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9章
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しおりを挟む「クレハの素養持ちとしての価値は、相当だ。君たちだってそうとわかって彼女を保護したんだろう。皇国の使節団も来ているそうだし、そちらに引き渡すような取引を進めているんじゃないのか?」
ひやりとしたものを飲み込んで、アトリはヴィオルムを見返した。
父はそうなるだろうと言っていたよ、と青年は確信したように付け加える。
皇国の使節団にクレハを引き渡す?
「……少なくとも、現時点ではそういう話は聞いてないな」
はっきりと「そんなことがあるはずがない」と否定出来ないのは、少し悔しかった。
ヴィオルムの言う通り、クレハの能力を鑑みるならばそういう話があってもおかしくはない。
実際彼女は父親に連れられて皇国の研究院に出入りしていたはずだ。
研究員たちとどの程度の親交があるのかは知らないが、十分な接点と言えるだろう。
あの使節団ならば。
危険性のある「カウンセリング」を平気で行っていたイレーナであれば。
ここぞとばかりにクレハの身柄を引き受けたいと言い出しても、不思議ではなかった。
「うちだって、昔みたいな横暴が通る組織じゃない。上がどう考えてるにしたって、俺たちはクレハの望まないことをさせるつもりはねぇよ。それくらいの心づもりはして、ここまで連れ出してる」
アトリは勿論、ユーグレイだってそうだろう。
そういう話になるのであれば、あの子が安心して過ごせる場所まで連れて行くだけだ。
それを恐らく多くの同僚が援護してくれるであろうことは、想像に難くない。
ヴィオルムはアトリの目を見つめてから、「どうだか」と肩を竦める。
けれど僅かに険の取れた表情で、彼は仕方ないとばかりに頷いた。
「どうであれ、ちゃんとクレハと話が出来るまでは帰るつもりはないよ」
「良いとこのお坊ちゃんだろーに変なとこ根性あんのな、お前は」
揶揄うようにそう言うと、ヴィオルムは何故か視線を落とした。
アトリは食べ終えたスープ皿をトレーごと少し端に押しやる。
一瞬の沈黙は、彼の溜息で掻き消えた。
「クレハは、本当はもっと物怖じしない粗野な口調で、けれど私ときちんと話をしてくれたんだ」
媚び諂うことなく、ただ目の前にいる「ヴィオルム・ハーケン」を見てくれた。
耳に心地の良い言葉ではなかったはずなのに話せば話すほどに楽しくて仕方がなかったんだ、と彼は続ける。
「綺麗事ばかりで上辺だけ整えたような女性とは違う。私はそういう彼女が酷く好ましくて、傍にいて欲しいと思ったんだ。彼女は、私の運命だよ」
断言する声は、疑いの欠片もなく響く。
しんと向けられた瞳に、誤魔化しようのない罪悪感が込み上げる。
「諦められない」
ああでも、それではクレハ本人に想いが届くはずもない。
アトリは緩く首を振った。
説明はしてやれない。
いや、そもそもあんな事態は説明したところで信じてもらえないだろう。
お前と話してたのは俺だ、なんて言ったところで話が更に拗れるだけだ。
「よく……、わかんねぇけど。物怖じしない粗野な口調の『クレハ』が良いってどーいうことなんだよ。趣味の悪いお坊ちゃんだな、ほんと」
ヴィオルムは明るい茶色の瞳を僅かに見開いた。
すぐに「君には関係がないだろう」と視線を逸らした彼が、何に反応したのかはわからない。
アトリは気にせず席から立ち上がった。
「ただの感想だよ。んで、ずーっと食堂にいんの? せっかく防壁まで来たんだから、ひとまずあちこち見てみたら? クレハ本人には会えなくても彼女が普段どう過ごしてるか誰かに聞けっかもよ」
アトリとしてはずっとここで彼の話し相手になっていても別段構わないが。
ただこの調子ではヴィオルムが本物のクレハのことを理解してくれないと事は収まりそうにない。
あの時のクレハは演技でもしていて昨夜会って話した彼女が「本物のクレハ」なのだと、どうにかして納得してもらわなくては。
「ほら、行かねぇの? お坊ちゃん」
軽く促すと、ヴィオルムはあっさりと腰を上げた。
あの時とは違って、少し視線を上げるだけで彼と目が合う。
すっと背筋を伸ばした青年は、意外にも嫌味のない笑いを浮かべた。
「『お坊ちゃん』はどうかと思うよ。せめて『ヴィオルム様』と呼んで欲しいな」
「くっそ図々しいな、ヴィオルム『様』。お坊ちゃんが妥当だろーが」
間髪入れずに言い返すと、ヴィオルムは「君の口の悪さは彼女に似ているね」と微かに声を上げて笑った。
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