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9章
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しおりを挟む翌日、ユーグレイは早朝からクレハの警護に向かったようだった。
寝起きを共にするようになって、朝食が別々というのは久しぶりのことである。
自室のテーブルには、現状決まっている警護の方針と夜までには自室に戻る旨が記されたメモが置かれていた。
律儀なことだ。
さて、相棒が他の仕事だからとのんびりもしていられない。
ヴィオルムの様子をと言われたがこちらは管理員が対面の場を設けてくれる訳でもなく、頼みのフォックスはまだ後始末が残っているとかで昨夜の内にノティスに戻ってしまっている。
あれほど酔っていたのであれば、ヴィオルム本人はアトリと話したことなど忘れているだろう。
けれど上手く接触出来るか、と案じたのは全くの杞憂だったようだ。
昨日の大騒ぎが嘘のように今朝の食堂は静かだった。
朝食には少し遅いからだろうか。
まばらな利用者の中、相変わらず隙のない身なりの彼はとにかく目を引いた。
敢えてだろう。
一番隅のテーブルの端に陣取ったヴィオルムは、難しい顔でスープを啜っている。
探すまでもなかったのは助かったが、あまり体調は良くなさそうだ。
「二日酔い?」
軽く声をかけて、アトリはヴィオルムの斜め向かいに腰を下ろした。
顔馴染みの食堂スタッフおすすめのスープパスタが載ったトレーを置くと、青年は一瞬顔を上げてこちらを見る。
放っておいてくれないか、と言いかけた彼は口を噤んでアトリを睨んだ。
何が興味を引いたのかと思ったが、クレハと同じ髪の色に反応したらしい。
こいつはこいつで業が深いなとアトリは苦笑する。
「……カンディードという組織は随分と暇なんだね。友人でもないのに知ったような顔で皆声をかけて来て、本当に鬱陶しいよ」
「なんだ。そんだけ嫌味が出てくんなら、案外元気だな?」
少し、いや本音を言うとそれなりに心配していたのだ。
あの時。
熱烈な告白を受けて、それをアトリが『クレハ』の振りをして断ることに抵抗があった。
だから「もう一度クレハに言え」と言ったが、余計な気遣いだったのかもしれない。
結果としてヴィオルムはフォックスに懇願してこんなとこまで来て、挙句クレハ本人にすっぱり拒絶されてしまった。
勿論アトリとしては良い返事を約束したつもりはないが、彼にしてみれば予想外のことだっただろう。
「こーいうとこだからみんな新しい話題には目がねぇんだよ。悪気があって声かけてる訳じゃないから、適当に流してくれると助かるんだけど」
まだ熱いスープを冷ましながら、アトリは青年を窺う。
不機嫌そうな顔はしているものの席を立つ様子はない。
会話を続ける意思はありそうだ。
「君、彼女の……、クレハの関係者か?」
縋るような声音になったことを恥じるように、ヴィオルムは眉を顰めた。
アトリは指先で自身の髪を摘んで肩を竦める。
そうだ、と言えば彼の態度も少しは軟化するだろうが。
「さあ、どうだろ。クレハの母親と同郷なんじゃないかとは言われたけど、もう確かめようがないしな」
「………………」
「彼女をノティスから連れ出したって意味では、『関係者』だけど」
ヴィオルムからしたら敵みたいなものだ。
どんな言葉が飛んで来るのやらと思ったが、意外にも彼は冷静だった。
そうか、と小さな呟き。
「じゃあ、君は私の監視に来たのか。それなら、もっともらしい嘘を吐かなくて良かったのかな?」
そうだ。
この青年は思い込みは激しいし他人の話は聞かないが、決して愚鈍な訳ではない。
アトリには縁のない権力者たちの世界で、それなりに上手いこと立ち回っているはずの人間だ。
あの時の真実を語れない上、クレハにも会わせてやれない。
だからせめてこれ以上の嘘はなしにしようと思ったが、うっかり見透かされるようなことを口にしなくて良かった。
「様子見とけって言われてるくらいだから、別に構わねぇだろ。腹の探り合いする気分でもないだろーし、俺もお前に悪い感情持ってる訳じゃない。何にしたってよく知らない場所なんだから、案内役は必要だろ? ヴィオルム・ハーケン」
あたたかいパスタを口に運ぶと、恨めしそうな視線が向けられるのがわかった。
即否定の言葉が出て来ないところを見ると、彼もわかっているのだろう。
「案内役をするって言うのならもう一度彼女に、クレハに会わせて欲しい」
「昨日会ったんじゃねーの? ちょっとは落ち着けよ。んなグイグイ来られたらクレハだって怖いだろ」
知らん顔で食事を続けるアトリに苛立ったのか、ヴィオルムは音を立てて向かいの席に移って来た。
向き合った彼が身を乗り出して、反射的に身体を引く。
ヴィオルムは余裕のない振る舞いを誤魔化すように咳払いをして、椅子に腰掛け直した。
「昨日のクレハは、私と話す時とは全然違ったんだ。以前のように無関心で、私の話も聞いてはくれなくて」
「それが素なんじゃなくて? クレハとは結構話すけど、そーいうタイプの子だと思ってたな」
「私は、クレハの婚約者だ。君よりずっと彼女のことを知っている」
聞き分けのない子どものようで、それでいて少し可哀想でもあった。
元婚約者だろと言いはしたが、口調はどうしても強くはならない。
ヴィオルムが必死に追いかけて来たのは間違いなく彼女だ。
彼はちゃんと追い求めて来た少女に会えたはずなのに。
「お前が知ってる『クレハ』と違ったとしても、もう会えないって言われたんだろ。一旦引き下がっとけよ」
「君たちが、彼女にそう言わせているんじゃないとはっきりしたらね」
組織の人間が複数いる場での発言など信頼に値しないと、ヴィオルムは吐き捨てる。
そう来るか。
まあ、彼の立場であればそう疑いたくもなるだろう。
彼は明るい茶色の瞳を眇めて続ける。
「クレハの素養持ちとしての価値は、相当だ。君たちだってそうとわかって彼女を保護したんだろう。皇国の使節団も来ているそうだし、そちらに引き渡すような取引を進めているんじゃないのか?」
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