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9章
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しおりを挟む「事情はわかったけど相棒がいないなら尚更気を付けなよ、アトリ君。うっかり君が殴られでもしたら大騒ぎになるだろうに」
セナはそう言いながら診察台に頬杖をついて苦笑した。
丸いヘーゼル色の瞳が細められると一層幼く見えるが、平然とあの場に踏み込んで場を収めてくれた手腕は流石と言うべきか。
あんまりうるさいと管理員を呼んじゃうぞと軽く脅されて、何か言い足りない顔はしていたものの少年は足を引き摺りながら立ち去ってくれた。
アトリとヴィオルムはと言えば、半ば強制的に彼女の診察室に招待された訳である。
大変助かりはしたが、面白がって事情を聞き出す暇はあるのだろうか。
いや、それを建前とした休憩か。
「まあでも巡り合わせが悪かったね。あの子、ちょっと前にペアを解消されたって話だから」
診察をする時のように、セナは椅子をくるりと回転させてアトリに向き直る。
「それは、怪我が原因で?」
「そ。君がやらかした特殊個体討伐の時に、あの子もね。命に関わる怪我じゃないけど哨戒には障りがあって、結構頑張ってリハビリしてたんだけどさ。ペアがもう待てないからって」
特殊個体の対処に出た、あの夜。
防壁の守備は崩壊していて、あの暗い水の中多くの同僚が傷を負って動けないでいた。
忘れるはずはない。
ぐったりとしたニールを抱えていたカグ。
ちゃんと助けられたはずなのに血の気が引くような感覚がして、アトリは指先を握り込んだ。
「とはいえそれはあの子の事情だ。君が殴られてやることはないんだよ、アトリ君。君だってぼろぼろになりながら出来ることをしたんだし、まして君の相棒が君を手放さなかったことなんて尚更関係がない」
「わかってます」
それなら良いけど、とセナは見透かすように笑みを深める。
アトリの胸元を掴んだ少年の手は、微かに震えていた。
途方にくれたような眼を見て殴られても良いかと思った訳ではないが、その手を振り払うか躊躇したことは確かだ。
「それで、そっちの坊やは多少反省したかな?」
ベッドに腰掛けていたヴィオルムは、セナの視線を受けて僅かに眉を寄せた。
さっきから随分と静かだが、反省したと言うよりは何か考え込んでいる様子だ。
案の定「事情があろうが手を出す方が悪いんじゃないかな」と素っ気ない言葉が飛んでくる。
セナは薄桃色の髪をするりと耳にかけて、納得したように一つ頷いた。
「それはそうだけどね。相手に非があろうとなかろうと、殴られてからじゃ遅いんだよ。あの子も気が済んだかわからないし、アトリ君がずーっと付いていてくれる訳じゃないんだろう? 少し自重するんだね、坊や」
「仲裁に入ってくれたことは感謝しているけれど、貴女に『坊や』呼ばわりされる筋合いはないよ。自重するべきなのはそちらじゃないのかい? そもそも貴女、本当に医療従事者か?」
セナは「おっとぉ」と反論に驚く振りをしてみせた。
羽織っている白衣を脱いだら、確かに「医者」に見えなくはあるのだが。
彼女はわざとらしく脚を組んで、つま先をゆらゆらと揺らす。
「ヴィオ、お前さぁ」
態度や外見はどうあれセナが医者なのは間違いない。
流石に青年を窘めようとしたが、「いいよ」と楽しげな声がそれを遮った。
「私はこう見えて『大人』だからね。いちいち怒ったりはしないとも」
うん、まあそうなんだろうけど。
逆に融通の効かないヴィオルムの反応を愉しむのは如何なものか。
「目に映るものだけに囚われてると大切なものを見落とすって、一度痛い目見ないとわからないものだよ」
クレハを連れ戻しに来たんだっけ、とセナは首を傾けた。
彼女の名前が出た途端、ヴィオルムはさっと顔色を変える。
「君が迎えに来た『クレハ』が、私の知ってる彼女と同じだと良いんだけどね」
虚像を作り上げていないか、と指摘されたことをヴィオルムは確かに察したようだった。
さっと朱に染まる頬。
けれど、彼は腰掛けていたベッドから腰を上げなかった。
ただ黙って医者を睨んでいる。
「先生」
声をかけられたセナは、ころりと明るい表情を見せた。
君は甘いね、と肩を竦められてアトリは苦笑する。
ユーグレイが「入れ込むな」と言ったのはこういうことだろうか。
ヴィオルムにとって防壁は味方のいない「敵地」だ。
クレハにとっては甚だ迷惑だとしても、彼は悪意を持ってここまで来た訳ではない。
思い込みが激しくて他人の話を聞かないお坊ちゃんだとしても、出来れば自分で気付いて理解して退いて欲しい。
まあ良いさ、とセナはゆっくりと頷いた。
「さて、一応私は君たちのピンチを救った訳だし? ちょっとお願いを聞いてくれても罰は当たらないよねぇ」
「うぇ、もしかしなくてもそれが本題ですか?」
「いいじゃない。ここのとこ『可愛いお手伝い』が来なくてさ、色々雑用が溜まってるんだよ」
下手な喧嘩を買うより有益だと思うな、とセナに言われて、ヴィオルムはあからさまに嫌な顔をする。
ただアトリとしては、不満は口にすれど断る理由はどこにもなかった。
そもそも『可愛いお手伝い』が来ないのはヴィオルムが原因だろうし、この後も防壁内を見て回るだけで特別予定がある訳でもない。
わかりました、とさっさと請け負うと青年は何か言いたげな視線を寄越す。
付き合ってやるから諦めろ、とアトリは軽く彼を宥めた。
それでも断固拒否と首を振るかと思ったが、意外にもヴィオルムは文句を飲み込んだようだ。
それは成長と言うべきだろうか。
セナは意味深に小さく笑ってから、「いやぁ助かったよ」とわざとらしく手を叩いて見せた。
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