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8章
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しおりを挟む「てかさぁ、アイツ過保護が過ぎんだろ。ウザくねーの?」
数歩先を行くカグはアトリを振り返って、呆れたようにそう言う。
街の中心地が近くなって、川沿いの歩道には少し人の姿が見られるようになって来た。
昨日の雨で石畳には濡れた落ち葉が積もっているが、天候はやや回復しただろうか。
白い息を吐きながら、アトリは「それはない」と小さく答える。
「俺が逆の立場だったら、まあ同じように心配はするし」
人目を引くからという至極真っ当な指摘で待機を勧められたユーグレイは、やはり素直には頷かなかった。
単純にセルとエルが揃っているのだから良いだろう、という話ではないことはわかる。
そもそもカグはアトリの事情を全く知らない。
また魔術の撃ち合いみたいなことになったらどうするんだ、とユーグレイが案ずるのも当然だ。
ただ「弱者を虐げるために動いている訳ではない」というナインの言葉を信じるのであれば、一般市民も多く行き交うような街中で仕掛けてくる可能性は低いようにも思えた。
そもそも交戦を前提とするのであれば、何でこんな格好をしているんだという話である。
いーけどよ、とカグの返事はやはり素っ気ない。
観光客らしき初老の夫婦とすれ違ってから、アトリは視線を上げた。
川にかかる大きな橋。
中心街だ。
「にしても、ニールがあんなに必死になってユーグを説得してくれるとは思わなかったな」
ようやく歩道を抜けて、大通りに出る。
古い石造りの建物が立ち並び、主要な施設が集まるからだろう。
観光客だけでなく住民も多く行き交っている。
視線は、感じない。
一応アトリの変装は功を奏しているようだ。
僅かに歩調を緩めたカグの後ろに続く。
「あ? なんか知らねぇけど、テメーらがケンカしてんじゃねーかって心配してたからだろ。ほっとけつったのに様子見に行くって言って、慌てて戻って来てよ」
「…………それ、昨日の、夜の話?」
マジか。
ちょっと待った。
「はっ、やっぱ殴り合いでもしてたのか。ニールのヤツ、真っ赤な顔でおろおろしてたぜ? どーしよどーしよってうるさくてよ。明日問い詰めりゃいいだろって、テキトーに言ったの本気にしたんだろ」
「そ、れは……、申し訳ない」
ああ、気付かれたのか。
アトリは片手で顔を覆って項垂れた。
ユーグレイと話をするためにも、あの場に残って欲しかったのか。
いや色々と事情があるんだと言い訳したいところだが、もうどうしようもない。
カグが怪訝そうに眉を寄せたところを見る限り、彼はアトリとユーグレイの行為に気が付かなかったようだ。
「別に、テメーが謝ることじゃねーだろうが。んなことより、着いたぜ」
「………………」
諸々の後悔やら羞恥やらを飲み込んで、アトリはカグに頷き返す。
通りに面した少し小さな建物が目的の電信局だった。
ここまで尾行もされていないし怪しい人影も見ていないが、ここからは気が抜けない。
他国や防壁などの特殊な場所への通信は、主に電信局の通信機を頼る。
出向任務に関しては現地の調査員が連絡役を担ってくれることが多いが、今回はその調査員が行方不明だ。
逃亡したカンディードの構成員を見つけ出す気でいるのなら、まずここに張り込むだろう。
数段の白い階段を上がると、ガラス張りの広い入り口がある。
外観は古く見えるが内装は整然としており、椅子とソファの置かれた待合室の奥に窓口が並んでいた。
飾りっ気のない役所といったところで、利用客は多くない。
手にした雑誌を読む帽子を被った男。
小さな子どもを連れた若い女性。
「ーーーーそれでは、お二階の通信機101番をご利用下さい」
流石に緊張した様子で手続きを済ませたカグが息を吐く。
局員も別段気に留めた様子はなく、次の仕事に取り掛かっている。
階段は窓口のすぐ隣だ。
「一応、視とく」
アトリはカグの隣に立って、その手を軽く握った。
瞬時に飛んだ視界。
階段の上の空間は、更に人気がない。
一階に比べて少し狭い待合室。
案内の局員は暇なのか、カウンターであくびを堪えていた。
人一人が入れるほどの小さなボックスが、窓とは反対の壁際に並んでいる。
中にはそれぞれ大型の通信機が置かれているが、どれも利用している客はいないようだ。
アトリは観測を続ける視界を無理やりに閉じた。
「おい」
戸惑うようなカグの声に、目を閉じたまま問題ないと頷く。
ユーグレイの魔力ではないからだろうか。
目の奥が少しだけ熱い。
返ってきたのは何故か舌打ちだったが、彼は一応アトリの手を引くような形で二階へと上がって行く。
カグ、と呼びかけようとして「あんま話すとバレるぜ」と釘を刺される。
「101番、これか。テメーはここにいろ」
案内の声がかかるより早く、カグはさっさとボックスの中に入ってしまう。
アトリはその透明な扉に背をつけた。
微かに通信機を操作する音が聴こえる。
上手くいっている。
寧ろ本当に監視の目などあるのかと疑いたくなるほどに、順調だ。
邸にいたのはカレンとナイン。
多数の人員が潜伏しているような気配はなかったが、本拠地は別にあるのか。
いや、けれど。
問題を抱えているにしては、この街は随分と「静か」だ。
「………………」
階下から帽子を被った男性がゆっくりと上がって来て、アトリは息を詰めた。
下の待合室で雑誌を読んでいた男だ。
ベージュのロングコート。
目深に被った帽子の下、暗い海のような色の瞳は真っ直ぐにこちらに向けられている。
一瞬、何か言いようのない不安が込み上げた。
男はアトリを見据えたまま、真っ直ぐに近付いて来る。
この人は。
「カグ!」
アトリは背後の扉を踵で蹴った。
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