい理解している。
 スカートに足を通すと、唯一同じ目に遭ったニールが徐に手を貸してくれた。
 コートの前面をボタンで留めると、背面でベルトを結んでもらう。
 適当にウィッグと帽子を被って、手早くストールで首元を覆い隠した。
 自分では全く、どういう仕上がりなのか予想が出来ない。
 視線が集まる。
 
「………………んで、これはあり?」

 沈黙に耐えかねて、アトリは静かに問いかける。
 ユーグレイが立ち上がって、視界の端に映る焦茶色の髪を指先で整えてくれた。
 そのままストールを巻き直して、「苦しくはないか?」と訊く。
 
「苦しくはない。平気」

「そうか。それなら問題ない」

 ユーグレイはゆっくりと頷く。
 だから、そうじゃなくて。

「…………う、うん。問題ないんじゃないかな? 多分、道端ですれ違っても誰も気にしないと思う」

「…………ま、アリなんじゃねぇーの? 喋ったら一発でアウトだけどよ」

 揃ってその間は何なんだ。
 けれど駄目なら駄目と言うだろうし、少なくとも違和感の塊という訳ではなさそうだ。
 アトリは視線を床に落として、「そう」と力なく応える。
 幸い衣類は恐らく値の張るもので、着心地はとても良くて暖かい。
 
「……ひとまずこれで防壁に通信入れに行ってくれば良いんだろ?」

 ストールの端を無意識に触りながらアトリが確認をすると、ユーグレイが「そうだな」と同意する。
 それならさっさと行こうか、と相棒を促したが。

「あ、えっと! ちょっと、ま、待って!」

 ニールがあわあわと手を振りながら、制止する。
 焦りすぎて声が裏返っていたが、本人はそれどころではなさそうだ。
 
「ユ、ユーグレイくんは、その、残った方が、良いと…………、思うんだけど……」

 ユーグレイの視線を受けて、ニールの声は段々と小さくなる。
 何故と問うユーグレイの声は、単純に理由を質すだけにしては冷たい。
 ニールは口籠もりながら俯いた。

「ユーグ」

 アトリは敢えて軽い調子で、彼の名前を口にする。 
 少なくともニールは正当な理由なく、ユーグレイを引き止めたりはしないだろう。
 
「バッカじゃねーの? テメェはさ、自分が目立つってわかってねーのかよ。オレらん中でテメェが一番見つけやすいだろーが」

 助け舟を出すように補足をしたのはカグだった。
 彼はやれやれとばかりに首を振って脚を組む。
 確かにそうだが、となると必然的に。
 
「理解したかよ。ユーグレイ・フレンシッド。テメェの代わりに、オレがソイツと行くっつってんの」

 カグはそう言って、挑発的な笑みを浮かべた。



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